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1918…2

始めに言っておくと、1918年に西条八十はパリにはいない。

私は、何か、勘違いして突っ走っただけだ。


が、コンピューターは間違えない。だから、創造性が無いんだと、小学時代の先生は励ましてくださった。

奇想天外なおかしな話を考え出せるのは、私のような、オッチョコイチョイなのだ。

これが、上手く、話を書ければ…紙一重(かみひとえ)で天才作家と並べるかもしれない!

が、まあ、この紙一重、他次元宇宙の壁のように、乗り越えるのは難しい。


オッチョコイチョイは、間違いに気がつかないで暴走し、何かに当たるまで止まれないのだから。


私もまた、暴走した。

メイザースと同じ時にパリにいる西条八十の幻想に浮かれながら。

社交界でも有名だった世紀の魔術師は、悪役としてクロウリーのラノベを飾っていた。


西条八十は作家なのだ。

そして、アレイスター・クロウリーは、世界で初めて本格魔術バトルもの、と、言うジャンルを開拓した人物だと、私は考える。


わざわざ、フランスに来て、西洋文学を学ぶなら、この、新しい表現方法を西条先生も見聞きはしたかったに違いない。

ついでに、本物の…魔術師と言うものに触れたいと考えるのではないだろうか?



夢は膨らんだ。が、夢はいつかは覚めないといけない。

夢うつつで、そんな妄想を垂れ流した私は、ちょっぴり恥ずかしい思いをした。

そして、間違いの元を探そうとした。


なかなか見つからなかったが、しばらくして、この間違いが、次の不思議を持ってくるのだ。


確かに私は、間違っていた。

西条先生は、フランス留学をしたけれど、1924年の事らしい。

初めは、私がメイザースとのコラボの欲目で間違えたのかと思ったが、違った。

吉江 喬松(たかまつ)

西条八十の恩師であり、フランス文学科。

記憶が正しければ、彼が留学をするので、西条八十が代わりに大学の臨時講師をした関係らしい…

が、wikipediaにはそんな事は書いてないから、本当かどうかはわからない。

が、私は、そんな風に思って、記憶違いをしたらしかった。


で、この吉江先生…この先生が、フランスに…メイザースが生きていた時代のフランスにいた。

が、1918年…フランスにはいたが、パリにはいなかった…

彼は、第一次世界世界大戦中のパリから疎開するようにプロバンスを旅していた。

小牧(こまき)近江(おうみ)と言う文学者と共に…

ちなみに、彼は、ファーブル昆虫記を和訳した人物である。


ああ、この時、私がどれだけビックリしたのか、上手く表現は出来ない。

しかし、この2人の文学者は…必死でオカルトから引き剥がした西条八十のイメージをオカルト路線に染め上げて行くのだ。


1918年…

この時のオカルト界隈では、1つの予言が成就しようとしていた。


ファティマの予言


1年前の1917年、ファティマと言う土地の羊飼いの子供達がマリア様に遭遇するのだ。


マリア様は、子供たちにこう告げた。

「この戦争は、まもなく終わります。」と。


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