番外 教えておくれよブラバッキー3
とりあえず、1922年のUFOについては考えなくてもよくなった。
さて、ブラバッキーについて考えないと(>_<。)
もうっ、それにしても面倒くさい。
私は…一体、何を考えて生きていたんだろう?
いや、あの頃が異様だったのかもしれない。
思えば、UFO問題を混乱させた原因はアポロの月面到着だと思う。
人類が宇宙に…月に足をつける…あの映像になんか、宇宙の全てを肯定するような雰囲気が生まれた。
時代はラジオからテレビへ…白黒からカラーの時代だった。
見たことのない宇宙の姿に、写真に…考えるのを止めてしまった気がする。
学校の先生も、テレビの偉い人も、色々文句をいったって、宇宙の生命体についてはいると答えていた。
お父さんは、宇宙のドキュメンタリーを見ながら、空に星のカーテンがかかる物語やら、お日様やお月様の擬人化する話が好きだった。
映画も…当時はすごかった。SFXと言う技法で、あたかも無重力の世界にいるようにも、レーザー光線が打たれたようにも見えたから。
世界は急速に変わっていった。
沢山の調査衛星が宇宙へと旅立ち、惑星の真実の姿を我々に見せてくれた。
探査衛生の見た金星は人の住めない灼熱地獄だった。
が、そんな説明の横にある本には、金星人の語る美しい金星の花畑の証言がまことしやかに語られていた。
私の頭の中では、そんなものがごちゃごちゃに詰められていった。
宇宙は広い、だから、宇宙人はいるはずだ。
そして、凄い技術をもっているはずだ。
金星人の役をした金髪碧眼の外国人のモデルさんは素敵だった。
このモデルさんを見てみたい。
これが、金星人を見たいと言うワードで頭にしまわれる。
丸いインスタント麺のカップを飛ばしてUFOの捏造写真をとるのも流行った。
当時、カメラは子供の憧れで、動画モードなんてないから、物凄い技術がないと、空を飛ぶカップを写真におさめるのは難しい。
カメラと、捏造に夢中になりながら、それでも本物があると信じて疑わなかった。
いつか、本物のUFOを写してみたい。
そうして、あの人気のオカルト雑誌『みぃ・ムー』の読者欄を飾りたかった。
空は広く…そして、夜は今よりずっと暗く、星が輝いていた。
私は科学が好きで、理屈屋の面がある。が、子供だからロマンの方がそれに勝る時もある。
UFOに会いたかった。
だから、雑誌やテレビで紹介される怪しい儀式をこっそりと窓辺で行ったりした。
空を見て、テレパシーで宇宙人に呼び掛けるのだ。
ナントカー…カントカーUFOさん、私の呼び掛けに答えて頂戴!
幸い、何も呼び掛けには答えなかった。
思い出すだけで恥ずかしい色々だけれど、ネットで犯罪に巻き込まれる子供の記事を見るにつけ、私は宇宙人に呼びかける方で平和だったんだと思わずにはいられない。
ネットの匿名の人も、宇宙人も、善人とは限らないからだ。
今考えると…本当に宇宙人にコンタクトが出来るなら、ネットによる犯罪と比べても、もっと、犯罪として被害者が警察に被害届を出したり、大臣が発言してもいい気がする。
が、その時は、そんな考えは浮かばなかった。
人気の動画配信者は、テレビに呼ばれると喜ぶものだけれど、宇宙人は日本のテレビ程度じゃ、浮かれたりしないし、
私は窓辺でロミオの代わりに宇宙人にこがれていた。
そう、いつの時代も乙女は窓辺で夢想する。
それが、美男だろうと、宇宙人だろうと、大人になる為の大切な階段。
やがて、夢から覚めて大人になるのだ。
自室の窓辺から、外に飛び出して、本当の恋をするために…
だったよな…うん。それで終わりのはずだった。
まさか、この年で、もう一度、宇宙人について考えることになるなんて思わなかった。
ロマンス小説を片手に、月の夜、ロミオに語りかけても、大人になれば懐かしい思い出であり、その時、何を思ったのか、それは、少女時代の成長の話として綺麗にまとめる事が出来ると思う。
でもっ、なんで、宇宙人をテレパシーで呼べると信じていられたかを説明するのは難しい。
今時の携帯電話でも、思っただけでは伝わらない。
そして、そんな事を言い出したのが、フォン・ブラウンや、テスラではなく、オカルトの面々だった事をどうして気づかずに生きてきたんだろう?




