洋館の幽霊(中編)
自慢ではないが、俺は高級マンションに住んでいる。
守山アカネと2人、輝くほど白いマンションを見上げた。
じっくりと外観を堪能したあと彼女に話し掛ける。
「ここ、俺の家」
「うん」
守山のリアクションが薄い。
不思議と残念な気持ちが湧き上がってくる。
もしかして、俺は自慢したかったのだろうか……。
「あ! えっとスゴイ!! こんな高級マンションに住んでるなんてスゴイね!! しかも外壁が白くてピッカピカ! 太陽光を反射してお肉とか焼けそう! 驚いたよ!」
「いやいや、そこまでじゃねえよ」
俺がガッカリしているのに気付いたらしく、彼女が大げさなくらい褒めてくれた。
さすがに恥ずかしくなってしまう。
守山の顔を見ることができないまま、マンションに入り、エレベーターで自宅に向かった。
「なにか飲むか? コーヒー? 紅茶?」
「なんでもいいよ。巣鴨っちと同じのでお願い」
守山にはとりあえずリビングでくつろいでもらうことにした。
俺としてはダイニングテーブルを使うつもりだったが、彼女はテレビ前のソファに腰掛けている。
そちらにもテーブルがあるし、別に構わないだろう。
しかし飲み物に関しては判断に困る。
俺はコーヒーも紅茶も好きではないのだ。
普段は水ばかり飲んでいる。
けれどお客様相手に水を出すわけにもいかない。
守山はどんな飲み物が好きだろう。
……イメージで言えばコーヒーだろうか。
おしゃれなカフェで友達とコーヒーを飲む姿は容易に想像できる。
いやしかし、紅茶もアリだろう。
守山は意外と仕草が上品だったりする。
紅茶を優雅に飲む守山も見てみたい。
チラリと守山の様子を窺う。
彼女はソファに身を沈めながら、まるで誰かに褒められたかのようにへらへらとしている。
そんな守山を見ていて、ひらめく。
第三の選択肢、ココアというのはどうだろう。
ホットココアにフーフー息を吹きかけチビチビと飲む彼女はとても魅力的だろうと思えた。
……なるほど、これだな。
俺は守山がホットココアを飲む姿が見たい。
絶対に可愛いから。
そんな妄想をしていると、彼女が手を上げアピールしてきた。
「わ、私、ココアが飲みたいな。ホットで」
「ココア? 無いぞ」
「なんで無いんだあああー!」
彼女は頭を抱えていた。
よほど飲みたかったらしい。
「す、すまん。俺、ココア飲まないから」
正確には飲み物は客用なので、依頼人の連中が飲まないと言ったほうが正しい。
「……ううん、こっちこそごめん。なんかココアが無いとは思ってなかったんだ、流れ的に」
なんの流れかは分からないが要望に答えられない以上、俺としては謝るしかない。
とりあえず彼女には紅茶を出した。
彼女が気にするといけないので、自分にも紅茶。
軽く口だけつけ、本題に入る。
「それで、守山が幽霊を見たってことでいいんだよな?」
「うん、そう。私のパパは社長をしててね。私とママのために買ってくれた別荘的なお家があるの。山奥にある古びた洋館なんだけど……」
守山はソファに座ったまま、スッと背筋を伸ばし上品に紅茶に口をつけたあと、ぽつぽつと話はじめた。
さすがにこのときばかりは、彼女の表情も曇っている。
しかし……。
山奥にある、古びた洋館。
いかにも幽霊が出そうな場所だ。
「それで昨日も本当はママと2人でお泊りするはずだったんだけど、ママが急に用事ができちゃって。でもせっかくだし、私だけで洋館に泊まることにしたの。そしたら夜中の9時くらいかな、誰もいないはずの隣の部屋から物音がして……」
幽霊の良くある出現パターンだ。
こういうのは基本的に相手をしない方がいい。
「無視した方が良いのは分かってたんだけどさ、音がすごく気になって。つい、隣の部屋の様子を見に行っちゃったの」
守山はその行動を後悔するように目を伏せていた。
「手も足もガクガクしながらドアに近づいて、ゆっくりと開けたら……部屋から青白い手が伸びてきて、バシッって私の手首を掴んできて!」
そう言いながら守山はついに頭を抱えてしまった。
無理もない。
一般人にとっては、かなりの恐怖体験なのだ。
「だから思わず『マジかよっ!?』って叫んじゃったの」
マジかよ?
まあ……恐怖のあまりそういうこともあるだろう。
「とにかくドアを閉めないとって思って、一生懸命ドアノブを引っ張ったんだけど、なぜかドアは逆に開いていくの。ドアが完全に開いて……」
守山はワナワナと震えだした。
「薄暗い部屋の中央には、髪の長い女の子がいて。顔を伏せたまま、スーッと私に近づいてくるの」
まるで目の前にその幽霊がいるかのように、守山は空中を凝視している。
「そして、動けない私の目の前で止まると……伏せていた顔をバッと上げてきて! そこには、目も鼻も口もついてない、のっぺらぼうの顔面……」
「……」
「あまりにも怖くてさ、『でしょうね!!』って叫んじゃった」
でしょうね?
どういうことだ?
「『でしょうね』ってなんだ? 『そうでしょうね』ってことか?」
最後まで黙って聞くつもりだったが、さすがに確認してしまった。
「うん、まあそう。なんか、『分かってたからな!』っていうアピールをしたかったの。顔を上げる前から、『あ、これ、のっぺらぼうになってる奴だ!』ってなったから。割とありがちでしょ? ホラーだと」
俺はフィクションのホラーには詳しくないが、有り得る話だ。
実際、のっぺらぼうになれる幽霊は多い。
基本的に自分の身体の一部を短時間変えるのはさほど難しくないようだ。
除霊師にきちんと取材をしていれば、フィクションでも自然とそういう幽霊が多くなるのだろう。
とりあえず、彼女の話は分かった。
他に聞いておきたいことは……。
「幽霊の手はどうなってた?」
「手?」
「そう、手。ドアを開けたら手を掴まれた。でも、幽霊は部屋の中央にいた。それなりに距離があったはずだろ? 掴んできた手はどうなってたか、憶えてるか?」
守山はなぜそんなことを気にするのか、という表情ではあったが、天井を見上げ一生懸命思い出そうとしてくれた。
「んー。ずっと、掴まれてた気はするね。でも部屋の中央にいたおばけの手が伸びてたって感じじゃなかったなあ。結構広い部屋だから手が伸びないと掴めなかったと思うけど、手が伸びてたらさすがに気付いたと思うし。どうなってたんだろう?」
守山は首をひねっている。
……彼女の勘違いで無ければ、なかなか面倒な幽霊かもしれない。
空間を歪ませた? 守山の認識を変化させた? あるいはもっと単純に、複数体いる?
なんにせよ「触れることができる幽霊」というのは簡単な相手ではない。
油断はしない方が良さそうだ。
……とはいえ、彼女が今も無事なことを考えると、平和的な幽霊という気もするが……。
「……あ、そういや大事なことを聞いてなかった。幽霊と遭遇して、そのあとはどうしたんだ?」
「どうって……。悲鳴を上げながら、外に出て。ホントはすぐに巣鴨っちの家に行こうかなって思ったけど、夜だし迷惑だろうなって。だから友達の家に泊めてもらったの」
ん? 守山は俺の家を知っていたのか? さっきはそんなそぶりは無かったようだが。
「あーっと、勘違いしてましたあっ!! 初めから友達の家を目指してましたあっ!!」
守山が急に大声を上げたので、驚いてしまった。
「お、おう。そうか」
守山はリアクションがかなり大きい。
もっとも目をギュッと閉じ両手を上げて叫ぶ姿がやたらと可愛らしく、俺のハートは鷲掴みにされてしまった。
「……っ」
守山も急に大声を出したのはさすがに恥ずかしかったようで、手を上げたままテーブルに突っ伏している。
「大丈夫か?」
「あ、うん。……大丈夫じゃないけど、大丈夫」
「そ、そうか」
よく分からないが、気が動転しているようだ。
実際、幽霊と初めて会った人間というのは大抵かなり取り乱すものだ。
今まで常識と思っていたことが根底からひっくり返されるのだから仕方あるまい。
そう考えるとむしろ守山はかなり落ち着いているくらいだ。
守山はのっそりと上半身をテーブルから起こした。
「はー……。あー、えっと、それで除霊なんだけど……」
「ああとりあえず、今から行ってみようか」
「今から? いいの?」
「ああ、早いほうがいいだろ?」
「ありがとう!」
そう言いながら守山は、俺の手をギュッと握ってきた。
「……」
ヤバイ、意識が飛びそう。
「あ、ご、ごめんね!」
バッと手を離す。
残念だが助かった。
守山もさすがに恥ずかしかったようで、照れたようにエヘンエヘンと咳ばらいをしている。
「あー、あ、そうだ。依頼料は? 前払いなの?」
「……」
依頼料。
俺が受け取る金額は、一般的な除霊師より安い。
それでも高校生が払える額ではない。
もっとも彼女はお金持ちのようなので払えるかもしれないが……。
「タダで良い」
口から出たのはそんな言葉だった。
実際、守山から金を取る気にはなれない。
「いやいや、そんなわけにはいかないよ。ちゃんと払う。ね、教えて。依頼料はいくらなの?」
守山はグッと身を乗り出してきた。
どうも意思は固いようで、引いてくれる気がしない。
とはいえ俺も、じゃあ払ってと言う気にはなれない。
なにかいい説得方法はないだろうか。
必死に考え、絞り出したのは……
「……えっと。……依頼料はいらないから、その代わりに俺と友達になってくれないか?」
「う、うん!?」
驚く守山と目を合わせられない。
自分でも、なぜこんなことを言い出したのか、とは思う。
それでも口に出してしまった以上、言葉を続けるしかない。
「いや、だから他の人ならともかく、守山からは金を取りたくないんだ。その……依頼じゃなくて、友達として守山を助ける。だから当然無料。……ということに、ならないでしょうか」
言いながら、実質「俺と友達にならないと依頼は受けない」という脅しになっていると気付いたので弱腰になってしまった。
「知ってるだろうけど、俺、友達いないんだ。だから守山が友達になってくれたら嬉しいなあと。あ、いや、もちろん、友達にならなくても除霊はする。守山の頼みだから……」
焦って言い訳を付け加えたが、結局墓穴を掘った気がする。
しかも俺ばかり長々と話してしまった。
内心ビクビクしながら、守山の様子を窺う。
彼女は――こちらをニヤニヤと見ていた。
「友達かあ。私とそんなに友達になりたいのかあ。もー、しょうがないなあ、巣鴨っちは」
そう言いながら守山はこちらに右手を出してきた。
「じゃあ、私たちはお友達だから、依頼料は無しで受けてくれる。そういうことだよね」
俺はそんな彼女の手をしばらく見たあと――
「ああ。友達だからな」
右手を伸ばし、守山と握手した。
なにこれ、すごい柔らかい。
一方的に手を握られるのとは感覚が全然違う。
あとなにか汗を感じる気が。
「ご、ごめんね! 水滴! カップの水滴が手についてたみたい!」
守山はそう言うと慌てて手を離し、ハンカチで手の平を拭っていた。