風邪
「リリャちゃん、大丈夫…?もしかして具合とか悪いの?」
寮の傍にある第一食堂で食事をしていたリリャとルコ。気が付けばリリャは頼んだスープをすくったまま目がうつろに虚空を見つめていた。
「リリャちゃん?」
ルコの二度目の呼びかけで、熱でぼうっとする意識を現実に引き戻したリリャは、何とかいつもの自分を取り繕う。
「ああ、大丈夫、それより、ルコ、テストのほうは大丈夫そう?まあ、あれだけやったんだから大丈夫だよね」
リリャがスープを口に運ぶ。だが、熱のせいなのか味も分からなかった。
「リリャちゃん…」
ルコが席を寄せて心配そうな顔をリリャに寄せ、おでことおでこをくっ付けた。
ルコの可愛らしい顔が近くに来て、リリャは少し緊張した。
「すごい熱…リリャちゃん、今日は授業休んだ方がいいよ」
「………」
今日を休むことはそれほど難しいことではなかった。それにテストも今日受けなかったからといって次が無いわけじゃない。また別日に受けて合格なら、それで何の問題もなかった。追試は何度でも受けられし、受けなくてはならない、強制だった。
魔法学園に入学した以上、魔法を使えるようになるためのエーテル孔は開かなくてはならなかった。
「私、ハンナ先生に言っておくから、リリャちゃん、今日はもうお部屋に戻ろう、ルボラさんにも伝えておくから」
「いい」
「え?」
「私、今日は普通に登校するよ」
「だけどその熱じゃ…」
ルコの意見はもっともだった。けれど、リリャは昨日見た夢のことがどうにも引っかかっていた。
「何となくだけど、今日は無理してでもテストを受けるべきな気がするんだ…」
リリャの中に根拠のない予感のようなものがあった。
「それに私、一日でも早く、魔法使いになりたいんだ。せっかく魔法学園にいるのにいつまでたっても魔法が使えないんじゃ、ここに来た意味がないからね」
未だにリリャたちは魔法ひとつすら唱えられておらず、毎日、魔法の基礎知識と魔法に関する安全教育ばかりを受けていた。
ルコがまっすぐリリャの顔を見つめていた。その目はルコの必死の抵抗でもあった。リリャを今すぐにでも寮に戻して休養を取って安静にして欲しいと、そういった訴えの目をしていた。白魔導士を目指しているだけのことはあった。病人を放っておけないのだろう。
「ごめん、ルコ、私のわがまま聞いてくれないかな?」
ただし、ルコは、こういったリリャのお願いには弱い。彼女は白魔導士を目指す自分としての判断と、リリャのお願いに応える自分とで葛藤をしていた。
「本当に辛くなったら、すぐに言って欲しい…私が、すぐに助けるから…」
「ありがとう」
リリャは結局、その日、ルコと一緒に登校することになった。
***
朱雀組の教室に到着する。リリャはすぐに自分の席に突っ伏していた。周りのみんなは教科書片手に必死に今日のテストの為に勉強していた。
ルコはというと教科書すら出さず、ずっと、リリャのことを隣の席から様子を見守っていた。
「あらあら、ずいぶんと、余裕なのですね、リリャさんは」
リリャの席の傍に誰かが立っていた。それはいわずもがな、オルキナだった。取り巻きの二人の女子生徒を連れてリリャ席の傍に立っていた。
「もしかして、昨日は徹夜だったのかしら?それなら、寝不足なのも納得がいきますわ!」
彼女とは自己紹介の時、衝突してからなぜかこのように教室で無駄に話しかけられ続けるようになった。
どうやら、彼女はレイドでも屈指の有名な貴族でルノワール家の令嬢だった。リリャは特に貴族のことについて詳しくないが、彼女は上位貴族というもので、彼女の父親が王城の重要なポジションに勤めているとのことだった。
しかし、貴族などに全く興味のない庶民であるリリャにとって、彼女の存在は煩わしいことこの上なかった。
「ねえ、あなた、わたくしのことを無視するなんていい度胸ですわね?」
「オルキナ…」
干からびた声を絞り出す。
「なんですの?」
「頼むから、静かにしてて…」
その時、教室の扉が開くと、この煩わしいお嬢様を追い払ってくれる狩人が現れる。アガットが教室に入って来る。すると、オルキナはすぐにリリャの元から取り巻きを連れて、後ろの席に戻っていった。
「おはよう、リリャ、ルコ」
「お、おはよう…アガットさん……」
ルコはまだアガットに対してちょっと人見知りをしていたが、それでも、二人の相性は悪くはないようで、リリャがいない時でも二人で話しているところを見かけることはあった。
「おはよう…」
砂漠で干からびた死人のような声を出すと、アガットは驚いたのか、しばらくリリャの様子を見た後、尋ねた。
「風邪か?」
「そんなところ…」
「大丈夫か?かなり具合悪そうに見える」
「大丈夫、やばくなったら、ルコが助けてくれる」
「そうか…」
アガットはリリャの前で立ち尽くしていた。どうしていいか分からない様子だった。そんな彼女にリリャは気遣いながら、通常通りに接した。
「アガット、心配してくれてありがとう、私は大丈夫だよ、それよりも、どうなの?テストのほうは自信ありそう?」
「ああ、問題はないだろうな、リリャとルコのおかげで、ずいぶんと理解が深まったからな」
アガットとも何度か勉強会を開いていた。彼女は読み書きを父親から教わっていたため、リリャやルコたちのように小学校に通っていた程度には教養があった。偏った知識や、独特の学習環境でもあったためか、リリャたちが当たり前のように知っていることを彼女が知らなかったりすることもあった。
だが、そんな彼女も剣術、弓術、狩猟などサバイバルのことになると、リリャたちも頭が上がらなかった。
「そっか、じゃあ、今日のテストをみんなで乗り越えて、さっさと魔法使いになっちゃおうね!」
リリャは空元気を振りまいた。
「エーテル孔を開けただけでは、魔法使いとは言えないのでは?」
アガットの言う通りであった。魔法を出せるような状態になっただけでは、魔法使いとは言えなかった。魔法を出せて初めて魔法使いなのであった。
「そうかも、じゃあ、魔法使いの道、魔導の第一歩だね」
「ああ、お互いに頑張ろうぜ」
アガットが拳をリリャとルコに突き出すと、二人は、その拳に自分の拳を当てていた。
それから、授業開始の鐘が鳴り、ハンナ先生が教室に入って来た。
「それじゃあ、早速で悪いのですが、早速、皆さんにはテストを受けてもらいます」
魔法使いになるための、筆記のテストが始まった。




