結婚願望
「ところで、剛が結婚していたら、どんなだったと思う?」
私は春香に聞いた。
私には見えない幸福な剛を晴香なら見えるような気がしたからだ。
生前、私は剛をよくからかった。剛はアブにたかられる牛のようにふふっと笑ってのんびりしていた。
私は、いつもぶっきらぼうで、言葉が悪くて照れ屋で、1番いわなければいけない言葉を伝えることが苦手だった。
アンタは私の友達で、ろくでなしだけれど、毒がなくて、小学生みたいな悪さをするけれど、気持ちのいい奴だ。あんたの事を知ったら、みんな気に入ってくれる。友達なんて、いつだって沢山できるから。
そこ言葉は、今でも、小説の中ででさえ、いまだに言えずにいるのだ。
「そうね、剛、結婚していたら、奥さんと子供は大変ね。」
晴香のアンニュイなセリフに絶句する。
「やっぱり、そうだよね。」
なんだか、ため息が出る。まあ、その通りなんだけれど。
私は苦笑してコーヒーを飲んだ。窓の外には青い空がどこまでも続いているように見える。
「でも、結婚なんて、そんなに望んでなかったんじゃない?」
「え?」
「だって、恋愛の話なんてほとんどしなかったじゃない。彼女は人生に一度だけ。年上の女性だったかしら。」
晴香は昔を思い出すようにそう言った。
「でも、昔、フードコートで若夫婦を見て、俺も結婚していたら、ってそう言ってたよ。」
ああ、ここで、剛の結婚願望がないとか言われると、私はこの先、何を頼りに未完と向き合えばいいというのだろう?
「そんな事、あったかしら?でも、あの人、見るもの、何でも欲しがったじゃない。アイスの売り場に並ぶ女子高生を見ながら、『美味しそうだね。』って言った時は、ドン引きしたわ。」
晴香は笑った。その時の事を思い出して私も笑った。
「そうだね。あれはキモかったわ。でも、あいつのターゲットはオレンジのアイスの方なんだよね。」
「そう、そう、私の持ってきたアイスのチラシを大事そうにもらっていったもの。」
晴香の目が懐かしさに細くなる。
「そうよね。いいおっさんが、本当にアイスに夢中になってたわ。」
「うん。確かにここは田舎で、アイスの専門店なんてないけれど、あの人、ネット時代に生きていて、山の奥地に生きているような感じだったわね。」
晴香のもの思いに当時の剛の間抜けな顔を思い出す。
晴香のチラシは剛のベットの壁に貼られ、20分は見ていられる、彼の娯楽になっていたらしい。
喫茶店を出ると、夕焼け空を1人見上げた。
自転車を走らせて、この道を何度往復した事だろう?沢山の思い出を積みながら、田んぼを染めるこの夕焼けを見た。
賑やかだった思い出のこの道を、私は独り走る。
死者と思い出と、その始末のことを考えながら。
少し前までは、沢山の夢を、未来を、見ていたはずなのに。
今は、まるで、過去の舞台を何度も再生するような気持ちになる。
なんだか、世界に取り残されたような気がして涙が込み上げる。
いかん。
泣いても何も解決なんてしない。
そして、人生を整理し始める時が私にも来たんだと思った。
小説を書いてしまわないと。
そうしないと、溜まった本を処分できない。
言い訳のようにそんな事を思うと、そのまま、図書館に向かった。
調べることは沢山ある。私は長い休みを使って図書館で調べるのだ。
ネット時代とはいえ、やはり、検索には限界があるし、あそこで考えるといいアイディアが生まれるのだ。




