出会いと終わり。
俺はまっすぐと歩いていく。
頭の中はからっぽだ。
何も考えてなんかいない。
そんな俺の頭の中で自動ドアの開く音が小さく響く。
店の中に迷わず入っていく。
自動ドアを通ってすぐの場所には、沢山の花が売られていた。
だが、俺は花を愛でるために、ここに来たわけではない。
しかし、そうとは思っていても花には少し見入ってしまう。
時間は十分にある、と自分に言い訳をした。
俺の花への知識はほとんどゼロに等しい。
コーナーの中央に大量においてあるパンジーはわかるがその程度だ。
それ以外の花は名前を見ても全く分からないものが多い。
花が売っているところなんてほとんど見てこなかったせいだろう。
結局ほんの数分で花への興味は失せてしまった。
そんな自分の心のすさみように胸になにかがつまるような感覚を覚えた。
いつからだったろうか。
俺は目線をあげ店内に進んでいく。
豊富な種類の工事用具
素人には、いつ使うのかよくわからない塩ビ
同じ規格で切られた木材たち、等。
これらが棚に綺麗に陳列され、高く積み上げられた中を俺が通る。
今日は周囲の光景がやけに鮮明に細かくみえる。
人はほとんどいない。
ただでさえ集客のよくないこのホームセンターには、作業服姿の男二人組と店員、そして俺くらいしかいない。駐車場にも軽トラックが二台止まっていただけだ。
そんな空間で俺の耳に入ってくるのは何処かで聴いたような音楽だけである。
寂しい電球の放つ光が少しまぶしい。
俺はまっすぐ目的の場所へはいかずに、適当にペンキのコーナーへ行き8Lの白の塗料とヘラをカートに入れた。
買うものまでは考えていなかったが、これも許容範囲内だ。
お金の心配はない。
そして俺は広いホームセンターをなんとなく一周し、その途中で目的のものもカートへ入れた。
レジへ向かう。
レジのそばの棚では花火が売られていた。
袋にたくさん入ったよくみるタイプの商品や蛇花火、ロケット花火などの変わり種のものもあった。
一つしか稼働していないレジに立つ店員は50代くらいの女性だった。
優しそうで素朴な印象を受ける人だった。
子供がここ最近で巣立って、余裕ができて老後のためにまた働きだしました。そんな雰囲気だ。
ふと店員の視線に気づく。
あぁ、まただ。
最近人を無意識で見てしまうという癖がついた。
相手が自分に比べてどうだとかいちいち考えてしまうのだ。
そのせいで相手を不快そうにさせてしまったこともある。
今回もそれだろう。
はぁ。よくないのはわかってるんだけどなぁ。
「どうかされました?」
「いえ、なんでもないですよ。今日は静かですね。」
視線が不快だったのだと思うと申し訳なくなり、自分の顔が少しでも優しく見えるように少し口角をあげ、目を細めながら言った。今までに成功したケースはないが。
「最近はもうお客さんがかなり来なくて、いつもこんな感じですよ。」
この店員が優しいという予想はどうやら当たっていたらしい。
流れるようにバーコードの読み取りと会話をこなす。
こんなくらいがちょうどいい。
「3570円です。」
「カードお預かりしますね。」
「カードありがとうございます。」
店員から差し出されたカードを受け取りカートを押し出す。
自転車で来たというのに重い塗料を買った自分に頭の中で蹴りをいれておく。
すると背後から
「また花でも買ってくださいね。」
と声が聞こえた。
その声の相手からは顔が見えない程度に体を少し捻じって会釈する。
ここのホームセンターにあんないい人がいたんだ、と驚きつつ自転車のかごに荷物を入れていく。
まずは明らかに計画ミスの8Lの塗料から積む。
それだけでほとんどのスペースが奪われるが、その限られたスペースにヘラもぶっさす。
最後に手に持った10mのロープをみて頷きつつそれをかごに無理やり積んだ。
これの用途は言わずもがなだ。
手綱を握るように震えるハンドルを握り締めて家に向かう。
白線より車道側をまじめにゆっくりと走っていく。
やっぱりこいつ、重いな、、十五分もこいつ乗せて帰るのか、、、
かごの体積の大部分を占めるペンキに睨みをくれてやりながら発した言葉は風に流されていった。
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キキィイィイイイイー---‼
、、!!
音にならなかった空気が喉に詰まる。
見通しの悪い小さな交差点のブロック塀から若い女性が飛び出してきたのだ。
「よかった、、」
最悪の衝突を回避できたことで、ようやく音となった安堵の声が反射的にもれる。
そうしてすぐに倒れてしまった女性のほうへと目を向ける。
俺は吸い寄せられるように彼女のその瞳をみて、とたんに不思議な気持ちに取りつかれた。
それはなにか恐ろしいもののようだった。
彼女は先の危機になにも関心がないような無表情で俺を見ていたのだ。
「すみません。大丈夫でしたか?」
沸き起こる感情をどうにか取り繕うように謝罪の言葉が口から飛び出す。
言いながら自分の声のひどく震えていることに気づく。
「えぇ、大丈夫です。どこも痛んだりもしませんし、ひねった感じもないです。」
俺の声に比べて彼女の声はあまりに冷静で落ち着いていた。
だんだんと緊張で引き絞られていた感覚機能が本来の動きを取り戻してくる。
彼女はとても美しい人だった。
自分のような人間が怪我など負わせてしまわなくて良かったと違う種類の安堵が身にしみる。
「お互い大丈夫そうですし、私は急ぎの用があるのでもう行きますね」
落ち着いた調子を崩さずに彼女が立ち上がりながら言う。
手を貸すまでもなく彼女はそのままその場を去ってしまった。
何かを言う暇も与えられなかった俺は去り行くうしろ姿を少し眺めた後、もう一度かごの重い自転車に跨り家へと向かった。
俺のやることはもう一つだけだった。
二階建てのアパートについた俺は自転車を適当に敷地内に止め、そのまま一階にある自室へと向かう。
6畳トイレ付きの約一年半住んだ愛着のない部屋に入り俺は誰かに聞かせるわけでもない言葉を呟く。
「今までよく耐えてきた、、こんなくそみたいな世界で十分生きたんだ。環境のせいにするなとかいうくそみたいな批判する大人にはもううんざりだ、、」
「よく耐えたよ、いままで。でも、もういいんだ。やっと解放される、、はやく解放されよう。」
そう呟く頬に涙が一筋流れる。
「最後、優しそうな店員さんだったな。けど俺がいなくなっても気にもしない人だ。」
「、、俺が死んでも侮蔑さえしてくれる人はいないだろうな」
「あぁ、悔しいなぁ、、」
顎まで伝ってしまった涙にようやく気づき腕で涙を拭う。
もう決めたのに、と笑えてくる気もした。
その顔はさぞひどいものだっただろう。
「そういやあの人また花を買いにきてくださいなんていってたな」
っ!
なぜ忘れていたんだろう。
ついさっきの美しい女性の不思議な瞳が今になって思い返される。
直近の記憶をたどっていたのにどうやったらあんな印象的な体験が飛ばされるんだ。
どう考えてもあの不思議な出会いは店員との会話で得た経験とは次元が違ったのに。
そしてふとあの疑問が沸き上がる。
あの人は何故、どうしてあんな表情のまま生きられるのだろう。
声に出さなかったその疑問を胸の奥へもう一度押しやって支度をする。
どこにしようかと天井に目を向けてみるが、何かあるわけではない。
ただ人のような木目がこちらを見下ろしていた。
玄関のノブしか都合のいいところがなかったためそこに決めた。
事後処理で迷惑をかけないためにトイレも済ませ比較的清潔そうな服に着替えた。
ロープを結ぶ自分の指は震えて、自分のものとは思えない。
指だけでない。
全身が、これはだめだと騒いでいる。
ひどく激しく痛みさえ感じる鼓動も、震える足も、
全細胞が緊急信号を出して耳が痛い。
「はぁ、、ごめんな」
そんな緊急信号のする感覚を投げ捨てて、俺は身をゆだねた。
それはもはや快楽さえ感じられるものだった。
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意識が途切れる直前。
あるいはそれ以降に。
再びあの光景がフラッシュバックする。
彼女が立ち上がる瞬間、耳元に彼女が近づく一瞬、彼女はなにか言ったような気がした。
ありがとうございました。