トラップ
静かな昼下がりだった。山臥は静かにビールを楽しんでいる。
ファミレスは涼しいが、ほのかに体温が上がる瞬間に外の炎天下を思い起こさせる。
私にはデザートを、山臥にはビールのお代わりを。今日は特別だ。
「まあ…小説の中の人も大変だけれど、小説を書く方も大変だって気がついたわ。
物語がどう進むかはわからないけれど、確実に私は4次元の世界でもがいてるわ。」
私のぼやきを、山臥は軽い酔いとともに聞いていた。
「じゃあ、今君は4次元のエトランゼ、なんだね。」
山臥はほのかな色気を漂わせて甘く囁く…ああ、この人、微妙に残念なんだよね。
私はガムテープで補修されたナイロン製のパンツのくるぶしを一瞥した。
「エトランゼかどうか知らないけれど、今の連載は早く終わらせたいわ。そして、時代小説を書いてると頭が爆発しそうになるんだよね。」
私はボヤきながらメモ帳を取り出した。『エトランゼ』久しぶりに聞いたわ。昭和の頃は新しい気持ちで聞いていたけれど、レトロ表現になったものだわ。そう思って書いて行く。
こう言う細やかな日常の積み重ねでキャラクターが良くなってくる。と、思う。知らんけど。
「良いよ。話してごらん。俺は君のボヤキを全て聞いてあげるからね。」
低く甘い声で囁く様に言った。ビールがあるまではね。と、私は苦笑する。
「ありがとう。じゃあ、話すわ。こんな変な話を聞いてくれるのって、アンタくらいだから。遠慮なく。
もう、大変なのよ。タイムスリップの縛りもそうだけれど、それが無くても、私は資料と言う名の歪んだ時空に彷徨ってるのよ。
例えば、今、魔術の本が登場するんだけれど、その本はバアルと言う魔王の所有物だった、って、ネットで出てきて物語に書いちゃったんだけれどさ、そのバアル設定、どうも戦後の話みたいなんだよ( ;∀;)
私、戦前のはなしを書いてるんだよね、その時代、バアルがどうこうとか、当たり前の様に、例え、オカルト研究家でも当たり前の様に話すのっておかしな事なのよ。
でも、そんなん、素人のWEB作家に調べようがないじゃん!ここから修正、泣くわよ。」
私はぼやいた。もう、この連載、アップしてからこんな感じなのだ。
「ふふ、バアル…地獄の大公爵か。ゴメン、彼の事はあまり知らないんだ。東京のペスカトーレの美味いバールなら案内出来るんだけれど。」
山臥は右のひとさしゆびをくるくる回しながらウインクをして、そう言った。
「東京…そうだね。読者賞でもとったら是非案内して頂戴。」
私は渋い顏でそう言った。読者賞…それは、天竺よりも遠い場所。
「ああ、勿論だよ。遠慮しないで誘ってくれたまえ。」
山臥の冗談の受け方は慣れないと判別しにくい。
「うん。頑張るよ。今回は江戸川乱歩の『悪霊』の考察文だから、色んなところで検索に引っかかるから、閲覧数は稼げてると思うんだ。」
そう、それが、一見さんで終わらない様に読者を引っ張れれば、もう少し、格好がつく終わり方が出来る気もする。が、ミステリーの巨匠が読者に謝罪文を書くほどの未完は一筋縄ではいかないのだ。
「ああ。応援しているよ。」
山臥は笑った。酒臭い事を忘れる様な…昭和のお中元のCMのモデルの様な爽やかさで。
「ともかく、私だけで無く、ここで乱歩の四次元ミステリーがでてくるのよ。」
「江戸川乱歩の四次元ミステリーね。面白そうだね。」
山臥のこう言う会話の上げは絶妙である。
「うん。この『悪霊』よくよく調べると、色んなところに矛盾があるんだけれど、そう言うのとは関係なく、乱歩先生が時代の先を見ていた雰囲気があるのよね。」
「それは、これだけの名作家なんだから、そんなエピソードの1つや2つ、あると思うんだけれど。」
「まあ、私も自分の連載に関係なければ、ベルグの小説の不思議と同じ様に『すごいね』で終わらせるわよ。でも、時代の縛りをうけながら書いてるとストレスが溜まるのよ。」
私は炭酸水を飲んだ。
「じゃあ、言ってスッキリすると良いよ。さあ。」
山臥、爽やかに笑ってランチを注文した人のお得なグラスワインを見つけて注文する。
「………ありがとう。じゃあ、話すわ。乱歩先生、『悪霊』中で心霊捜査をしようとしたらしいのよ。霊媒の龍ちゃんに犯人を見つけさせる感じでね。
でも、オカルト音痴らしくて、うまく描けてないんだけどさ。この辺りから、話を盛ろうとしたんだよね。でも、心霊捜査も戦後からみたいなんだよね。
その辺りは、登場人物のオカルト研究家とかに思いつかせれば良いとか思ったんだけどさ、それ、現在の読者が見ると私が時代を考えずに書いてる様にしか見えなくなるんだよ。
泣けてくるわ。」
私はため息をつく。
小説内では探偵は犯人と知恵比べをするが、小説家は知識系の読者との知恵比べが勃発する。私の場合、検索に引っかかるから、私のファンでは無く、乱歩ファンとオカルトファンを相手にしなければいけなくなる。
勿論、彼らに賞賛されれば、WEB小説家としては飛翔龍の如く名が上がる。
が、私の場合、未完で混乱する未来しか見えないから困りものなのだ。
「ふふっ、かわいいね。」
山臥はそう言って目を細める。私は思わずその顔を、表情を何かに書き起こしたくなる衝動を抑える。
中年おばさんをガン見して、このセリフをこの表情で言えるのが凄い。この人、私の瞳に映る自分にでも酔ってるんだろうか?ある意味、心霊よりもオカルトな男、山臥。
「乱歩先生も、その時代に存在してない考えを表現するんだから、混乱はすると思うのよ。推理は出来ても、霊媒の色々が理解できてない様なのよね。
この人、オカルトや心霊学とお伽話が同じ引き出しに仕舞われてるみたいなんだ。
ついでに、情報にトラップがあってさ( ;∀;)
この悪霊、大人版の文庫では『幽鬼の塔』って題名の文庫本の中に『悪霊』が収録されてるんだけれど、子供版では少年探偵団もので『幽鬼の塔』って完結した話があって、ネットだと情報がごちゃ混ぜなんだよね。もうっ。こんなのを省きながら、物語を書くんだから頭が爆発しそうなのよ。」
私は叫んだ。もう、この辺りで山臥はワインに気を取られていたがそんなのは気にしない。
ああ、もう、頭がいたい。
未完はこれだけじゃないし、もう、なんとか終わって欲しい。ヨハネ・パウロ2世の話も結構ミステリーだったりするんだよな。
「じゃあ、少し、考えるのをやめて見たらどうかな?季節のデザートがあるみたいだよ。」
季節のデザート…私はデザートの写真と自分の脇腹に気がいく。山臥の誘惑は心にも体にも危険な香りがするのだった。




