もやもや
穏やかな雨の夜に、私は克也へのメールを打つ。
様々な思い出が頭をよぎる。
何しろ、短編で始めた『パラサイト』に2年を費やして、その間には、様々な物語が生まれていった。
パンデミックの時は時勢に混乱し、完結のボタンを押したときは、友人の死に混乱した。
が、その経験から、あまり神経質に考えると完結しないし、自分が混乱するほど、私の作品なんて読まれちゃいないと気がついた。
確かに、世の中に影響を与える本はたくさんある。
よくも悪くも、ノストラダムスと終末論の本は1999年の世界に影響を与えた。
が、私の作品はそんな本とは違うカテゴリーにいる。
紙の本の主流の時代と違って、誤字やら脱字があっても、定期的に読んでくれる人がいるし、評価をくれる人もいる。
自作を個人的に電子書籍に出来るし、作れば、世界規模の客のなかで、買ってくれる奇特な人もいるかもしれない。
が、その代わりに昭和の時代のありがたみやら、価値は薄くなった。
そして、昭和とは比べ物にならないほどのライバルと闘うことになる。
ゲームの…壁を這い上がる無数のゾンビのように、一次選考の壁の前で進めずに足踏みするゾンビの一人のように、私の存在など微々たるものだ。
ゲームやラノベなどでは、『その他、大勢』の役回りの人を『モブ』と読んでるようだが、私もその、モブでしかない。
が、ゲームでも、マニアと呼ばれる人たちは、モブにも注意を向ける人がいる。
そう、気持ちで負けていてはいけないのだ。
デパートのバーゲンより難易度のある、選考の壁を越えるためには、ただ、何も考えずに前に進むだけではダメなのだ。
モブだとしても…マニアに刺さるパフォーマンスをぶっつけなくては、一次選考の壁を乗り切ることは不可能なのだ。
息をはく。
人類滅亡がなんだと言うのだろう?
1999年も
2012年も
2015年も
2020年も生き抜けたじゃないか。
毎年、これが最後と応募する、少しは攻めなきゃ、書籍化どころか、一次選考すら通らない。
そして、結果発表で泣くことも、読者をもらい泣きさせることすら不可能だ。
現在も、哀しいニュースが流れるなか、気が引けるけれど、書き始めた限り、結末はつけなくてはいけない。
それに、自意識過剰で、周りはそれほど大変だと思わないかもしれない。
だから、まず、克也にメールを書いてみよう。
そして、奴の意見を聞いてみなくては!
私は、『げんき?』と題をつけ、頭を整理するようにメールを書いた。
[本文]
元気?私は元気だよ。
この間はご苦労様。無事、自宅に帰れたかな?
私は、あれから、少し、寄り道してから帰ったよ(´ヘ`;)
実は、小説について悩んでいて、かっちゃんの意見を聞きたくなってね。
この話は『悪霊』の話じゃなくて、前に、選考落ちした寄生虫の話のサイドストーリーなんだ。
ほら、昔、図書館で虚舟の話をしたじゃん?
あの話の続きなんだ。
と、ここまで書いて、あの頃からの作品の変貌に頭を抱えた…
あの頃、登場していたのは聖徳太子だった…が、そんなものは影もなくなり、今はファティマ…
夏休みの宿題を泣きながら31日にやった事を思い出すような地獄の改変。
こんなん、どう、説明したら良いんだろう…
あんなに必死に都市伝説から引き剥がした西条八十先生を…もっと深いオカルト世界に巻き込むことになるんだから、泣けてくる。




