お嬢様
手のひらのただの水球を、食い入るように見るクラスメイトがいた。
「凄い!凄い!もっと見せて!」
そのクラスメイトはリリャという庶民の出の女の子だった。
「オルキナの水球は皆のと違って、ブレたりしなんだ、凄い、綺麗だよ!」
「こんなの貴族ならできて当たり前ですわ」
それはオルキナにとってたいしたことではなかった。
水魔法など魔法の中でも基礎中の基礎であり、できない者の方が少なかった。それに授業で課題となっていた水球の作成。これは、初級魔法を習っている者なら、作れて当たり前の魔法だった。
オルキナは、大貴族であるため、今よりももっと小さい頃にすでにエーテル孔を開いていた。魔法は、彼女の生活の一部でもあった。
この学園で貴族の子たちの方が優秀な成績を残していくのにはそのような、アドバンテージが存在していることに他ならない部分は十分にあった。
「どんな形にでもできるの?例えば星型とか」
「複雑な形はそれ相応の技術が必要ですけど、簡単な四角とかならできますわ」
オルキナは、丸かった水球を、四角い形に変えた。
その切り替わる様を、リリャは目を凝らして見つめて、丸い形から四角い形に切り替わると、リリャの純粋さが弾け、感嘆していた。
「凄い、オルキナは、魔法が得意なんだね」
「得意ですって?」
この程度、貴族のような魔法学習の機会が整っている環境なら、小学校に入る前の五歳児程度でも作り出せるほど、水魔法は簡単なものだった。
「うん、凄いよ、私、オルキナのことただ威張ってる貴族だと思ってたけど、ちゃんと凄い人だったんだね!」
オルキナにとって水魔法は、呼吸するのと対して変わらないほど、簡単だった。それでも、リリャが、目を輝かせながら、必要以上に褒めてくれることがオルキナにとってはすでに、彼女の人としての根幹の部分を大きく揺さぶっていた。
オルキナはすでにこれしきのことで、ほめちぎってくれる庶民のリリャに対して、貴族としての誇りを捨てて、友達、つまりは対等な立場としてリリャに好意を寄せそうになっていた。
たかが水魔法で、ここまで、自分のことを褒めてくれる人は、オルキナにとってリリャが初めての人だった。
「オルキナ、もしかして他に魔法とか使えたりする?」
「使えるわ」
するとオルキナは少し気恥ずかしそうに、リリャの前に手を出して、そこからゆらゆらと揺らぐ小さな炎を出して見せた。
「え!!!?すごい!!オルキナ、もう、炎魔法も使えるの!!!!」
その時の、リリャの興奮ぶりは、純粋に凄いものを見た時の反応だった。炎魔法に関しても水魔法どうよう非常に簡単な部類のものであった。この水と炎が、二大魔法と呼ばれるくらい、魔法使いの間では一般的なものだった。
「綺麗…」
綺麗。その言葉がオルキナの心を打ち続ける。魔法が綺麗だなんて一度も思ったことはなかった。オルキナにとって魔法は単なる手段であり、貴族のたしなみとして習慣的に覚えたもので、興味があったわけではない。魔法学園に入ったのも、オルキナは自分の貴族としての価値に箔を付けるためであった。だから、そこに綺麗という美しさを表す言葉など考えたこともなかった。
「ねえ、リリャ…」
「なに?」
「私の魔法は綺麗?」
「うん、とっても、ねえ、ねえ、炎も形変えれるの?」
オルキナは、自分の手に灯った炎に、触れようとしたりしてちょっかいを出す無邪気なリリャだけを見つめていた。するとリリャもそのオルキナ視線に気づく。
「どうしたの?炎は無理とか?」
「ああ、えっと…」
そこでオルキナが炎の形を変えようとした時だった。
「リリャちゃん」
「あ、ルコ、どうした?」
オルキナの手に灯る炎に釘付けだった自分の魔法を綺麗だと言った彼女はもう、そこにはいなかった。
「それが、上手く水魔法が出なくて、リリャちゃんならどうするかなって、アドバイスをもらいたくて」
その時、ふと、オルキナはリリャの前にいたルコというただの庶民あがりの女子生徒と目があった。
その目はまるで、人を呪い殺すかのような、暗くゾッとするような目をしていた。
オルキナは思わず息を呑んだが、彼女と目が合っていたのも、そのような恐ろしい目をしていたのも、それが夢か現実かも区別がつかないほど一瞬の出来事だった。
けれど、オルキナの前から確かに、リリャという女性はルコという何の取り柄もない、水魔法一つできない女に取られてしまったことだけが事実として残った。
その気持ちがオルキナの貴族としての誇りを傷つける。
「ちょっといいかしら?」
「なに?」
そこでリリャがルコからオルキナへと視線を戻す。リリャの燃え上がるような赤い瞳がオルキナをとらえる。そこで自分は何をしているんだと思ったオルキナは、首を横に振った。
「なんでもありませんわ、わたくしは、先生に成果を報告してきますので、庶民どもはそこで戯れていなさい」
「そっか、頑張ってね、オルキナなら一発で合格だね」
そのリリャ声掛けを無視してオルキナはその場を去った。それでも、オルキナは気づかれないように、一度後ろを見て、リリャのことを見た。
彼女はルコという女と楽しそうに、水魔法を出そうと苦戦していた。
「お嬢様、いかがなされました?顔色がよろしくないようですが?魔法の使い過ぎですか?少し休みますか?」
「それとも、あのリリャという者が気になりますか?」
オルキナの付き人である、ブルトとジョアが後ろから話しかけて来た。
「魔力切れではないわ、それにリリャのことなんて、ちっとも気にならないから、なんでそんなこと聞くのかしら?ジョア?」
「申し訳ございません、オルキナ様がよく、リリャのことを気に掛けていらっしゃったので、お友達にでもなりたいのかと思いまして」
ジョアがかしこまりつつも平坦な口調で淡々と述べていた。感情もあまりのっていない訓練されたような話し方だった。
「お友達?ふざけないで、あんな庶民と友達になってわたくしになんのメリットがあって?それにわたくしはここで、魔法を学ばなくてはいけなくてよ、友情ごっこに興じている暇はなくてよ?」
「ええ、ですが、学校生活はご友人との交流も大切かと、この学園の教育理念には、友愛がありますゆえ、オルキナ様が素晴らしい魔法使いになるには、友愛もかかせないかと存じます」
オルキナは立ち止まった。
「わかったわ、ジョア、あなたの言葉に少し騙されてみるのも悪くない気がします」
それだけいうと、オルキナは、ハンナ先生の元へひとりつかつかと歩いていった。
ブルトとジョアがお互いを見つめ合う。
「あんな嬉しそうな、お嬢様、久しぶりですね」
「ええ、もしかしたら、あの女子生徒がお嬢様を変えてくれるかもしれませんね」
少しだけ二人は口角をあげて微笑んでいた。
そして、オルキナの後を追うのだった。




