1917年
「ファティマの聖母よ。聞いたことあるでしょ?」
私の台詞に、剛は怪訝そうな顔になる。
その顔に、私はモヤる。
何か、一般人から外れた、オカルト好きの怪しげな人物になったような疎外感がする。
だからと言って、克也のようにポンポン理解して返答してくる奴と話しても、逆の意味でモヤるのだけど。
一向に納得しない剛にイラつきながら、私は続けて話した。
「忘れたの?昔、アンタが好きだったドラマでも出てきたワードだよ。」
そのドラマを検索して剛に見せた。
そう、ファティマの予言はマイナーな話題ではない。ラノベでも、アニメでも、ちょくちょく聞くわりとメジャーな予言である。
調べながら、かのドラマが2012年まで色々、リリースされていたのを確認する。
終末論の終わり…
2012年12月12日…
マヤ歴の終わりと共に、私達は滅亡論に興味を失って行く。
その前後、異常気象や災害で、そのジャンルに現実逃避の魅力が無くなったからかもしれない。
滅亡予言がヒットする世の中は、豊かな社会なんだろうな。
私は、中学生から青年期の…高度成長期からバブル崩壊までの輝く日本を思い返した。
「ああ、懐かしいね。俺、これ見てたよ。リカちゃん可愛かったなぁ…」
剛は主演女優の画像に出れている。
「そうよ、うん。ファティマはアンタも知ってるくらい有名な話なのよ。」
私は、女優の笑顔と、ドラマの思い出に自信をもらう。
なんか、ネットでも話題になってたし、ファティマを語っても、危ない人物には見えないハズだ。
「ふーん。」
剛は興味無さそうに女優を見つめながら、生返事をする。
こ、コイツ…
こにくたらしい所まで完全再現した剛にあきれながらも話を続けることにした。
恥ずかしくもあるが、しかし、他者との会話をすると、客観的な考え方も出来るようになる。
そう、西条八十の話なのだ。
そこに、直接ファティマは関係ない。
繋ぎの人物がいる。
吉江喬松…フランス文学者で、早稲田大学教授。
西条八十の恩師であり、彼と同人誌『聖杯』を創刊させた日夏耿之介の恩師であり、同郷でもある。
この吉江先生が長野県出身だったので、信州の学園ものにも手を出していた私は、深堀を始めたのだった。
まあ、それはともかく、日夏先生はゴジック浪漫の作家で、オカルティスト。
西条先生と活動した後の活動が、ガチのようだが、同人誌に『聖杯』なんて名付ける辺り、もう、この頃から、オカルトの影響を感じた。
まあ、ドイルが心霊研究するくらいなのだから、西洋の知識層では、当たり前の話題だったのかもしれない。
まあ、こんな雰囲気の中、プロバンスを旅していた吉江先生が、西条先生にそんな手紙を出していたとしたら、オカルト的な影響を受けていた可能性が浮上したのだった。
吉江先生は文学の先生で、同じく仏文学の西条先生に手紙をしたためるとしたら、その土地の話題や、伝承に違いない。
そんなもんが、本当にあるのかは、私には調べられない。
それは、私の売る謎だからまあ、置いておいて、
私は、その説で物語を考えた。
あんなに、泣きそうになりながら改変した『トミノの地獄』はまたしても、怪しげなオカルト世界に染まって行く…
でも、それを止める余裕は私には無かった。
私は、もうひとつ、間違いをおかしていた。
西条先生が、『赤い鳥』運動に参加していたこと。
児童文学や童謡を書かれていた事、それらの事から、私は、先生がイギリス文学…アイルランドの伝説などに興味があり、フランスに留学していても、実は、英語の方が得意で、こっそり、そっちを調べていた…みたいな妄想をしていた。
少し前に留学した夏目漱石も、留学先はイギリスだし、イギリスは19世紀から、子供用の物語を沢山作っていた。
『宝島』や『ピーターパン』など、今でも人気の児童小説はイギリス発なのだから。
でもっ、あとで知ったのだ。
西条先生はフランス語の先生をしていた事を!
ああ…恥ずかしい。
フランス語の先生に、フランス語より、英語が得意とか妄想をダダモレさせちゃったよ…
と、恐縮はしたけれど、これが、的外れ…と、言うわけでもなかった。
19世紀辺りから、西洋の文学のトレンドが代わり始めていたのだ。
キリスト教ギチギチの世界を越えて、いにしえの昔話や、ギリシア神話などにも注目が向き始めたらしい。
ルネッサンス時代の文化が再評価され始め、そこにボッチィチェッリの絵画も含まれていた。
ボッチィチェッリ…ルネッサンス時代の画家の名前から、再びダン・ブラウン先生の『インフェルノ』が浮上する…
「で、ファティマの予言がどうしたの?」
剛に聞かれて、はっとした。
そう、今は、まず、ファティマについて説明をしなくては!




