1200
カタリ派で調べると、1181年が初めてカタリ(カタロス)についての記述が現れるとか出てきた。
1181年…聖フランシスコの誕生年と一年違い…
「なんか、終わらない気がしてきた。」
思わずつぶやく。執筆しはじめに連載のやり方を間違えて、ついでに史実も間違えて、ダビンチの迷宮に迷い込んだことを思い出す。
その時は、ノストラダムスを探していた。
そこから、ダビンチとテンプル騎士団が加わって、どうにもならなくなってきたのだった。
その時、出てきたのが カタリ派 である。
少なくなった世界史の授業では、多分、噂にもならないだろうが、ラノベを書くなら、教科書のほとんどの知識より小銭に近い知識ではある。
カタリ派 これは後に聖杯伝説と共にナチスにも研究される滅亡した宗派の人たちだ。
このカタリ派が沢山いたのが南仏、プロバンスからスペインとの国境、トゥルーズのあたりらしい。
で、このカタリ派が発展し、衰退するその時代と、聖フランシスコの人生と重なったのだ。
「だからぁー、こんな話は適当に終わりにしたらよかったのですよ。」
メフィストの恨み節が痛い。
「仕方ないでしょ?でも、なんでこんなに上手く重なるかなぁ。」
私も文句を言いたくなる。本当に、ついさっきまで、フランシスコなんて知らなかったのに!カタリ派を連れて昔の色々を蒸し返してくるなんて!
「重なってなんていませんよぅ。そう見えるだけですって。大体、本当に人類が滅亡するような事態なら、私がここで恋愛小説に登場なんてしてませんって。」
メフィストはそう言って一度、ポーズをとると続けた。
「私、これでも悪魔大公 メフィストフェレス。人類滅亡の大舞台を外したりはしませんぜ。」
アンタ、私のキャラじゃん。本物じゃないし。
とは、言えなかった。私はただ、メフィストを見つめた。
「ま、なんにしても小説を書かないと。」
私はメフィストを無視してキーボードに向かう。
カタリ派
教義については、よく分からない。資料が残ってないからだ。
ただ二次資料やいい伝えによると、人の肉体は悪に染まりやすく、魂を肉体から解き放つことできる。みたいな教えのようだ。
肉を食べることは禁止されるとか、なんか仏教にも通じるようないい感じの活動みたいなんだけれど、よく知らないがカトリックと争うことになって虐殺される。
まあ、肉を食べないだけなら、ヒトラーも菜食主義になっていたし、それで人柄が決まるってわけでもないけれど、大概、この辺りの物語は、オカルト雑誌などでは、清貧なカタリ派が一方的に異端にされてカトリックに追われるという感じで語られる。
この頃、十字軍のイスラエル遠征とかもあり、テンプル騎士団が作られたりする時期でもある。
この時期、プロバンスに住んでいたといたら、フランシスコはカトリックの遠征軍のプロバンスでのカタリ派の虐殺を見聞きしたはずだ。
そんな複雑な経緯を経て、彼はどんな風に悟っていったのだろうか。
「ともかく、なんか、面倒にはなったわ。悲しいけれど、やっぱりこの話も終わらないわヽ(;▽;)
どうして、こうも面倒にまき揉まれるんだろう。」
頭が痛くなる。
「自ら巻き込まれにいってるんでしょう。」
メフィストが嫌みをいう。
「そうね。でも、こんなの、マラキの予言を短く説明して、2013年のエピソードを書いたらいいんだと思ってたのよ。なんで、こんなところでカタリ派が出てくるんかな。」
ぼやく。もう、ぼやくしかない。
「それは、カトリックが大量虐殺をしたからじゃないですか?」
メフィストが投げやりにいう。
「カタリ派はサタンを崇拝していたはずだよね?」
本の精が静かにいった。
「サタン信仰?」
調べると、確かにサタンを信仰していると書かれている。が、カタリ派の文章は、殆ど残っていないとも書かれてもいる。
殆ど残っていない資料の中で、なんでサタンを信仰しているのは確認されているかが分からなかった。
それに、額面通りの…70年代のホラー映画に登場するようなサタンではない気がした。
むしろ、この事件から、教会側がサタンを悪魔として尾鰭をつけたんじゃないかとすら思える。
とは、いえ、何か、そうしなければいけない動機はあったはずだ。
テンプル騎士団の解散は、フランスの借金を棒引きさせるためと言われているし、
なんにも動悸がなく虐殺なんてするのはコスパが悪い。
殺してしまえば、遺体を処理しなければいけなくなるし、さまざまなところから非難される。
一応、宗教家なんだから、改心させる方向で行くか、生きてる状態で他の土地に追放する方がいいはずだ。
実際、虐殺のエピソードはオカルト雑誌で取り上げられて、1000年の時を経ても私みたいな人間に色々と書かれるんだから。
ここにきて、テンプル騎士団から洗い直したくなってきた。
なぜ、騎士団は解散させられたのか、
なぜ、フランス王は法王をフランスに留め、法王庁をアヴィニオンに作ったのだろう?
キリスト教の教会は、侵略した土地神の神殿などに建てられたと聞いたことがある。
それは、宗教的に一等地というのもあるけれど、土地神の信仰に戻れないように完全に信仰する行為のようにも思える。
1200年代に大量虐殺で滅ぼした土地に、完全に『何か』を封じるために、
プロバンス、カタリ派の地には、ただの教会では、叶わない『何か』があったのだろうか…
 




