冥王の迷宮 7
ノストラダムスが天文学者として空を見ていたとしたら?
ふけゆく夜に窓を開けて夜空を見つめた。
町明かりのせいで、子供の頃、見上げた夜空の漆黒さは薄れているが、それでも天の川は綺麗だった。
星は綺麗だけれど、それ以上の意味は見いだせない。
私は船乗りではないのだから、北極星を探す必要はない。
頭の中を様々な物語が流れて行く。
大概、物語の占い師は夜空を見て占うけれど、あれ、絶対に嘘だ。
占いは未来を予想する。
先が読めなきゃ、占いの意味はない。つまり、現在の星の状況を見てもそれだけではダメなのだ。
春に占うのは収穫の事、
夏に占うのは冬の備蓄。
秋に占うのは種まきについて
冬には、収支の計算と来年の予定を…
その為には、春には秋分を
夏には冬至の時期を占う必要がある。
それは、ナツメグの幻覚作用でトリップするのではなくスマホで星の動きを検索をする方が効果的だ。
ノストラダムスの時代なら…それは机と紙を用いて計算をすると言う事だろうか?
ここで、ノストラダムスの副業を思い出した。
アルマナック…歴書の執筆。ノストラダムスはカレンダー付きのミニ手帳を作成する副業をしていたらしい。
この手帳は毎月、ちょっとしたワンポイント的な小話がついていて、その予測が人気になって彼の本は売れた。
普通、この話をノストラダムスの解説者がすると大概はそこから予言本の話へと流れて行く。
が、ここで私はガリレオと共に知りえた知識を加算する。
グレゴリオ歴についてだ。
ガリレオは丁度、改暦の前後に生まれた為に誕生日と亡くなった日が違う歴になっているのだ。
この時代、カレンダーが機能しきれなかったのだ。
一年では微々たる誤差も100年単位に貯まれば10日単位の誤差になる。
役人はそれほどではなくとも、農家は混乱したに違いない。
これを改訂したのが1582年。
ノストラダムスがアルマナックを執筆したのが1550年。
民衆はガチでカレンダーが必要だったのだと思う。
なんか、ちゃんと、季節に合うカレンダー。
ここで、ノストラダムスの父方の商売を思い出す。
公証人で『穀物』を扱う商人である。
穀物を扱うと言うのは、穀物について詳しくなければいけない。
穀物の品種、作付時期、気象の予想…
ノストラダムスは、それについてのノウハウを親や仲間から教わったか、知る事が出来る立場にあったと考える方が自然じゃないか!
だとしたら、占いと言うより、普通に気象予測としての情報が必要だったのかもしれない。
私の記憶によると、ノストラダムスの歴書は当たらないというのがあるが、それが本当かはわからない。
しかし、私が当たらなくても毎年、星占いのカレンダー小冊子を買い続けたように、当時の人達も、歴書を手によく分からない時代を手探りしていたのかもしれない。
現在、私だって小説を書いては見るけど、書籍化なんて夢のまた夢だ。
15世紀の紙が貴重品の時代、書籍化してそれが生活を支えるほどの利益を出すには、生半可なものでは出来ない。
確かに、穀物商の父がいたんだから、なんかのコネがあったかもしれない。
が、コネで売れるのなんて、せいぜい、2回くらいで、そこからベストセラーに、そして、王室に呼び出してもらえる程の作家になるのは実力と人徳が必要なのだ。
歴書の読者は何を望んだだろう?
それは分かりやすいカレンダー機能だ。
と、同時に、使える情報が必要である。
歴書の実物は見たことがないけれど、ポケットサイズの手帳のようなものらしい。
当時、本当に必要な機能…それはその年の気象予想、そして、より収穫できる種を選ぶことにある。
ついでに、自分の仕事仲間や親族と日付の情報を共有できる事、それが大切なんだと思う。
調べているとある貴族は、歴書は当たらないと日記に書いたと言うエピソードがあった。
が、歴書はノストラダムス家の家計を助けるだけの利益も生んでいる…何故か?
ノストラダムスは、星に何を求めたのだろう?
初めは天体観測について考えた。
この頃、時期を少しはずして日本でも歴の改変があったはずだ。
中国から伝来した二十四節気では、日本の気候に合わなくなって江戸時代により季節を分けて作り替えられた…が、現在、やはり、啓蟄や立春などの季節を表す表示は、現状とはかけ離れている場合が多い。
特に、最近では…
我々は、衛生写真や気象予報士の情報から、事実を知っている、つもりになっている。
が、本当は、ポールシフトが始まっていて、それによって季節が混乱してるとしたら?
既に、温暖化で溶けた極の氷が臨界点を越えて、海の循環が止まっているとしたら…
政府は、絶対にそんな事を我々に教えはしない。
しかし、本当は既に、それは始まり出していて、選ばれた人間は、軍が守る秘密の島に避難しているのだΣ( ̄□ ̄)!
ちょっと、動揺してしまう自分に笑う。
本当に今年は暑かったから。
では、15世紀のもっと情報の無い人達はどうだろう?
私なんかより、混乱するのじゃないだろうか…
教会は、締め付けを強くし、キリスト教を語る怪しげな人物に目を光らせるのは仕方ない。
20世紀末でも、『ノストラダムスの生まれ変わり』とか、『イエス様の啓示を受けた』と言う人物が続出したのだから。中世の信心深い人達なら尚更だろう。
そして、改暦を急いだに違いない。
10日…神様と7日に1度は休む約束を上手くクリヤーしながらである。
ノストラダムスの歴書について、私は、それを手にする事は出来ない。
でも、彼が商売として思い付くにあたって、様々なカレンダーが生まれたのだと想像できる。
そして、それを売るにあたって、どんな怪しげな売り口上が飛び交ったのか…
興味深く感じるのだ。




