番外悪霊11
「アンタの言った通り、乱歩先生は行き当たりばったりで書くのが好きだったらしいわ。」
私はタブレットを片手に剛にボヤく。
そして、私の予想…ドイルへの追悼、及び、横溝先生への友情路線の可能性も消えなかったわ…
そう、『悪霊』読みかえすと、ドイルの名前とオカルト用語が横文字でならんでいる。
その横文字に、『夢の国』を翻訳する横溝先生と、乱歩先生の会話が聞こえるようだった。
ある小説家が貰った怪しい手紙…
この設定には、横溝先生との会話への想いがあるかもしれない…
まあ、この辺りは私には調べられないし、この謎こそ、出版社に売り込むネタなので、これ以上は調べない。
それより、ここからが、ミステリー大賞ネタに突入だ。
そう。
乱歩先生は、降霊会やオカルトをどこまで知っていたのか?
降霊会は、和式か洋式か?
この辺りの深堀である。
まずは、
ドイルのいた西洋の活動について考える。
と、言うことで、SPRと言う組織の話を始める。
何となく、昭和の怪奇ミステリーを思い浮かべたくなるが、基本、関係はない。
基本、と、書いたのは、参考にはされた可能性は否めないからだ。
SPR…心霊現象研究所は、実在する組織であり、超常現象を科学的、理論的に学問する…近代、最初の組織と言われている。
創設は、1882年
初代会長はヘンリー・シジウィック教授である。
彼らが何を研究していたのか…は、図書館で本を探してみてほしいところであるが、後に世界に影響を与えるこの組織は、イギリスで生まれ…主にイギリスでは幽霊について研究されていたらしい。
この組織に、コナン・ドイルも在籍していた。
ここで驚きなのは、イギリス。
近代魔術組織『ゴールデン・ドーン』より早く、学術的に心霊を調べようと考えていたことだ。
うん…すごいな。
で、この組織には、様々な文化人や学者も在籍し、わりと真面目に霊について研究がなされていたらしいのだ。
ここで、乱歩先生は、何を思って降霊会を書いたのか…
作家として…と、言うより、読者として気になってくる。
私は、オカルト・ミステリーが好きだ。
子供の頃、安価に作れて客入りの良かったオカルト映画やドラマが流行っていた。
そして、『みぃ・ムー』のような雑誌が売られていたのもあり、随分とかぶれた。
お陰で、ある程度の年になると、変なところに気がいって、物語に集中できなくなる。
そう。
フランス料理を食べるときのように、霊を呼び出すのにも作法があるのだ。
西洋の場合、部屋を暗くして、丸テーブルを囲み両隣と手を繋いで霊を呼び出すのが一般的だ。
勿論、異論はある。
何しろ、降霊会は人気があり、霊媒師にはインチキも多分に入っていたからだ。
が、まあ、小説や映画では円を作る方法が良く描かれていて
19世紀の霊媒師は、エクトプラズムと言う、怪しげな物体として、霊を呼び出していた。
勿論、日本にもずいぶん昔から霊媒師はいた。
東北のイタコ、ミコと呼ばれる女性。他にも、自らの体や、審神者と呼ばれる協力者に降霊を行う。
では、『悪霊』ではどうなのか?
この物語には、霊媒としての盲目の少女が登場するが、降霊会の様子を見ても、洋式とも和式とも言えない…多分、オリジナルの儀式が行われる。
私の感想では、乱歩先生は霊やオカルトに興味は無かった気がした。
降霊会の様子もなんだか、適当な感じで、『みぃ・ムー』の総力特集の降霊会の描写のような、胸踊るウンチクも霊も登場しないからだ。
そして、霊媒の龍ちゃんが、殺される人を「美しい人」と表現するのも、なんだか違和感がある。
霊の目線で見るなら、肉体の美しさではなく、魂の美しさを表現しそうなので、個人を特定するなら、もう少し違う表現をする気がしたからだ。
ここで、一度、まとめると
乱歩先生は、行き当たりばったりで作品を書いている可能性がある→犯人が未定のまま書いている可能性がある。
当時、横溝先生が大変だった。
1931年『江戸川乱歩全集』の売れ行きがよく、平凡社の経営に貢献した事があるので、33年の横溝先生の翻訳したドイルの翻訳本が売れるように、いい感じに関連する話を書こうとしていた可能性。
オカルトには、それほど興味はない→『悪霊』の降霊会のシーンがオカルト熱を感じない。
と、言うところだろうか。
始めに考えていたよりも、複雑な背景が見えてきて、何となく、面白くなってくる。
ミステリー大賞に応募できるような…そんな謎が飛び出す予感がする。




