冥王の迷宮 29
「そろそろ帰ろうか…」
様子が変わった山臥を見て私が言った。
「まだ、20時ですよ…もう少し、語り合いましょう。」
丁寧語になる山臥の笑顔が不気味だ。
「いや、アンタ、酔ってるよ。それに私も家に帰らないと。」
そう言って飲み物の残りを飲み干した。
「酔ってなんていませんよ。」
山臥は笑う。
「いや、十分、酔っぱらってるよ…」
私はため息をつく。
山臥はワインの残りに軽く口をつけて、
「やはり、大量生産のワインは大味ですね。味に奥行きがない…」
と、気取る山臥が不気味だった。山臥は時に本当に変な酔い方をする。
まあ、酔っ払いで人格が変わる人間は珍しくない。
生真面目を絵に書いたような人物が放送禁止用語を大声で叫んでみたり、説教したり、無口が話上戸にもなるけれど、山臥の酔い方はそれらとは違う気がした。
なんだか、憑依したように話はじめたり、見えない何かの話をするのだ。
だがしかし、世紀末のオカルトブームを知る私には、それほど気にはならなかった。
宴席では、若い娘の気を引くために手相を勉強したり、幽霊が見えるとか、言い出す酔っぱらいがいたからだ。
山臥もまた、そう言う類いの人間だと思っていた。
様々な心霊現象の話を聞いて育った私は山臥の心霊の話は、酔っぱらいのヨタ話だと。
でも、今日は怪しさが増していた。大体、酔っ払って背筋を伸ばして丁寧語を話す人物なんて、私の記憶には無かった。
いや、いたかもしれない…が、ハンサムで、気取った雰囲気も、さまになる…そんな酔っぱらいは見たことがなかった。
が、イチイチ、店の料理になんか、グルメっぽい文句をたれる所に山臥の酔いを見た。
「グイグイ旨そうに飲んでたじゃない。もう、帰るのよ。」
引き時だ…と、私は思った。
そして、ここから抵抗を始める山臥に備えた。
「仕方ありませんね?良いでしょう。それではあの十字路のコンビニで一度、止まって下さい。
ローカルのコンビニはなかなか、面白いものが置いてありますからね。」
山臥は丁寧語でピシッとした口調で泥酔している。
訳がわからないが、そんなもんを理解しようと考えるだけ無駄なのだ。
何にしろ、山臥が帰る気になったので立ち上がる。
こんな時は、サクサク行動するに限るのだ。
会計に行くと山臥がスマートに一万円を差し出した。
「この間、ごちそうになったから、今日は私が、ね。」
と会計の若い従業員に目線を合わせて言う辺りが山臥である。
「…ありがとう…」
とりあえず奢られた。
そして、私が奴を家に送る。
今日は上品な人格に変わっていたのですんなり車を発進できた。




