二人の馴れ初め
初めての実践的な魔法の授業をルコは受けていた。
魔法安全学のテストをリリャのおかげもあって、ほぼ満点で通過した彼女は、エーテル孔を開けてもらい魔法を使うことができるようになっているはずだった。
体内にエーテルが流れ込んでくるのを感じる。
ルコは全神経を集中させて、手のひらに水の球体を作り出すことに集中していた。
『う、上手く出せない…』
ルコはそもそも手のひらから水を出すこと自体上手くできずにいた。
少し隣を見ると、アガットが手から大量の水を溢れさせていた。それはもう制御できてはいないものの滝のように、アガットの手から水が溢れていた。
『すごい、あんなに手から水魔法を出してる、どうやったら、私も出せるんだろう…』
ルコは懸命に手のひらに水を出そうとするが、出てくるのは汗とも見て取れる水滴だけだった。
「だめだ、水は出るけど、球状にできない…」
アガットがそう独り言をつぶやいていた。
そんな彼女のひとりごとも耳に入らないほど、ルコは一刻も早く、自分もみんなと同じ用に水魔法が出るように、一人黙々と手のひらを見つめ魔力を込めていた。だが、それでもルコの手に水が出て来ることはなかった。
『どうしよう、全然でない。どうしたら、手から水が出て来るんだろう………こんなときリリャちゃんだったらどうしたのかな…』
ルコが一瞬遠くで見学していたリリャを見たが、彼女は退屈すぎたのか、ルコたちとは別の方を見て完全に上の空だった。
一番誰よりも魔法の授業を楽しみにしていたリリャがそういった扱いを受けているのだから、そのように、無気力になっているのは仕方のないことだったのかもしれない。
『リリャちゃん、可愛そうだな…』
ルコがリリャの方を眺めていると、ふいに自分の名前を呼ぶ声がしていた。
「ルコ」
「え、あ、ど、どどうなの……?」
アガットが急に話しかけてくるものだから、ルコはわけの分からない返事をしていた。
「水魔法が出ないのか?」
アガットが、手から制御できていない水を垂れ流しにしながら、尋ねていた。
「そ、そう、全然でないんだ…アガットさんはす、すごいね…」
「ああ、大量に出るのはいいんだが、水球が作れないんだ」
「あ、そうなんだ…」
ルコはそういうと、自分も手から水魔法を出そうともう一度試みた。
『出て、お願い…』
しかし、そんなお願いしても水魔法は出て来るはずもなく、ルコは、だんだんと身体に疲労が溜まって来ていることに気付き始めていた。
『あれ、少し、身体が重い?頭もくらくらする…』
ルコは、その場にへたりこむと、アガットがすぐに駆け寄って来た。
「大丈夫か?」
「わ、私は、だ、大丈夫だよ…平気だよ」
「いいから遠慮するな」
アガットがルコに肩を貸して、校舎側のすぐ傍の芝の斜面に連れ出していた。
「ハンナ先生に伝えて来るからそこで待ってな」
「う、うん、ありがとう…」
結局、ルコはその日、一度も水魔法を出すこともできずにリタイアとなってしまった。
アガットがハンナ先生に伝えると、すぐにハンナ先生がやって来た。
「ルコさん、大丈夫ですか?保健室にいきましょうか」
「あ、えっと、そこまでじゃないです。それよりも、少しここで休んでいたいんですけど…いいですか?」
そんな大げさな症状でもなかったし、この程度で保健室の先生の手を煩わせるわけにも、行かないと思ったルコは必至にお願いをした。
「それは別に構わないけど、具合が悪くなったらすぐに保健室にいくのよ?いいかしら?」
「は、はい、わかりました」
見学となったルコの隣に、アガットも座った。
「アガットさん、水魔法の練習しなくていいの?」
「ああ、ルコが倒れたらすぐに保健室に連れて行けるように、隣にいてやる」
「そ、そっか…ありがとう……」
ルコは、隣にアガットがいることで、とても緊張していた。ルコにとってリリャ以外の友達は人生で初で、こうしてリリャがいない状態で二人っきりになるのは、そうそうないことだった。だから、ルコは何を話せばいいか分からずずっと、緊張したまま、膝を抱えていた。
「なあ、ルコ」
しかし、その気まずい沈黙をやぶるようにアガットがルコに話しかけていた。
「な、なに?」
ただでさえ、アガットの見た目には、自分よりもずっとと高い背に、表情もいつもどこか鋭さを保っており、リリャの友達だと分かっていても面と向かうと、怖いところはあった。とくに彼女の目つきが鋭く目が合うだけで、ルコは委縮してしまい、彼女と正面切って目を合わせられるリリャがやはりルコは凄いと思っていた。
「リリャとルコは正反対の性格のように見えるが、二人が仲がいいのは分かる。だが、最初、どうやって、友達になったんだ?私には、父しかいなくて、同い年の友達がいなかったから、そういうの分からないんだ」
父親と森で暮らすことが多かったアガットにとって、友達というものがいまだに実感のないもののようだった。
「私とリリャちゃんの出会いは…」
ルコはリリャと最初に出会った時のことを思い出していた。
それは、本当にこの世には運命があるとルコが信じた瞬間でもあった。
*
この魔法学園に来る前に在学していた小学校のクラスでルコは、人見知りで話すのが苦手であったため、まったく友達ができず孤立していた。
ルコもなんとかみんなの輪に入ろうと、声を掛けようとしたが、ルコという存在はそのクラスの中ではもう、誰よりも低く見下されるような存在としての地位を勝手になすりつけられていた。
それから、ルコはずっと嫌な役を押し付けられるようになった。放課後の掃除もルコがひとりやるようになったり、覚えのない陰口を言われるようになったり、女子の間でルコはあからさまに弱い者とみなされ軽いいじめも受けていた。
それでも、ルコは最後まで笑顔でやり過ごそうとしたが、ある時を境にルコの心は壊れてしまった。
家族には知られないように毎日学校に通い続けたが、それでも、ルコの元気はみるみる内に闇の中に沈んでいってしまった。
しかしだ。
ルコの人生の転機を変える出会いがあった。
リリャという女の子が転校してきたのは、そんな時だった。
キラキラと明るく元気で希望に溢れていた彼女は、ひとり寂しく暗い感情だけを抱えて生きていたルコとは、正反対の光のような存在だった。
彼女はあっという間にクラスの中心人物となり、沢山の友達をつくった。
ルコも外から見ていて、彼女が人に好かれる理由がなんとなく理解していた。面白い話をしたり、笑顔が可愛かったり、声も大きくそれでいて耳障りじゃない通った声、何事にも興味を示す、そんなリリャの持っている何もかもが、ルコには羨ましくて仕方がなかった。
それと同時に、自分には何もなく、人に好かれるための努力ができなかったルコは、自分自身にとてつもなく腹が立ち、そして、絶望だけが残っていた。
そんな光のような彼女ですら、きっと自分のことを輪の中から笑いものにするのだろうと、そう思っていた。
だが、事件は突然、夕焼けが綺麗な放課後に起こった。
ルコが時々、女子生徒たちから理不尽な言いがかりを付けられている時があった。それは彼女たちが鬱憤が溜まったときに、それを解消するためにルコに当たっていることがあった。
だが、今回はひときわ激しく理不尽だった。
「おまえさ、わたしたちのこと先生にいっただろ?」
同じクラスの女子生徒が、ルコに言った。彼女の後ろには二人の取り巻きもいた。
「………」
なんのことかさっぱり分からず、ルコは黙っていた。
「ずっと黙ってて気持ち悪いんだよ、おい、何か言えよ!」
女がルコの髪を掴んだ。それでもルコは必至に歯を食いしばって耐えていた。
「お前が先生に告げ口したんだろって」
ルコは先生と話すことはなかった。大人のことも一切信用していなかった。
「私たちがお前のこと虐めてるって、今日、指導室に呼び出されたんだよ、なあ、おまえがいったんだろって」
「………」
そんなことするはずがなかったし、今更そんなこといったところで、なにか変わるとも思っていなかった。
その時のルコはすべてに絶望していた。
「おい、いつまで黙ってんだ、なんかしゃべれよ!」
その女子生徒が、ルコの髪をひっぱりそのまま机にルコのことを叩きつけた。
「おかげで、こっちは恥かいたじゃねかよ!わかってんのか?」
その女子生徒は、怒りをルコにぶつけていた。
その時だった。
ルコとその女子たちのほかに、誰もいない教室の扉が開くと、そこにひとりの新たな女子生徒が入って来た。
リリャだった。
ルコが髪を掴まれ机に押さえつけられている光景が彼女の目に飛び込んでくる。
「ああ、リリャか、聞いてくれよ、こいつが、私のことを先生に言いやがてよ」
その女子生徒とリリャは気が合いクラスでも一番仲が良かった。
「いま、こうやって、私直々に説教してやってるんだわ」
女性生徒が得意げにルコの髪を引っ張って無理やり起き上がらせた。
「リリャ、お前もこいつに一発入れて教育しておけよ、二度とそんな舐めた真似するんじゃねえって………」
リリャが駆け出し間合いを詰める。
「!?」
そのとっさの行動に誰もリリャが何をしているのか予測できずにいると、彼女はおおきく振りかぶっていた。
そして。
リリャの右の拳から渾身の一撃が放たれる。
全力で振りぬいた拳は、ルコの隣にいた女子生徒の顔面を捕らえ、彼女を一撃で倒していた。
「おい、クズども、とりあえず、ここでお前たちを殺すから、逃げんなよ」
冷たい声だった。
誰もがその場から身動きひとつ取れず、リリャに対して怯えていた。ルコも例に漏れず,、そのひとりだった。
「こ、この…」
リリャが、倒れて起き上がろうとしていた女子生徒にむかって、思いっきり容赦のない蹴りを入れた。一発、二発どころか、何度も何度も起き上がってこようとした、女子生徒に蹴りを入れる。
「おら、おら、死ね、クズ!!!」
やがて、その女子生徒は立つことを諦めて、うずくまって怯えていた。
低学年の女子の蹴りでは、たとえ相手が同じ学年の女子生徒だったとしても、命を奪うことは難しかった。
リリャが次に目を向けたのは取り巻きの女子だった。
「次、お前だ」
恐怖が場を支配していた。
リリャが一発震えていた女子生徒の頬を思いっきりひっぱたくと、その女子生徒は冷たい床に倒れ込んだ。そして、怯えながらも這って教室の外に出ようとしていたので、リリャが、「おい、逃げんなっていったよな」と何度もその女子生徒にまたがっては、拳を振り下ろしていた。
最後に残った。取り巻きが泣き叫びながら逃げ出したので、リリャは片手で近くの椅子を掴んで、ぶん投げて、最後に残った逃げた女に見事に命中させていた。
ルコにとっての悪者たちがみんなやられてしまうと、目の前にはリリャが立っていた。
「あ、あの…」
「ごめんなさい」
リリャがルコに思いっきり深く頭を下げていた。彼女が謝る必要はどこにもなく、むしろルコは、自分の為なんかに、友達だった人たちをここまでボコボコにしてしまう彼女のことを心配すらしていた。
「ど、どうして、謝るんですか…」
ルコがそう質問すると、リリャは申し訳なさそうな顔をした。
「だって、あなたがいじめられてるの、私、ここに来てすぐに気づいたのに、どうやったらあなたがいじめられなくなるか作戦を練っていたら、時間がかかっちゃって…」
「なんで、そこまで私の為に…」
「え、だって、私、いじめとかって、単純に嫌いだからさ、そういうの見るとすぐこんな感じでぶち壊したくなっちゃうんだよね、へへッ」
惨劇広がる放課後の教室のなか、そのリリャという女子生徒は、この場に合わない笑顔で照れくさそうに笑っていた。まるで、さっきの殺人鬼のような気迫が嘘のように消えていた。
それから、リリャは自分でぶちのめした女子生徒たちを、保健室に連れて行くために、ひとりずつ教室から運び出そうとしていた。
「おーい、いつまで床に寝っ転がってんだ。おきろよ、そこまで強くやってないだろ…」
そうぶつぶついいながら、一人目を引きずって教室の外に出ようとしたリリャのもとに、ルコが慌てて言った。
「あ、あの私、ルコって言います」
リリャが顔を上げる。
「知ってるよ」
「も、もしよかったら…」
こんな時にこんなことを言うことではないと思ったが、それでもルコはどうしても、いいたかった。彼女に伝えておかなくてはならないことが、今、この胸の中にあった。それをすべて吐き出していた。
「私と、友達になってくれませんか?」
ずっと言いたくても勇気が無くて言えなかった言葉。
これが、ルコがリリャとの最初の出会いだった。
*
「そんな感じで、これがリリャちゃんと私の最初の出会いなんだ」
「そうか、ルコも大変だったんだな…」
アガットがそういうと、ルコが首を勢いよく横に振った。
「違うの、この話の後には続きがあって、その時ね、リリャちゃん、人を殴ったり、重い椅子投げたりして無理したから、手と腕を骨折しちゃったみたいで、あと足にもひびが入って、やられたほうよりも重症になっちゃって…リリャちゃん、その事件で停学になっちゃったんだけど、ずっと怪我の治療で大変だったんだ」
今にして思えばあの時のリリャはやはり常軌を逸していた。何かにとりつかれたような力があった。
「それでね、リリャちゃんね…」
続けて話そうとしたが、そこでアガットが笑みを浮かべていた。
「ど、どうしたの…」
「ルコはリリャのことになるとずいぶんとよく話すんだな」
「あ…ご、ごめん」
「いいよ、私も、ルコのリリャの話しはとても面白いから、ずっと聞いてられる」
そこでルコは嬉しそうに目を輝かせてアガットを見つめた。
「そ、そっか、アガットさんは怖いと思ってたけど、本当はとってもいいひとなんだね」
そこで、アガットはまっすぐルコを見つめた。
「ルコ」
「な、なにかな?」
「アガットでいいよ、さんはいらない、もう私たちも友達なんだろ?」
「うん、わ、わかった、アガット」
そこでアガットが拳をルコの前に突き出すと、ルコも彼女の拳に軽く当て、二人は絆を深めあっていた。
だが、そこで、ルコが視線を外し、遠くにいたリリャと楽しそうに水魔法を披露しているオルキナの姿を確認すると、ルコの顔から一気に光が無くなっていくのを、アガットが横目に見ていた。
その時の、ルコの表情もまた、他人から見たら、血の気も引くほど恐ろしい顔をしていた。




