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克也

  図書館は静かだった。数年前から学生用の学習室が作られてから、学生が減ったこともある。

 私はカウンターを超えて宗教関係の棚に向かった。

 WEB風味のファンタジーが書けないので、魔術の異界をモデルにしたので、逆に調べる事が増えたのだ。しかも、この手の魔術の本はものすごく

高くて古本も高額だ。図書館はありがたい存在である。

 クロウリーの本を手にする。

 本来、彼の魔術の基本は師のメイザースに由来するものだが、メイザースの本はあるのかどうかもわからない。

 元々、隠秘術というくらいなのだから、本にして広めるものでもないんだと、そんな風に考えていたのかも知れない。 それとも、クロウリーに自分の魔術をパクられた事で発表したくなくなったのか。


 パクられたら、パクられ元が消したり、消えるのはWEB小説も同じだな。


並ぶ魔術の本に、私はパクられても、書くのをやめたりはしないでおこう。そう思う。まあ、その心配はないとは思うけれど。


 そんな事を考えながら棚を見ていると、想像のメイザースが話しかけてくる。

「私はパクられて悲しくなって書かなくなったわけではないぞ。」

メイザースは少し不服そうである。

「あら、そんなこと、言ってないでしょ?」

本を眺める。図書館の棚は本屋と違って馴染みの本に会えるのがいい。

「それならいい。精神世界の探究は本やネットで語る暇つぶしの道具ではないのだ。」

メイザースは嘆かわしいとため息をつく。

「どうでもいいけれど、それなら、出てこなきゃいいじゃない。私だって、小銭儲けに魔術を使うろくでなしなんだから。」

私の言葉にメイザースは皮肉げに笑う。

「クロウリーより、人気が出るかを見たいとか言われたら、少しは気になるだろう。」


 気にしてたんだ…


 なんだか、少しかわいそうになる。近代魔術の基礎を作った人物なのに、美味しいところは弟子に暴露と言って暴露され、ラノベの悪人にされたから、そこからメイザースは悪者ポジションなんだから。

「そうだね。頑張って見るよ。」

ああ、私のような底辺に登場するくらい、メイザースの登場する話って少ないんだよね。ファンはいるとは思うんだけれど。

 なんだか、ここまで有名でも上がらない、ネットという世界の厳しさに同情する。

「ああ、そうしてくれたまえ。そして、折角、図書館に来たのだから、フランシスコ会について調べてみたらそうかね?」

メイザースはキリスト教のエリアを指差す。

ああ、と、棚を見ながら、プロテスタント生誕100周年にルターを調べたことを思い出した。

 ノストラダムスの連載の失敗を誤魔化すために、同じ年に活動していたルターを引っ張り出して痛い目に遭ったのだ。

「いいよ。昔、プロテスタントを調べて、面倒ごとが増えたんだもん。実在の団体の事は取り上げたくないんだよ。」

私の嘆きに、メイザーズは肩をすくめた。

「なんだ、あれしきの事でもう、怖じけたのか?」

「おじけるわ。実在の団体に失礼があったら怖いし。」

「貴女は、それしか、思いつかないのかね?プロテスタントの始まりのエピソードを描いていたのに。」

メイザースの言葉に、昔、調べた色々を思い出した。

「確か、16世紀。腐敗するカトリックの上層部に、免罪符の乱発に、疑問を持った マルティン・レターが質問状を教会か、どこかに張り付け他のよね?」

なんだか、思い出してくる。ノストラダムスが進学のためにアヴィニオンに移り住む1918年。ドイツではルターが、教会の運営に疑問を感じる。

「ああ、ここでフランシスコ会とルターの行動の動機に共通点を感じないか?」

「共通点?え、ああ、教会の腐敗?」

私は自分の答えにハッとした。

 フランシスコ会もシトー会も清貧を目指す、托鉢僧の集まりだった。

 そして、混乱が起こるのは過度に贅沢になる教会上層部の行動と関係しているように感じる。まあ、現状の華美な贅沢への信者の不満で托鉢僧たちがウケけていたのだとも言えるけれど。


 調べると、フランシスコと言われたお坊さんは、初めは裕福な商人の家の子で、楽しい飲み会などのスポンサーをしていたようだ。

 今風に例えるなら、討論テレビ見たいなもののスポンサー件、参加者…いや、動画配信者の方が、今風なのか…見たいな立ち位置から、ある日、病気に人と触れ合って、なんか、悟ったみたいだった。

 彼は、カトリックの坊さんではなかった。もっと自由な感じでイエス様と聖書を解釈していたようだ。まあ、伝説なんてどこまで正しいのか、幾つのバージョンがあるのか知らないが、私が調べたところでは、無邪気に自身の人生を生き抜いて、その生き方に共感され、尊敬された人のように思える。


 忘れられた、雑草のひまわりのような人だな。


 ふと、そんな感じがした。ただ、イエス様と神様だけを見つめて生きている。ひまわりが太陽を見上げるように。そんな人物が胸に湧いてくる。


 彼の生き方は、少なからず人々に影響を与える。

 そして、それはカトリックの上層部にも影響を与える存在になる。

 まあ、芸能人も、動画配信者も、宗教家も、成功してたくさん物が集まりだすと、贅沢になるし、その負担を信者にお願いすれば、その負担の不満は、何もの様ない清貧な人物への共感となって広がるのは仕方ない。

 で、そんな人気の托鉢僧を取り込もうと教皇側も画策し、それに従った彼らも、やがて、集まる寄付や宝物に堕落する物が現れる。

 そして、教会と距離をとり、独自の解釈を始める団体も登場する。

 スピチュアル系の団体のことが問題になる。これは、90年代のオカルト事件を見聞きしたので同意できた。

 見えないもの、自分ではわからないものは、それを教えてくれる人物を信じる事から始まり、なぜか、その中で自分が救世主、もしくはノストラダムスの生まれ変わりとか言いだす人が現れるのだ。

 カタリ派と、ローマカトリックにどんな軋轢が生まれたのかは、私には知りようがないし、カタリ派とか言っても、多分、多岐にわたって考えの違う人がいたのだろうと思う。

 ノストラダムスの予言だって、1999年に何かが起こるという事以外は、いろんなバージョンの説があったし、よく喧嘩議論していたから。

 何があったのかは、現在は藪の中で、どちらにも引けない訳はあったのかもしれない。


 「あれ、卯月さんじゃないですか?」

肩を叩かれ、振り向くとそこにはオカルト仲間、じゃなく、フリマの友人克也がいた。

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