補習
当然と言えば当然なのだが、テストで百点満点中、三点を取ったリリャは補習をくらった。
不服ではあったが、しかたのないことだと割り切ったリリャは、放課後、西棟の補習の教室へと向かっていた。
補習の教室に顔を出すとそこにはすでにひとり、女子生徒がいた。
一番前の席に座っていたその子は見るからに優等生そうで、安全学のテストを落とすような人には見えなかった。
補習の先生が来るまで、リリャは、その子からひとつ席を離した席に座って、補習の先生が来るのを待った。
リリャが彼女のことをちらりと横目に見た。
どうやら、この学園の制服とは少し違ったみためのスカートを履いており、リリャたちのものよりも丈が長く、足元まですっぽりと覆ってしまっていた。
春で温かくなってきたのに、上着も長袖で、首元もインナーですっぽりと隠れていた。よほどの寒がりさんなのかと思う。
「その制服、可愛いね」
リリャは興味本位に声を掛けてみた。
するとただ目の前の教卓と黒板を見つめていただけのその彼女がリリャの方を見た。
リリャは少しだけ、その時、自分がとんでもない人と話してしまったのではと、錯覚するほど、見つめられた瞬間、自分が緊張していることに気付いた。
柔らかに流れる黒髪から覗く赤い瞳。何か自分とは住んでいる世界が違うようなそんな気分を味わった。
「ありがとう」
彼女は短くそういうと、また、黒板の方に向き直ってしまった。
リリャは心臓の音が止まらず、ずっと、彼女の横で怯えるように同じように黒板を見つめていた。この瞬間が終われと思った時、教室の扉が開いた。
「いやあ~、ごめんね、遅れて」
そうやって入って来たのは、若い男性教師だった。男は入って来るなり自己紹介を始めた。
「えっと、始めまして、今日から君たちの補習の授業を受け持つことになった。レキです。レキ先生と呼んでね」
軽い挨拶と共に現れた教師は、一学年の副担任のレキ先生だった。
金髪に、編み込まれた髪を片側にひとつぶら下げ、爽やかな笑顔。そして、特徴的なのは彼の耳だった。それはエルフに見られるとんがった耳で、リリャはエルフのそのとんがった耳が可愛らしくて好きだった。そして、お茶目な先生にしては左耳には赤いピアスがついており、おしゃれな一面もあるのが、レキ先生の素敵なところでもあった。
ただ、彼はどこか、流されやすそうなところがあるところが、まだ出会って間もないリリャの印象だった。
『レキ先生が補習してくれるんだ、それなら、サボれそう…』
安全学についてはリリャはすでにマスターしていたので、あらためて授業を聞くとなると、それは退屈の二文字に集約されていた。
「それじゃあ、さっそく、授業のほう始めていくけど、えっとそうだな、これから一週間補習の授業を一緒に受ける仲間として、ここは二人とも自己紹介でもしておこうか」
そういって、最初に、隣にいた女子生徒が自己紹介することになった。
「【キア・グランド】です」
それだけいうと、彼女は何事もなかったかのように席に座った。
「あれ、もっと、ない?どんな魔法が好きだ、とか、将来こんな魔法が使いたいとか…」
「魔法は好きでも嫌いでもありません、魔法はただの道具です。そこに私は何の感情も持ち合わせていません」
冷たい魔法の認識に、魔法に対して貪欲なリリャとは考え方が正反対だった。
「なるほど、魔法は道具か、ずいぶんと大人びたものの見方だね」
「先生なら、私のこと、ご存知なのでは?」
「うーん、まあね、だけど、ここは魔法学園だから、君の思う魔法についてのことは好きに言っていいんだよ」
「………」
キアは無表情のまま何も語らなかった。
「よ、よし、まあ、次はリリャちゃんいってみよう!」
重たくなりそうな空気をレキ先生が無理やり変えてくれる。
「リリャ・アルカンジュです。将来の夢は、空を飛ぶ魔法使いになることです」
「うんうん、いいね、空を飛ぶ魔法使いにはいろいろあるけど、リリャちゃんはどんな飛行魔法使いを目指しているのかな?」
ここは無難に答えることにした。なれるかどうかは置いといてだ。
「えっと、なりたいのは、飛行の速さを競う、選手としての飛行魔法使いです」
「そっか、素晴らしい夢を持ってるね…」
「はい、まあ、でもなれるかどうかは分からないですけどね、へへッ」
「なれると思うよ」
リリャがレキ先生の顔を見上げると、とっても優しい眼差しでこちらを見ていた。なんだか、それはとっても励まされて勇気をもらえるそんな表情だった。
「と、まあ、自己紹介もほどほどに、授業を進めていくよ」
それからは退屈なすでに何度も履修した魔法安全学の授業が始まった。
リリャとキアは、ただ、黙って丁寧に教えてくれるレキ先生の授業を聞いていた。
授業が終わるとすっかりあたりは夕暮れ時となり、窓の外はオレンジ色に染め上がっていた。
「それじゃあ、今日はここまで、帰ったら今日やったところしっかり復習しておくようにね」
レキ先生が教室を出て行くと、リリャはキアと二人きりになった。
沈黙の最中、リリャはキアのことが気になって仕方がなかった。同じ補習を受けている以上同じ学年なことは分かっている。それでも、彼女のどこか他の子たちとは違う大人びた雰囲気はどこから来ているのか、ミステリアスな彼女にリリャは興味を引かれていた。
「あ、あの…」
リリャが声を掛けるが、彼女はすぐに席を立つと、教室を出ていってしまった。
「もっと話してみたかった…」
そうやって、退屈な補習の初日が終わりを告げた。
リリャが補習教室を出る。
「リリャちゃん」
顔を上げるとそこには、ルコの姿があった。
「ルコ、どうしてここに?ていうか、いつから?」
「えっと、いつからだろう…」
「まさか、ずっとこの教室の後ろで立ってたの?」
「どうかな、でも、あんまり時間は経ってないと思うよ~」
ルコが焦って視線をリリャからそらしていた。
この調子だとルコはリリャが教室で暇な補習を受けている間、ずっと、教室の後ろに立っていた可能性が浮上してきた。それではまるで自ら罰を受けているようなものではないかと、リリャは思ってしまった。
「ルコ、別に私がいない間、好きに自由時間を過ごしても良かったんだよ」
「うん、でも、私、リリャちゃんがいる方が良くて…」
「それでも、ここで待ってたら、時間の無駄だよ、ルコ退屈だったでしょ…」
「そんなことないよ、待ってる時間も楽しかったよ」
「ど、どういうこと…」
待っているのが楽しいとはどういうことなのか?じっとしていられない質のリリャには悩める感覚だった。
「と、とにかく、リリャちゃんを待ってた時間は退屈じゃなかったってこと、それより、お腹すいてない?一緒に食堂に行こう」
ルコがリリャの手をとって、食堂へと歩き始める。
「今日は、いったことない食堂に行こう!」
「ちょっと、ルコ」
リリャはルコと共に食堂へと向かうことになった。その際、リリャは長い通路の反対方向を歩くキアの後姿を見た。
「そうだ、ルコ、ちょっと食事を誘いたい人がいるんだけどいい?」
そういうと、今度はリリャがルコの手を取って走り出していた。
***
リリャたちが走ってはいけない廊下を全速力で駆けて行く、その廊下の途中にあった教室には、物陰に隠れるようにレキが立っていた。リリャとルコが廊下を走って行く姿を、先生として注意もせず、見送る。
彼女たちが走り去るのを確認したレキは、教室から廊下に出た。
そして、遠くで、キアとリリャが話している姿を見る。
「謳歌したまえ、青春を…」
見据えた過去、宿るは古き記憶。
「黄金姫」
レキは彼女たちとは反対方向に歩き出していた。




