オカルトキッチン
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俺のこと、いつでも呼んでいいけんね。
竹丸が自分でそう言ったのだから、と、ほとんど意地悪な気持ちでいつでもどこでも些細な用事で呼び出していたら、「なんかさあ、もう俺たち、正式にお付き合いせん?」と言い出した。竹丸の思考回路が理解できず、西津は絶句して、竹丸の顔を見る。竹丸は、なんでもないようにからっとした笑みを浮かべている。作りすぎた炊きこみご飯を食べにこい、と竹丸を自宅に呼んだときだった。思いの外、幸福そうに炊きこみご飯を食べる竹丸を見ながら、西津は満ち足りた気分を味わっていた。
「現状、俺は西津くんの犬みたいなもんやん?」
直すつもりのない地元訛りで竹丸は言う。西津と竹丸は事務所の同期で生まれ年も同じなのだが、出会ったころから竹丸は西津のことを決して呼び捨てにはしなかった。竹丸は、誰にでもそんな感じなのだ。西津が竹丸の言葉の意味を図りかねていると、
「俺、いっつも、なんでも西津くんの言うこと聞いとるやん? 呼ばれて駆けつけたら、必ずごほうびにごはん食べさせてくれるし。かなり犬っぽいやん。でも、そろそろ恋人になりたい」
竹丸は誇らしげに笑っている。なにがそんなに誇らしいのか。
「おまえの言うとおりにやってるのは、俺のほうだ」
西津は反論する。
「おまえに言われたとおり、動画配信してエピソードトークして、おまえがやりたいって言ったことを全部やってるじゃないか。それに、料理は趣味だ。べつに、ごほうびのつもりはなかった」
西津の反論を意に介さず、竹丸は、
「自分で言うのもあれやけど、俺、結構いい相方よ。西津くんの相方史上いちばんなんやない?」
冗談めかしてそう言った。
「きっと、いい恋人にもなれるよ。いつもどんな無茶苦茶言われても、ちゃんと言うこと聞いとるんやけ、そろそろちゃんと、恋人にしてくれてもいいと思う」
「そもそも、いつでも呼んでいいって言ったのは、おまえのほうだろう。無償だったはずだ。見返りが必要だなんて聞いていない」
西津はそう返す。
「まあ、それはそうなんやけど」
竹丸は言い、
「ところでさ、今日は本当に炊きこみご飯だけが理由? 他にはなんもない?」
確認するように尋ねる。
「ああ。今日は、本当になにもない」
「えー、ないんかあ」
西津の返事に、竹丸は少し残念そうな様子を見せる。
「残念そうにするなよ」
西津は呆れて笑い、そして、
「おまえは、いつもそんなだけど……恋人になりたいっていうことは、俺のことが好きなのか。そういう意味で」
おそるおそる確認の言葉を吐き出す。
「好きよ。当然よ」
薄いくちびるを尖らせて、竹丸は言う。
「ずっと好きやったよ。西津くんは知らんやろうけどさ」
実際、知らなかった。寝耳に水だ。
「知らないままでいたかったな」
西津は情けない気持ちになって言う。竹丸とこんなに長くいっしょにいることなんて想定していなかったため、自分と竹丸の関係性を差し引いても、なぜこんなに我儘放題の自分を竹丸が許容しているのか、ずっと理解できなかった。しかし、竹丸の言葉が本当ならば、竹丸のそれは相方に対してという以上に好きな人間に向けての対応だったということだろうか。西津が、意地悪く我儘をぶつけるのは竹丸に対してだけだ。マネージャーにもこんなふうに無茶を言うことはない。コンビ結成時からずっと続いているそれは、竹丸を信頼しているからというよりも、竹丸が早く自分に見切りをつけて自分から離れて行くことを想定してのことだった。それなのに、竹丸は、どんなに西津が無茶を言おうと、西津から離れようとしなかった。それゆえ、西津は、竹丸への我儘をやめるタイミングを失ってしまっていた。
「西津くんは、すぐ、そういうこと言う」
竹丸は、咎めるような口調で言う。
「そういうふうに、俺を突き放さんでよ」
竹丸の表情が、少し歪む。その歪みが、西津の目には悲痛に映る。竹丸のそんな表情は見たくない。そんな勝手なことを西津は思う。
「恋人って、どうするんだ」
なので、思わずそう尋ねていた。
「いままでとそんな変わらんよ。でも、俺のこと、ちゃんと固有名詞で呼んでほしい」
そんなことでいいのか、と西津は思う。
「西津くん、コンビ組んでから、俺のこといつもおまえって呼ぶやん。名前で呼んでくれんくなったん、なんで?」
竹丸の問いに、西津は答えない。親しい呼び方をしていて情がうつってしまったら、いざ別れがきたときに寂しくなる。そんな理由を、本人に言えるわけがない。西津の俊巡を知ってか知らずか、
「名前呼ぶんが恥ずかしいなら、今日、俺が帰るまでの間でいいけ」
竹丸は言った。べつに恥ずかしいわけではなかったが否定はせず、「竹丸」と名前を呼んでやる。一瞬、ぽかんとまぬけな表情を見せたあと、竹丸は、ぱたぱたとスリッパで小さく床を鳴らした。名前を呼ばれたほうが照れている。
「名前呼ばれたん久しぶりやけ、照れくさい。でも、やっぱりうれしい」
竹丸はストレートにそんなことを言い、そして箸を握り直し、食事を再開した。こんなことでそんなによろこぶ竹丸を、西津は不憫に思う。そんな思いをさせているのは自分だと言うことは棚に上げて、不憫な竹丸のことを、ずっとそばに置いておきたいとも思う。
「うまいか、竹丸」
「うまいよ」
竹丸は答える。ちょっとしたままごとみたいだな、と西津は思い、こんなままごとみたいな日常が、ずっと続けばいいのに、と思ってしまった。しかし、それが叶わない願いであることを経験上、西津は知っている。どんな出会いにも、必ず別れがあるのだ。
西津と竹丸は現在、「オカルトキッチン」というコンビで芸人をしている。ありがたいことに、コンビ結成から数年ほどで、なんとか芸事だけで食べていけるようになった。漫才を主に活動しているが、必要ならば漫才をコントに落とし込むこともある。ふたりともが、そういう表現の形に対してのプライドやこだわりがないため、おもしろければなんでもいい、という芸風になっている。オカルトキッチンというコンビ名は竹丸が決めた。西津が料理好きで、竹丸がオカルト好きだったからという単純な理由からだった。実際、西津とコンビを組む前の竹丸は、ピンで怪談を語ったりオカルト系ニュースの紹介動画を配信するというような活動をしていた。しかし、竹丸自身に霊感があるわけではなく、ただ、そういうコンテンツが好きだというだけだ。竹丸が、西津に対して恋愛感情を抱いたのは、そういう趣味嗜好が関係しているのかもしれない。
「大丈夫やけ。俺のこと、いつでも呼んでいいけんね」
コンビ結成時、竹丸がそう言ったのは、そもそも西津の体質のせいだったのだと思う。西津には、本来見えるはずのないものが見える。聞こえるはずのない音が聞こえる。霊感がある、と、ひとことで言ってしまえば簡単だが、好きでこんな体質なわけではない。他人が認識しているものと、自分だけが認識しているものの区別がつきにくく、西津の精神疲労は癒えることはない。
まだ竹丸とコンビを組む前、西津が三回目に組んだコンビを解散した直後だった。手伝いのスタッフとして参加したライブ帰りにふたりで電車に乗ったときだ。引っ越しをしたいまでもそうなのだが、当時も竹丸とは最寄駅が同じだった。車内はそう混んでいるわけではなかったが、空いている席は見あたらなかった。吊り皮を掴んで立つ西津に、
「席、いっこ空いとるよ。座れば?」
竹丸が言った。しかし、西津には満席に見えている座席の、どの席が空いているのかわからない。きっと、他人には見えていない人物が座っているのだ。そのため、竹丸への返答に一瞬の躊躇いが生じた。
「……ああ、いい。座らない」
短く答えたが、
「座らんけん。西津くん、体調悪いんやろ」
竹丸はなおもそうすすめてくる。実際、その日の西津の体調はあまりいいとは言えなかった。無理してライブの手伝いには参加したが、終わってから一気にだるさが全身を襲ってきていた。
「いい。座らない」
他人の様子までよく見ているな、と煩わしく思いながら西津は返事をする。
「なんで」
「なんででもいいだろ」
「だから、なんでよ。なんでそんな意地張っとるん。空いとるんやけ座ったらいいやん」
「意地を張っているわけじゃない。座りたくないだけだ」
だんだんふたりの声のボリュームが大きくなっていき、ほとんど口喧嘩の域に入っていた。普段なら、周囲への迷惑も考え、こんな言い合いになるまえになんとか誤魔化すのだが、西津は体調不良でイライラしていた。
「座りたくないって、なんなん。倒れたらどうするん」
「うるさい! 俺には満席に見えてんだ。どの席が空いてるのかわからないんだよ。こんなこと言わせんなよ」
自制が効かず、つい感情的にそう言ってしまってから、西津は泣きたくなった。本当に、こんなことは言いたくなかったのだ。竹丸が悪いわけではない。竹丸は、自分のことを心配してくれていただけだ。見えないものが見えてしまう自分が悪いのだ。
竹丸を含む周囲の人たちが、西津の言葉に反応し、ぎょっとしたように座席の一か所に視線を集中させた。
「ああ、あそこが空いてんのか」
西津は呟いた。そこには、スーツを着た若そうな男が無表情で座っていた。車内の視線を一身に受けているが、全く動じた様子はない。空いている席がわかったからといって、心情的に座れるはずもない。西津は、そのまま立ち続けた。竹丸は、もうなにも言わなかった。
竹丸からの電話で、コンビを組もうと誘われたのは、その翌日だった。
西津は、これまで三回ほどコンビ解散を経験している。元相方たちとの方向性や性格の不一致などももちろんあったが、その多くは西津の体質ゆえの噛み合わない言動を気味悪がられてのことだった。少なくとも、西津はそう感じていた。だから、竹丸からの誘いも最初は断っていた。芸人という仕事も、もうやめるつもりだった。そのころは、まだ生活費のほとんどをアルバイトで賄っており、芸人としての収入は微々たるものだったからだ。
「でも、俺もう芸人やめるから」
そう言って断ったのだが、
「やめるのやめんけん。もったいないよ、西津くんのネタおもしろいのに。俺と組んで、芸人続けてよ。俺、西津くんのネタ好きやもん」
「初めて聞いたけど」
「伝えたんは初めてやけど、ずっと、好きって思っとったよ」
竹丸はしつこかった。西津が何度断っても、諦めなかった。芸人をやめたとしても、他にやりたいこともまだ見つかっていなかった西津は、結局、竹丸と組んでみることに決めたのだ。きっとこれが最後のコンビだろう、と西津は考えていた。このコンビが解散するなら、自分もそのときは芸人をやめようと決めた。そして、きっとすぐにそうなるだろうとも、いままでの経験から思っていた。そういうわけで、
「おまえと、組んでみることにする。どうなるにしろ、おまえが最後の相方になるよ」
電話で、ほとんど投げやりにそう伝えた西津に、少し言葉に詰まったのち、竹丸が言ったのだ。
「……西津くん、大丈夫やけ。俺のこと、いつでも呼んでいいけんね」
なにが大丈夫なのか疑問に思ったが、その言葉に、
「おまえ、絶対、後悔するぞ」
西津は、半ば本気でそう返した。
しかし、最初に竹丸を呼び出したときは、竹丸の言葉など意識してはいなかった。自宅のベランダからなにか重いものでも引きずっているような音が聞こえてきたときだ。この部屋は三階で、ワンルームのベランダは狭いはずなのに、引きずる音は絶え間なく聞こえる。きっといつものやつだ、と西津は思うが、夜中にひとりきりだとやはりざわざわと不安な気持ちになる。窓を開けて確認する気にはならない。この上、なにか見てしまってはきっと後悔するだろう。なんとか気持ちを落ち着かせようと、西津はキッチンに立った。集中して野菜を刻み豚汁をつくってみる。西津が料理を好きなのは、集中してつくっている最中は煩わしいことを忘れていられるからだった。しかし、それも作業をしている間だけだ。料理が完成したら、またざわざわとした不安がぶり返してきた。音はずっと聞こえている。西津は、誰か話し相手になってくれそうな相手を携帯端末から探す。そんな気安い存在は、やはり竹丸なのだった。
「どしたん?」
すぐに通話に応じた竹丸が電話口で言った。
「いや、なにもないけど、ちょっと」
口ごもった西津に、
「なんか見たん?」
竹丸がなんでもないことのように言う。
「見てない」
見ていないが、聞いた。しかし、西津はそうは言わず、「ちょっと、このまま話したい」とだけ言った。
「いまから西津くんち行こうか」
そう言われて、西津はやっと、「いつでも呼んでいいけんね」という竹丸の言葉を思い出した。ちょうど豚汁もある。
「うん」
西津は竹丸の言葉を肯定し、竹丸は十分ほどで西津の部屋のチャイムを鳴らした。
「エロいことしたり考えたりしてたら、心霊現象ってどっか行くんやって」
玄関の扉を開けると、第一声、竹丸が言った。
「なんだ、それ」
「オカルト好きの間では、結構有名な対処法なんやけど。エロいことって根っこに生命を感じるけ、死者はそういうのが苦手なんやないかって話なんやけど」
「へえ。そういうのって他にもあるのか?」
「ファブリーズが効くって。あと、全裸になって自分のケツを叩きながら、『びっくりするほどユートピア』って叫ぶといいんやって」
「本当かよ」
そう言って、あまりのバカバカしさに西津は笑った。竹丸がきてくれたことにより気が紛れて、さっきまでのざわざわした気持ちが落ち着いてきたのだ。しかし、音がやんだわけではなく、
「窓の外、ベランダのほうからなにかを引きずるみたいな音がしてる」
西津は意を決して竹丸にそう訴えた。
「いまも聞こえとる?」
「ああ、聞こえる」
竹丸の問いに、西津は即答する。
「俺には聞こえんよ」
西津は、そうだろうな、と諦めに似た納得をする。竹丸がカーテンを開け、さらに窓を開けた。
「なんもないね」
そう言う竹丸の向こう、ベランダに逆さにぶら下がった女が、頭や腕をコンクリの床に擦りつけるようにして揺れている。そのせいか頭髪はまだらで、頭皮には血が滲んでいるようだった。目が合った。西津は息をのんだ。竹丸が窓とカーテンを閉め、西津のほうを向く。女は物理的に見えなくなったが床に身体を擦りつける音は消えない。
「西津くん?」
西津の様子に気づいた竹丸が呼びかける。西津は返事ができなかった。
「西津くん」
近づいてきた竹丸の腕が西津の腰に回った。大丈夫だ、と口を開きかけた西津に、竹丸が口づける。驚いて固まってしまった西津の視界と脳内は、舌まで挿し込んで妙に丁寧にキスをする竹丸の存在だけになる。音のことなんて忘れて、竹丸の感触だけが浮き彫りになった。
「西津くん、エロいことしてみん?」
唇を離した竹丸が言い、
「やだよ」
西津は言う。
「おまえ、俺で除霊の実験しようとしてるだろ」
「それもあるけど、それだけやないよ」
竹丸の言葉はツッコミどころしかなかったが、もう音が聞こえないことに気づいた西津は、「音、消えた」と呟く。
「ほんま?」
「ああ。もしかして、効いたのか」
納得できない気持ちで西津は言い、
「えー、ほんまなん」
竹丸は自分で言い出したことなのに疑わしい声色で言い少し笑った。
「ほんまなら、すごいけど」
「なんにしろ、よかった」
竹丸に、ありがとうを言おうと口を開くが、キスをされて礼を言うのが急激に恥ずかしくなり西津はそのまま口を閉じた。竹丸は西津の手を取り、
「西津くん。こういう体験、ライブとかでもっと話してかんけん。怪談っていうか、ちょっと怖いエピソードトークみたいな感じで、実話怪談、どんどん話してかん?」
「いやだ」
西津は即答する。幼いころから、この体質のせいで気味悪がられたり、嘘吐きだと軽蔑されたりした。いままでの相方でさえも、西津の言動をおかしいと言った。その傷は根深い。いまさら、自分の負の体験をわざわざ話す意味がわからない。
「恐怖をエンタメ化するんよ」
竹丸は言う。西津の手を握る力が強くなる。
「体験談って強いんよ。怪談収集せんでも、自分のエピソードトークでいけるんやもん。いま、オカルト系のコンテンツって人気やし、きっと西津くん、いろんなイベントに呼ばれるよ。俺、正直、西津くんが羨ましいわ」
竹丸の言葉を黙って聞いていた西津は、羨ましいという言葉で頭に血がのぼってしまった。
「羨ましいとか、よくもそんな軽々しく……俺が、ずっと、どれだけしんどい思いしてきたか、おまえ知らないだろ!」
思わず怒鳴ったその語尾は、涙に揺れた。そのとき、となりの部屋からクレームの代わりに壁を叩かれ、ふたりの肩がびくっと跳ねた。
「確かに、西津くんの過去のことは知らんよ。けど、出会ってから俺はずっと西津くんのこと見てきたけん、西津くんはなんか俺には見えんもん見えとんかなって思うことあった。やけ、あの日の電車で納得した。西津くんずっと、俺とはちがう景色を見よったんやなって」
声のトーンを落として竹丸は言う。
「西津くんの様子を見とったら、生きづらいんやろうなって想像はできるよ。やけ、見てるだけをやめて、いっしょにやろうって決めたんやもん」
「俺とコンビ組みたいって、同情だったのか。俺のこと憐れんでたんだな」
「正直それもある」
「それもあるのかよ。否定しろよ」
「西津くん、あのとき芸人やめそうやったし、絶対やめさせたくなかった。西津くんの体質って、絶対エンタメ向きやもん」
「体質って、おまえ、俺のつくるネタが好きなんじゃなかったのかよ」
「ネタも好きよ。でも、西津くんの体質も、それとはちがうベクトルですごいやん」
竹丸の言葉に嘘は感じられず、純粋に西津の体質をすごいと思っている様子がうかがえた。
「自分では、よくわからない」
西津は正直に言った。
「単純に考えたらいいんよ」
竹丸は言う。
「せっかく、他の人に見えんもん見えよんやけ、利用せんけん。西津くんのその体質は、西津くんだけの武器やもん」
西津は、竹丸の言うことを真剣に考え始めていた。煩わしいだけだと思っていたこの体質を、竹丸は羨ましいと言う。利用しろと言う。勝手なことを、と思った。
「それに、エピソードトークのネタができるって気持ちでおったら、心霊現象もそんな悪くないやろ?」
その言葉に納得しかけている自分にも苛立つ。
「豚汁、食べる?」
「食べる」
西津の唐突な問いに、竹丸は即答した。
「いま、あっためるわ」
キッチンでコンロの火を調整しながら、西津は思う。そんなに言うなら、竹丸の言うとおりにしてやろう。うまくいかなくても、竹丸のせいだ。それにもともと自分は芸人をやめるつもりだったのだ。やめるつもりで、なんでもやってやろうという気になった。
「おまえ、いつでも呼んでいいって言ったよな」
「うん」
竹丸は、ローテーブルを前に胡坐をかいて座り、豚汁の椀を受け取りながら頷いた。
「本当に、やってやるからな」
「期待しとるよ」
西津の意地悪い言葉をどういう意味で受け取ったのか、竹丸はそんな返事をした。
それ以来、変なものを見たり聞いたりしたときは、なにかと理由をつけて竹丸を呼び出している。竹丸が到着するまでの間、西津は料理に集中する。竹丸は文句も言わず西津のもとに駆けつけ、西津のつくった料理を食べ、それだけではなんだからと、エピソードトークを怪談風に組み立てる手伝いをしてくれる。解散ばかりしていたとはいえ、一応コンビで活動していた西津は、ひとりでしゃべることにあまり慣れていなかった。竹丸は西津と組むまではピン芸人として活動しており、しかも怪談語りの動画配信もしていた経験もあるため、西津よりはそういうことに慣れていた。まず、コンビの動画配信アカウントをつくり、そこで配信する動画を撮影することにした。芸人仲間と同居している竹丸の部屋でコンビの動画を撮影するわけにはいかず、撮影場所は消去法で西津の自宅になった。機材などは竹丸が使っていたものをそのまま使うことにして、構成をふたりで考えた。まず西津が幼いころから積み重ねてきた恐怖体験を簡単に竹丸に話して聞かせ、その中から竹丸がよさそうなものをピックアップし、ふたりでストーリーを組み立てて怪談に直した。完成したその怪談を西津が語り、竹丸が聞き役で質問や相槌を打つという役割で動画を撮影し、実験的に何本か配信した。オカルト系のコンテンツが人気だと言った竹丸の言葉はどうやら本当だったらしく、再生回数はじわじわと伸びていった。
西津が怪談を語っていると、必ずといっていいほどなんらかの心霊現象が起こる。その現象は、西津だけが感じることがほとんどだったが、たまに機材が拾うこともあった。西津はそれをあまりいいことだとは思っていなかったが、しかし、そういうときに再生回数がぐんと伸びるのだ。
動画の撮影中に起こる現象のせいで、西津が不安そうにしていると判断した場合、竹丸は西津にただキスをすることがある。西津も、それを拒むことはない。竹丸のキスで、心霊現象を感じなくなるからだ。しかし撮影中のことなので、後々の編集作業が面倒くさいことになる。ひどいときは、撮り直しになることもあった。そういうことを続けていくうちに、キスをすると心霊現象を感じなくなるわけではなく、竹丸にさわるだけで感じなくなるのだとわかってきた。西津は怪談を語るとき、ほとんど無意識にとなりに座る竹丸の手首を掴むようになった。生活感のあるワンルームで、相方の手首を掴んだ状態で実話怪談を語る芸人の動画がゆるゆると話題になり始め、オカルトキッチンは、オカルト系のイベントや配信を始め、テレビ番組にも呼ばれるようになった。同時進行で漫才のネタをふたりで考え、事務所のライブで何本か披露し、そのときの客席の反応を見て手直しをしながら完成形を目指し、さらに新ネタも考えた。そのうち、テレビのネタ番組のオーディションにも呼ばれるようになり、何度かテレビで漫才を披露する機会にも恵まれた。
そんなに言うなら、竹丸の言うとおりにしてやろう。そんな考えで始めた些細なことが、どんどんいい方向に転がっているような気がする。竹丸の言うとおりにしていたら、アルバイトをしなくても食べていけるようになった。少し広い部屋に引っ越しもした。竹丸の自宅から離れるのは心情的に抵抗があったので、西津は、いままでと同じ最寄駅の範囲内で部屋を探した。
「西津くん、キスせん?」
なにを言い出すのか、と西津は思う。この日も仕事終わりで竹丸を自宅に呼び、体験した現象を怪談として組み立てていたときだ。ストーリーの構成が決まり、西津はノートパソコンで流れを暗記するための台本を打ちこんでいた。西津の裸足の足の裏は、ローテーブルを挟んで向かい合って座る竹丸の膝にくっついていた。ふたりきりのときは、必ずどこか身体の一部が触れているという変な状況になってしまっている。
「なんで、急に」
キーボードを叩きながら西津は疑問を口に出す。
「最近、ずっとしとらんもん」
「さわってるだけで効くんだから、べつにしなくてもいいじゃん」
「俺をパワーストーンみたいに言うやん」
「そのたとえ、合ってんの?」
「恥ずかしいん?」
「恥ずかしいとか、そういう問題じゃないって」
そう言って顔を上げた瞬間、いつの間にかとなりに移動していた竹丸の顔が、すぐ近くにあった。そのまま普通にキスをされて、西津の心臓は、ひとつ大きく波打った。そのまま、脈拍が細かく早くなる。竹丸の舌が西津の舌に触れ、ゆっくりと動く。ふざけているにしては性的に刺激してくるような動きだ。
「よく平気でこんなことができるな」
唇が離れ、とがめるように西津が言うと、「平気ではしとらんよ」と返事がある。
「じゃあ、どういうつもりでしてるんだよ」
それには答えず、竹丸はもう一度、キスをしてきた。
「こんなこと言うの、よくないかもしれんけど」
唇を離し、竹丸は言う。
「気持ちいいんよね」
その言葉に西津は呆れ、少し笑ってしまった。
「おまえって、そんなやつだっけ」
「結構、そんなやつよ」
竹丸は、あっさりと言い、邪気なく笑う。これが、あたりまえになるのが怖い、と西津は思う。どうしても、いつかくるはずの別れのことを考えてしまうのだ。
竹丸の顔をじっと見つめていると、
「なんか、ネガティブなこと考えよるやろ」
そう言われて、慌てて視線をそらす。
「西津くん」
呼ばれて、いつの間にか滲んでいた涙を指で拭われた。
「キス、嫌やった?」
「いや」
西津は、短くそう言って、再びキーボードを叩き始める。竹丸は、西津の肩に頭を置いて、ノートパソコンの画面を見ていた。
「西津くんはさあ、なにがそんなに不安なん?」
竹丸がふいに発した問いに、西津は答えなかった。
「俺にも言えんのん?」
竹丸は寂しそうに言った。西津はやはり黙っている。
「悲しいな」
竹丸はぽつりと言い、身を寄せるように西津の胴に腕をまわす。そんな竹丸を、西津は不憫に思ってしまう。
その態度とは裏腹に、西津にとって、竹丸はおまもりみたいなものだった。本当にパワーストーンなのではないかというくらい、竹丸が近くにいるだけで安心する。竹丸をさわってさえいれば、変なものを見ずにすむ、聞かずにすむからだ。だが、その変なものをネタに実話怪談を語らなければならないため、その安心を自ら捨てなければならないときもある。それも、仕事だと割り切れば以前よりは気に病まなくなった。
ときどき、自分は竹丸の傀儡なのではないかと思うことがある。西津が現在やっているオカルト系の仕事は、きっと竹丸が自分でやりたかったことだ。竹丸は、自分のやりたいことを西津にやらせているだけに過ぎないのではないか。それは、親が、かつての自分の夢を子に託すという、あのいびつな関係にどこか似ている。もし、そうだとしてもべつにいい、と西津は思い直す。竹丸が自分のおまもりになってくれるかわりに、自分は竹丸の傀儡になろう。
「なんかさあ、もう俺たち、正式にお付き合いせん?」
そう覚悟を決めたころの、竹丸のこの言葉だ。西津は混乱した。自分は竹丸にとって趣味と実益を満たす便利な道具のようなものだと思っていた。そして、西津はそれに徹しようと思い始めていた。それなのに、急に恋人になりたいなどと言い出した。
「西津くん」
キッチンで盛りつけ作業をする西津の胴に後ろから腕を巻きつけ、密着した状態で竹丸が言う。今日は呼んでいないのだが、竹丸は自発的に西津の自宅にやってきていた。
「好きよ」
「うん」
西津はただ頷いた。密着した竹丸の身体が邪魔だな、と思うが、西津はそれに関してはなにも言わない。竹丸の言動は、もう西津への好意を隠そうとはしておらず、それを示すような行動はだんだんエスカレートしていっている。
「西津くんは?」
切実な感じに問う竹丸の声を聞きながら、西津は言葉を飲み込む。
「黙るんやね」
そう言って、竹丸は西津の首の後ろに鼻先を擦りつけ、そして、やんわりと噛みついた。
「なにしてるんだよ」
静かに苦情を訴えると、
「好きっていっぺん口に出してしまったら、もう我慢できんくなったんやもん。でも我慢せんといけんけ、こういうことになるんよ」
言ってる意味がよくわからなかったが、西津はその疑問を口にしようともせず、竹丸の拘束を解き、
「よし、食べようか」
料理を盛りつけた皿を竹丸に渡した。
続くわけがないと思っていた日常が、ゆるゆると続いていく。そろそろ西津も、気づき始めていた。竹丸は、自分を気味悪がっていたいままでの相方たちとはちがう。竹丸は、オカルト好きだ。つまり、西津はこの体質だったからこそ、竹丸に選ばれたのだといえる。
「おまえって……」
「うん?」
食事を終え、キッチンで食器を洗う竹丸から洗い終わったそれを受け取り、布巾で拭きながら西津は口を開いた。それから、竹丸の「ちゃんと固有名詞で呼んでほしい」という言葉を思い出し、言い直す。
「竹丸って、オカルト好きじゃん」
「うん」
「コンビ組もうって思ったのは、俺がこういう体質だったから?」
以前にも同じようなことを話した気がする。あのときは喧嘩腰だったけど、などと思いながら、西津は確認するようにそう尋ねた。
「いやあ」
竹丸は西津の言葉に曖昧な返事をする。
「正直、それもあるにはあるんよ。でも、おまけみたいなもんでさ。俺はね、コンビじゃなくても、ただ西津くんのそばにおりたかったんよね。コンビ組みたいって思ったのは、西津くんの体質がきっかけやけど」
「そばに……っていうのは、俺のこと好きだから?」
「あー、それももちろんなんやけど、あの日、あの電車で西津くんのこと可哀相って思ってしまって。そのとき、決めたんよね。生きづらそうで可哀相な西津くんのとなりにおりたいって思ったんよ」
「ナチュラルに可哀相がるなよ。あまりいい言葉じゃないんだから」
言葉にしないだけで、竹丸のことを不憫に思っている自分を棚に上げて言う。
「そうなんやけど。でも、可哀相なのがおもしろいし、かわいいんやもん」
竹丸のその言葉を聞いて、そうか、と西津は唐突に理解した。自分も同じだ。自分も、竹丸のことをかわいいと思っていたのだ。
「わかる」
ひとことそう言った西津の言葉に、「え、わかるん」と、竹丸はおかしそうに笑った。
「俺のこと好きなのって、この体質のせいか」
「それは、ちがうよ。西津くんがこういう体質って知らんときから好きやったもん」
その言葉に、少しほっとしている自分に気づいて、西津は戸惑う。左どなりの竹丸の顔を見る。食器を洗い終わってタオルで手を拭いていた竹丸が視線に気づき、西津を見た。竹丸はにこっと笑って、西津の腰に手を回すと、自然な仕草でキスをする。舌先がふれ合い、離れる。
「西津くん、俺がキスしても嫌がらんよね」
「気持ちいいからだよ」
竹丸の言葉にそう返すと、竹丸は、「えっ」と小さく呟いて顔をじわっと赤くした。
「なんで照れるんだ」
西津としては、以前、竹丸に言われた言葉をそのまま返しただけだったのだが、竹丸が見せた反応を意外な思いで眺めた。そんな竹丸につられたのか自分の顔も熱くなっていくのがわかる。西津は竹丸から顔をそらし、リビングへ移動する。ソファに座ると、竹丸もとなりに座る。
「西津くん、好きよ」
「それしか言えないのか」
「うん」
竹丸は短い返事をして、西津にキスをする。
「気持ちいい?」
甘ったるい声でそう言いながら、再び口づけようとする竹丸を押しとどめ、
「おまえ、わかりやすく調子に乗るよな」
西津が抗議を兼ねて言うと、
「だって、あんなこと言われたら、調子に乗らずにおられんて」
戸惑ったような、だが、よろこびに満ちているようにも見える表情で見つめられ、西津はやはり竹丸を不憫に思う。不憫な竹丸を、かわいいと思う。なぜ自分が、竹丸に対してそんな感情を抱くのかはわからなかった。自分の感情はわからなかったが、竹丸が西津のことをおそらく本当に好いているのだということはわかった。なので、竹丸の再度のキスを受け入れ、そのままにソファに押し倒されても抵抗はしなかった。竹丸の冷たい手が服の中に侵入してきても、その冷たさに身じろいだのみだった。頭の中では、こいつ、どこまでする気なんだろう、と冷静に考えていた。一度、竹丸のやりたいように全部やらせてみようか、とも思っていた。それが嫌だという気持ちはなく、純粋な興味のみで、西津は竹丸の愛撫を拒まず受け入れた。
「なんで」
西津のスウェットパンツに手をかけたところで竹丸は急に動きを止めひとことそう言うと、西津の身体に跨った状態で身体を起こした。
「西津くん、なんで嫌がらんの?」
なぜそんなことをいわれなくてはいけないのか、西津は理解できず、
「なんでって、なんで」
こちらを見下ろす竹丸を仰ぎ見ながら、同じ質問を返す。
「こわ。こわいわ。嫌がってよ、抵抗してよ」
「なんで?」
「だって、こわいやん。このままやったら俺、したいこと全部してしまう」
「そうするつもりじゃなかったのか」
「西津くんが止めてくれると思いよった」
「止めないよ。べつに、なにされてもいいし」
何気なく発した西津の言葉に、竹丸は固まってしまい、西津はその様子をただ眺めた。
「今日はもう帰るね」
そう言って、西津の身体から離れた竹丸に、
「わかった」
西津も身体を起こしながら頷き、乱れた衣服を少し整える。
「西津くん、ひとりで大丈夫?」
「うん。なんかあったら呼ぶし」
「そうして。いつでも呼んでいいけんね」
西津の言葉に、竹丸は少しほっとしたように返事をした。
夜、仕事を終えた西津は、ひとりで帰宅した。あの日以来、なんとなく竹丸がこちらに対して気まずさを感じている様子だったので、最近はよっぽどのことがない限り、家に誘ったり呼びつけたりはしないようにしていた。どうやら竹丸は、西津に対して申し訳ないという思いがあるらしい。仕事や動画の撮影などもあるので完全にお互いを避けるということはないが、以前のようにべたべたした気安い関係ではなくなってしまった。なにか見えたり聞こえたりすると、相変わらず西津は竹丸の身体のどこかをさわるのだが、それに対して、竹丸が笑顔ではなく困ったような表情を向けるようになってしまった。そのことを、つらい、と思ってしまう自分とどう向き合えばいいのか、西津はわからずにいた。元に戻っただけだ、と思うのだが、もう竹丸のいる安心感に慣れてしまっていて、自分自身が元に戻れそうにない。
悶々としながら鍵を開け玄関の扉を開くと、女がいた。頭髪は五分刈りで、病院着のようなものを着ている。玄関からすぐのキッチンで、女はリビングへの扉を塞ぐような場所に立ち、ぼんやりとした表情で身体を左右にゆっくりと揺らしていた。引っ越し先の新しい住居で人の形をしたものをはっきりと見たのは初めてだった。竹丸といっしょにいるようになってからは、心霊現象を感じることは減っていた。すっかり油断していたころ、唐突に現れたそれに、西津は慌て、玄関の扉を一旦閉めて外に出た。そして、竹丸に電話をかける。これは、よっぽどのことだと西津は判断した。女を押し退けて部屋に入る勇気はなかった。
「なんか見たん?」
駆けつけた竹丸が、そう尋ねるのに被せるように、
「玄関開けたら、女がいた。キッチンに」
西津は早口に言う。発した自分の声が震えているので、改めて恐怖を実感する。
「どんな人? はっきり見えるん?」
軽い口調でそんなことを言いながら、竹丸が確認のために玄関の扉を開けた。西津は竹丸の手首を掴み、いっしょにキッチンを覗き込んだ。やはり、女がいた。先ほどと同じように左右に揺れている。おかしい、と西津は思う。竹丸にさわっているのに、まだ見える。竹丸の効力が薄くなっているのだろうか。竹丸はそのまま無言で扉を閉めた。
「西津くん、鍵かけて」
硬い声で竹丸が言った。
「え、なんで」
「早よう」
言われるままに、西津は玄関の鍵をかける。
「そのままドア押さえとって」
「え」
疑問の声を発しながら、西津は素直に扉に体重をかける。その瞬間、内側からドン、と強い衝撃を受けた。
「西津くん、あの人、生身やって」
いっしょにドアを押さえながら竹丸が言った。
「え」
「俺にも見えるもん」
その言葉に、西津の頭は真っ白になる。どうしたらいいのかわからず、無言でドアを押さえ続けた。
「けいさつけいさつけいさつ、ひゃくとーばん」
竹丸のほうは、やっと絞り出したような声で早口に言いながら、片手で自分の携帯端末を操作していた。
警察の到着を待つ間、マネージャーにも連絡し、事情を説明した。自分たちだけではどうすればいいのかわからない。マネージャーもすぐにきてくれるという。
警察が到着し、女は抵抗する様子もなくパトカーに乗せられた。西津と竹丸はその場で事情聴取を受ける。程なくしてマネージャーも到着し、付き添っていてくれた。盗られたものがなにもないということを確認し、結局、女は、鍵の開いていた西津宅にたまたま入り込んだのだろうという感じの結論になりつつあった。また話を聞くことがあるかもしれないということと、戸締りはちゃんとしてくださいね、という注意を受け、西津はわかりましたと神妙に答えた。
マネージャーがホテルを取ってくれたので、朝までそこで過ごすことになった。なぜかホテルに宿泊する必要のない竹丸もいっしょだ。おまえは家に帰ったらどうだ、と、なんでもないときの西津なら言ったのだろうが、今日は竹丸がいっしょにいてくれることがありがたかった。
ホテルの部屋でやっと人心地ついたと思ったら、部屋の隅に中年期くらいの裸の男がうずくまっているのを発見してしまう。
「竹丸、今日、いっしょに寝て欲しい」
西津が言うと、竹丸は一瞬驚いたような表情をした。その後、すぐに笑顔になって、
「べつにいいけど、ツインなのにもったいなくない?」
などと意地悪っぽく言う。
「もったいなくない。そこのすみっこに全裸のおっさんがいる」
「えっ」
声を上げて、竹丸は西津が示した部屋の隅に視線を向ける。
「俺には見えない」
「そうか、よかった」
西津は言い、竹丸の腰に手を回し、そのまま竹丸にキスをする。男の姿が見えなくなる。
「竹丸がいて、よかった」
「どうしたの、急に」
「いてくれて、ありがとう」
「ほんまに、どしたん。なんかこわい」
戸惑っている竹丸の様子を笑い、西津は眠るための準備を始める。
交替でシャワーを浴び、歯みがきを済ますと、片方のベッドにふたりで潜り込んだ。真っ暗にするのは躊躇いがあったので、ベッドサイドのライトだけは点けたままだ。
「おまえとも、きっとうまくいかないと思ってた」
「なに、コンビの話?」
「うん。すぐに解散するんだろうと思ってた」
「なめんなよ。そんなわけないやん」
「だから、無茶ばっか言って、おまえを突き放した。きっと離れていくだろうと思って」
「なめんな。離れてくわけないやん」
「そう思ってたのに、だんだん、おまえと離れるのが怖くなった」
「離れるなんて、ありえんて」
「別れが怖いから、本当は、必要以上に親しくしたくなかった」
「別れなんて、死別以外にないよ」
「おまえは、なんというか、意志が強いな」
西津のネガティブな言葉に、逐一力強い返事をくれる竹丸が、いまではとても心強い。
「ほめとる?」
「ほめてるし、感謝してる」
ベッドに並んで横になった状態で触れあった肩に、西津は安心感を覚える。
「俺には、竹丸が必要だ」
「それは、俺がパワーストーンやから?」
「おおむね、そう」
「あ、そうなんや。パワーストーンでよかった」
「でも、まだ竹丸がパワーストーンだって知らなかったとき、おまえがうちにきてくれて安心した。おまえがパワーストーンでもパワーストーンじゃなくても、どっちでもいいよ。俺を安心させるために一生そばにいてくれよ」
「すごい、自分勝手な」
竹丸が言う。
「うん」
自覚はあるので、西津は頷いた。
「自分勝手なプロポーズやね」
しかし、そう続いた竹丸の言葉に、
「……そんなつもりはなかった」
西津はあっけにとられる。しかし、冷静になって考えると、確かに自分の発した言葉はそう受け止められかねないものだった。
「でも、西津くんが俺のこと、そうとう好きってわかったから、ありがたくそのプロポーズを受けるよ」
「それは、どうもありがとう」
「でも、うれしい。西津くんて、別れがこわくなってしまうくらい、俺のこと好きなんや」
明らかに調子に乗っている竹丸の様子に、西津は肯定することを放棄して黙る。竹丸がいま、どんな顔をしているのか気になり、西津は顔を竹丸のほうへ傾けると、同じように西津を見ていた竹丸と目が合った。
「俺が西津くんから離れるなんてありえんよ。今後、もし西津くんが俺から離れることがあっても、俺は西津くんに無理矢理にでもくっついてくけんね。別れなんて死ぬまでこんよ。西津くんが走って逃げても、俺は犬みたいに追いかけるけ。大丈夫やけ」
一生懸命な様子でそんなことを言う竹丸のその目は、ずっと見ていたいと思うくらいにきらきらして、よろこびに満ちていた。悲しい顔をさせるよりは、自分は竹丸にこういう顔をさせたかったのだ、と西津は気づく。ずっとこういう顔をしていてほしいのだ。
竹丸が身体を横にし、西津にキスをする。西津も体勢を変え、それを受け入れた。
「西津くん、俺のすること全然嫌がらんけど、嫌なときはちゃんと嫌がらんといかんよ。こないだ、なにされてもいいって言いよったけど、普通そんなことないやん」
「べつになにされてもいいけど、いてほしいときに、竹丸がいないのは嫌だ」
竹丸は一瞬言葉に詰まった様子で、「ああ」と、ため息みたいに小さく声を発する。
「西津くん、うれしいことばっか言うやん、今日」
「こんなことでうれしがって、可哀相だな」
「西津くんも、こんな目に遭って可哀相やん」
そう言い合って、ふたりで少し笑う。
「誰だったんだろうな、あの人」
「ストーカーって感じやなかったよね」
「うん、患者さんて感じだった」
「どっかの患者さんだったんかな」
布団をかぶり、ぽつりぽつりとそんな話をする。
「西津くん。一応、確認するけど、俺の恋人になってくれるってことでいいんよね」
急に甘ったるい声を出し、竹丸が言った。
「恋人になるし、いっしょに住みたい」
即答した西津に、
「え、いいけど」
竹丸は驚いたように言い、そして、
「それ、自分がこわいけ言っとらん?」
疑いを含んだ様子でそう続けた。
「そうだよ。怖いからだよ。あんなことあったら怖いだろ、普通。もうあの部屋いられないよ。引っ越すから、同居しよう」
西津はその疑いをあっさりと肯定する。
「いっしょに暮らしてくれよ。おまえ、俺のパワーストーンだろ」
「まあ、理由はなんでもいいや。いっしょに住むのは賛成」
竹丸はうれしげにそう言うが、西津はおそろしいことを思い出してしまい、それどころではなくなっていた。なので、その恐怖を吐き出すように訴える。
「警官に戸締りちゃんとしてねって言われたけど、俺、ちゃんと鍵かけてたと思うんだよ。玄関開けるとき、ちゃんと鍵も開けたもん。密室だったんだよ、あの部屋。あの人、どこから入ったんだよ。もう嫌だ、怖い」
「……それ、ほんまに?」
「うん、ほんま」
竹丸の言葉を真似て言う。
「こわいこと言わんで」
そう言って、竹丸は西津の身体を引き寄せ、ぎゅっと強く抱きしめた。
「西津くん、落ち着いて。鍵はやっぱり開いとったんよ。あの人が中に入ってから鍵をかけたんよ」
竹丸の言葉を、西津は、「うん」と短く頷き、「そうかもしれない」と少し安心する。
「いいぞ、竹丸。そんなふうに、一生、俺を安心させ続けてくれよ」
「ものすごいわがまま言う」
竹丸は笑い、「好きよ、西津くん」と、赤ん坊に言うようにやさしく呟いた。
「おまえが、コンビ誘ってくれてよかった」
「やろ?」
「竹丸が、俺のこと好きでよかった」
「それは、ずるいわ」
竹丸の体温に包まれて、西津は安心しきって目を閉じる。
了
ありがとうございました。