夏の終わり
誰もいない平日のベットルームで私はヘッドフォンで『東京音頭』を聴いていた。
この歌は、色々な意味で有名な歌であるが、こんな風に休みの日に部屋でヘッドフォンをつけてまで聴いたことはない。
この曲が西条八十の作詞で、1932年…乱歩の未完『悪霊』の発表から1年前と言うことで興味が出たのだ。
夏は終った…(T-T)
もう、夏ホラーをいつまでも引きずってなんていられないのだ。
おちおちしてたら、冬が来る。冬は冬のイベントがあるし、私の連載を何とかしないといけない。
止めていた八十ミステリーを動かさなくてはいけないのだ。
それにしても…今年のお盆は大変だった…
私は単身で実家に帰り、一作、短編を書くために友人と会ったのだが、まさか、そこから、面倒に巻き込まれるとは思わなかった。
結局、私は友人の山臥と夜中にキャンプ場に行き、流星観察の子供達&星好きの人に囲まれて、なんか、怪しげな雰囲気を取り祓っていた。
最近のテレビでは、コンプライアンスの問題でホラーの流儀も変わったらしい。
徐霊とか、低級霊とか、一般人がみて分からないものは扱えないようだった。
まあ、90年代に霊感商法の色々を見聞きしたので、そこは仕方ないと思う。
でも、自分もそれを考える立場であると思うと、日頃から、使わないように気を付けないといけない。
霊なんて、いるかいないかわからないし、憑依なんてしてるかどうかも分からないが、気持ちが悪いときは気分転換は必要だ。
それに、田舎とはいえ、外灯などの光が増えるなか、天の川を眺める機会なんて減るばかりなのだから、まあ、いいか。なんて気持ちもあった。
あんな暗がりの山道を車で走り、星を見るなんて、これが最後かもしれないのだから。
何にしても、星は綺麗だった。
昔は子供達と皆で行ったキャンプ場。
剛は、涼しいからとついてきて寝転がって星を見ていた。
剛に呼ばれたのかな?
ふと、そんな事を考えた。昔は沢山の仲間と行った場所も、1人、2人と消えていった。
今年は山臥と2人、蚊取り線香をかけて、奴の自慢話をじっと聞いていた。
悪い霊と言うのが実在し、徐霊が出来るかは分からないが、幽霊も昔は人間で、人間的な感覚があるからよってくるんだから、やはり、人好きする人が好きだと聞いたことがある。
人間であれ、幽霊であれ、うんざりするような馬鹿げた自慢話を延々と聞かされるのはウンザリするし、その場を離れたくなる。
酔っ払いの山臥の自慢話なんて、誰も聞きたくは無いのだ。
星の観察してた人には迷惑だったかな…(-"-;)
シートに寝転び、記録する人と、観察する人が、なんか、叫びながら流れ星を真剣に追う…マジの流星観察をはじめてみて驚いた。
8時位に30分も見ていて帰る程度だったので、その後、一晩中、星を追い、星図?に流星の位置を記録するなんて思わなかったのだ。
確かに、一晩中、観察はするだろうけど、ドラマとかの観察は、もっとロマンチックな雰囲気がある。
が、マジの観察は、百人一首でもやってるようなスピード感と緊張感があった。
正直、いたたまれなくて、10分かそこらで帰ってきたのだけれど。
帰り、助手席に大人しく座っていた山臥は、ポツリとこう言った。
「こんな暗い山道を夜中に走って怖くないの?俺は怖いよ〜熊とか出てきたら、どうにもできないし。」
熊と悪魔…ついでに山臥。
どれが一番、ヤバイんだろう?
今考えると、なんでそうしたのか、理解に苦しむが、それでも、あのいちめんの星空を見たとき、『本当にこれが見納めかもしれない』そう思って胸が締め付けられた。
それくらい、美しく、物悲しい…夏の終わりだった。




