洋館の幽霊(後編)
守山アカネから依頼を受けてから1時間ほど。
俺と彼女は、幽霊が出るという古びた洋館の前に立っていた。
すぐ近くまでタクシーで来ることができたのは幸いだった。
まあ山奥とはいえ別荘地ということなので、周辺の道路が整備されているのも当然と言えば当然か。
タクシーにはかなり多めにお金を払い、その場で待機してもらっている。
周囲も薄暗いが、まだ夜7時にもなっていない。
前回の幽霊の出現時間にはまだ余裕があるわけだが……。
……なるほど、いる。
館内に入る前からすでにかなりの霊力を感じる。
正直このレベルとは想像していなかった。
もっとも、幸いなことに悪霊が発する独特な気配をまるで感じない。
これは隠そうとしても滲み出てくるので、かなりいい展開と言える。
これなら除霊以外の手段で対応できるかもしれない。
守山は俺の表情の変化に気付いたのか、こちらを覗き込んできた。
「ど、どう? 話をする余裕はありそう?」
「実際にこの目で見ないと、なんとも言えないな」
曖昧に答えておく。
守山アカネは除霊して欲しいと言っていたが、彼女の話を聞いた限りもう少し穏便に対応できるのではという印象があった。
実際にここまで来て、その印象はさらに強まった。
この洋館に住み着いた幽霊は、どこにでもいる浮遊霊とはレベルが違う。
最低でも意思の疎通は取れるだろう。
うまくいけば、話し合いで出て行ってもらうこともできるかもしれない。
とはいえ、それは確実な話ではない。
結局のところ幽霊は俺たちと違う基準でこの世界に存在している。
たいした理由もなくこちらに危害を加えてくる可能性があることも否定できない。
だから希望的観測を伝えて守山に気を抜いてもらいたくはなかった。
「なんにせよ、プロとしての判断に任せるからね。巣鴨っちのいいようにしてください」
「ああ、任せとけ」
律儀に頭を下げてくる守山に、力強く頷いた。
守山から鍵を受け取り、入口の扉を解錠する。
先に館内に入るのはもちろん俺だ。
可能性は低いとは思うが、館内に入った瞬間攻撃されるかもしれない。
リスクは減らしておきたい。
ギギイと耳障りな音を立てながら、扉が開いた。
……館内は深い闇に覆われている。
それまで聞こえていた虫や鳥の鳴き声も扉を開けた瞬間、聞こえなくなってしまった。
手探りで電気を点けてみたが、霊障のせいだろうか暗闇のまま。
この館全体が幽霊のテリトリーなのだろう。
しばらく暗闇を見つめ目を慣らす。
……うっすらと周囲が見えるようになってきた。
ただ……。
目が慣れたというより、幽霊が明るさを調整してくれたように思える。
やはり、こちらに危害を加えるつもりはない気がする。
単なるイタズラ好きの幽霊の線が濃厚だろうか……。
そんなことを思いながらも慎重に、周囲を見回す。
……いた!
玄関から入って目の前にある大きな階段。
ここから見える一番上の踊り場に。
――髪の長い幽霊が立っている
「いたあああ!! ね、ねえ、巣鴨っち見えてる? か、階段の所におばけがいるの、分かる?」
守山はガクガクと震えているようだ。
「……」
「ね、ねえ、見えてるの? なんか違うとこ見てない? ほら、私が指で差したほうだよ。やっぱなんか視線がおかしくない? なんで私を見てるの?」
守山を見ていたのは、彼女がかなり俺に近づいてきたからだ。
ほとんど密着する距離で、右手でバンバンと俺の背中を叩きながら左手で幽霊を指差している。
しかし間近で見る彼女は本当に綺麗だ。
そして慌て方が、可愛い。
「ね、ねえ、私に見惚れてる場合じゃないって。おばけ、おばけがいるの!」
「ふふふ」
ホントに可愛い。
来て良かった。
「ぎゃあああああ」
幽霊が近づいて来たせいか、守山は悲鳴をあげていた。
その瞬間ポケットから簡易封印の札を取り出し、サッと幽霊に貼り付ける。
思った通り幽霊は油断していたので、難なく貼ることができた。
俺とて、ただ守山に見惚れていたわけではない。
きちんと幽霊の動きは気にしていたのだ。
こういった「イタズラ好き」タイプの幽霊は無視されるのがイヤなようで、たいてい近づいてくる。
そのうえ今回は守山のリアクションが素晴らしかったので、なおさらテンションが上がって俺のことも驚かせたくなったのだろう。
かなり無防備に近くまで来てくれた。
唯一の懸念はここまで力のある幽霊が本当にそんな単純な動きをしてくれるのか、ということだったが……。
まあ、結果は御覧の通りだ。
念のために守山には防護結界を貼っておいたが、使わずに済むのならそれに越したことはない。
とりあえず幽霊の力は封印できたようで、館に漂う怪しい雰囲気がかなり和らいだ。
守山も驚いたように周囲を見回している。
「あ、あれ? 明かりが点いた? それに幽霊が動かなくなってる。これで除霊完了なの?」
「いや、これは簡易封印だから。身動きを取れなくしただけだ」
俺の力を注ぎ込んだ特殊なお札ではあるが、札自体は妹からの貰い物なので俺はあまり威張れる立場ではない。
力の弱い幽霊ならこのお札を見せただけで除霊できることもあるが、ここまで力が強いと直接貼り付けても数分間身動きが取れない程度だろう。
「ええー、では幽霊様。話を聞かせてもらえますか?」
姿勢を正し、丁寧に尋ねる。
俺は初対面の幽霊には下手に出るタイプだった。
「……ふんっ」
幽霊はプイと横を向いている。
俺のやり方が気に食わないようだ。
まあ誰だっていきなり身動きを封じられれば不機嫌にもなるだろう。
もっとも明るい中で見る幽霊は、どこにでもいそうな幼い少女といった風貌で、特に怖くない。
ただ、誰かに似ているような……。
「うわー可愛い……」
「ま、まあ、そうかもしれんのう!」
守山も館内が明るくなったせいか恐怖心は消えたようで、笑顔を浮かべながら幽霊の頭を撫でている。
そしてこの幽霊の少女、非常にチョロい。
少し褒められただけで満面の笑みだ。
「あ、もうちょっと円を描くように頼む。そうそう、あーそう。うむうむ悪くないぞー」
しかも撫でられて嫌がるどころか、率先して指示を出しご満悦だ。
そんな様子を見ていて気付いた。
この幽霊はどうも守護霊のようだ。
普通の幽霊とは存在感がまるで違う。
守山アカネも多少は霊感があるのだろうが、直接触れることができるのは相手が守護霊という特殊な存在だからだろう。
館につく守護霊というのは聞いたことが無いが、そうであれば凄まじい霊力を持っているのも納得がいく。
本来、守護霊というのは守護対象者のためだけに霊力を使う。
使用する霊力は周囲の自然物から吸収する霊力より多いため、いずれは霊力が無くなり存在も消滅。
そして別の守護霊とバトンタッチする、これが通常のパターンだ。
しかしこの館の守護霊はどうも違うようだ。
守護すべき人間がいなかったためか、霊力は吸収するだけ。
使うことなく長い年月をかけ貯めこんだのだろう。
なんにせよ、俺たちにしてみれば悪いことではない。
守護霊は人間を守ることはできても、危害を加えることはできない。
これなら話し合いで穏便に解決できるだろう。
とりあえず簡易封印の効果が切れるまで、守山と幽霊の少女のじゃれあいを眺めることにした。
「まったく、最近の若いもんは。いきなり霊を縛るなんて礼儀がなっとらん!」
「はい、すいません」
とりあえず頭を下げる。
幽霊の少女は動けるようになるとすぐに俺を罵倒してきた。
俺にも言いたいことはあるが、幽霊とケンカをしても仕方がない。
守山もこの子のことを気に入っているようだし、向こうの気が済むまで謝ろう。
だが。
「誠意がない、誠意が! 土下座しろ、土下座っ!」
「ああんっ!?」
下げた頭をピシピシ叩いてくる幽霊の少女に、さすがの俺もブチ切れた。
普段は温厚な俺だが、なぜだかこいつの振舞いには無性に腹が立つのだ。
こうなったら巣鴨家秘伝の封印牢獄に直接送り込んで、頭を冷やしてもらおう!
「待って待って! よく分かんないけど待って、巣鴨っち! 幽霊さんとお話させて!」
「ぐわあ!」
右手で握りこぶしを作ったところで、守山の妨害を受けて変な悲鳴をあげてしまった。
いや妨害なんて言葉は守山に失礼すぎる。
守山は俺の右腕を取ると、自身の胸元に抱え込んできたのだ。
当然腕に感じる、柔らかな感触。
俺の怒りは一瞬で消えた。
むしろこの状況を作ってくれた幽霊の少女への感謝で、体中が満たされている。
「失礼しました。あとで何百回でも土下座いたしますので、お怒りを沈めてください」
「う、うむ、怒っていたのはワシよりお主のほうだと思うが……。まあどうでもよいか。ワシも少々ふざけ過ぎたようじゃ。すまんな」
「いえ、滅相もございません」
守山アカネはとっくに俺の腕から離れていたが、いまでも俺の心は澄み切ったままだ。
「キラキラした瞳が気持ち悪いが……。あーそれで娘よ、話とはなんじゃ?」
「え? あ、はい。幽霊さんはこの洋館に住んでるのかなって。一応、今の持ち主は私のパパだと思うんだけど……」
「ああ、いや、別に住んではおらん。ここには嫁探しに来ただけじゃから」
「嫁?」
「うむ。嫁探し」
「……嫁!? えっと、結婚するんですか? おめでとうございます?」
守山は混乱したように目を白黒させていた。
そんな守山に向けて幽霊の少女はイヤそうに手をブンブン振っている。
「待て待て、ワシの嫁探しではない! そもそもワシはカワユイ女の子なのじゃ! 見て分からんのか!」
「見て分かります」
深々と頷く守山。
幽霊の見た目は信じるべきではないが、それを言うと幽霊の少女だけでなく守山まで不機嫌になりそうだ。
なので代わりに質問した。
「あの、貴方様は守護霊ではないんですか?」
「ふーむ、守護霊。まあ、そんな感じの存在ではある」
幽霊の少女はそう言うと腕組みをし、威張るように胸を張った。
「ワシはな、今まで長い眠りについていたんじゃが、一族の危機ということで目覚めたのじゃ」
「一族?」
聞き返されるのも想定していたのだろう、幽霊の少女は俺を見てニヤリと笑う。
「――巣鴨一族が存続の危機でな」
「……巣鴨!?」
え、ちょ、それって、まさか!
「さすがに気付いたか、バカ者め。そうだ私こそが巣鴨一族でもっとも優れた霊能力者、巣鴨ヒヨコ! そして……」
右手の人差し指をビシッとこちらに向け――
「ワシの目的は、巣鴨タロウの嫁を探すことなのだっ!!」
巣鴨ヒヨコの叫び声を聞きながら俺は思った。
守山アカネから依頼金を受け取らなくて本当に良かった。
だって……。
今回の幽霊騒動、俺の身内の犯行じゃねえか!