お礼SS
年末年始のご挨拶がわりに書いたお話が思いの外、多くの方に読んで頂けて感激しています。
お礼になるかどうかわかりませんが少しだけ後日談書きました。
皆様、本当にありがとうございます。
「ジェルマン様、私、屋敷の裏庭を散歩しましたの」
愛しい妻リュシーの言葉にジェルマンは、読んでいた新聞から顔を上げた。
「ジェルマン様はよくご存知でしょうけれど、もしお時間があれば今日は一緒に散歩したいわ」
「いや。俺もここの屋敷のことに詳しいわけじゃない。忙しくて庭のことまでは手が回らなかったからな。今日は一緒に歩いてみよう」
ジェルマンが新聞を畳んで立ち上がると、リュシーは嬉しそうに笑った。
この領地に来て、すぐに結婚して、バタバタしている間に冬となり、屋敷の裏をゆっくり見て回る時間も余裕もなかった。雪深いこの地でも、雪も解けきってようやく遅い春がやってきた。冬の間は、屋敷にこもっておとなしくしていた妻だが、外に出られるとなったらじっとはしていられなかったのだろう。
楽しそうに庭を歩く妻を横目に見ながらジェルマンは思った。
王都を楽しみにしてくれていたリュシーには申し訳ないが、やはりこちらでの生活の方がリュシーには合っていたように思う。
「聖女と結婚してはどうだ」
国王陛下に言われた時は、背中に嫌な汗が流れた。
思わず聖女に目をやると、驚いたような顔をしているから、聖女が望んだことでもないのだろう。
それよりもその脇に控えている聖女騎士団長の顔が怖い。陛下は名君だとは思うが、色恋沙汰には疎いようだ。
――俺より結婚相手に適している人が陛下のすぐ近くにいますよ。
団長が聖女に気があることは、団員の間では知られたことだった。当の聖女本人は気づいていないようだったが。団員が聖女を純粋に護衛対象として見ることができているのは、聖女は団長のものという暗黙の了解があるからだ。団の規律の保持にも一役買っているようにも思う。
まさか、陛下がご存じないとは。
「は! あの、ありがたいお話ではあると思いますが……」
ジェルマンは冷や汗を流しながら団長を見た。どんなに怖い顔をしていてもここで頼れるのは王弟である団長しかいない。
ジェルマンの思いを汲み取ったのか、団長が目でうなずいた。
「陛下。恐れながら申し上げます。ジェルマン・ロベール騎士爵は、ロベール伯爵家の次男であり、将来は伯爵家の北方の飛び地を管理することが決まっております。そのために農業に明るい婚約者もおり、この度、退団と結婚の許可の申請を受けているところであります」
「え!」
声を出したのは、聖女だった。
それはそうだ。ジェルマン自身も退団して結婚するなんて初耳だ。
だけど、団長がそう言うのなら、この結婚を断るのにこれ以上の理由はないのだろう。王都での生活は楽しかったが、本来、聖女騎士団に一生属するつもりもなかったので、そのあたりに異存はなかった。ただただ、王都の生活を楽しみに三年も待ってくれたリュシーに申し訳なかった。
だけど――。
「それは、誠か」
「は!」
ジェルマンは、頭を垂れた。
リュシーと結婚できなくなるなら、王都での生活に未練などなかった。
ジェルマン様! と呼ぶ声に現実に引き戻される。
久しぶりに王都でのことを思い出したのは、この暖かい風のせいか、今朝読んだ新聞のせいか。
『聖女の結婚。騎士団長と』
新聞の見出しには大きくそう書かれていた。
まあ、本当のことかどうか疑わしいが。
ジェルマンは自分の時の誤報を思いだして遠い目になった。
しかし、あの団長ならたとえ嘘だとしても本当にするだろう。
「騎士としての立場を守れなくてすまない」
あの後、故郷に帰る前、そう言ってくれた団長だったが、なんとかジェルマンを王都に残す手段はないか奔走してくれていたのは知っていた。そもそも、一団員であるジェルマンに婚約者がいることも、伯爵領にジェルマンが継げる飛び地があることも把握してくれていたことに驚いた。そして、自分の思惑があったとしても、ジェルマンが聖女との結婚を望めば、あそこでああは言わなかったと思う。
それがわかっていたから、ジェルマンは団長に感謝こそすれ、謝罪されるようなことは思い当たらなかった。
「いえ。団長は自分の一番大事に想うものを守ってくださいました。ありがとうございました」
ジェルマンが頭を下げると、団長は眉を下げて笑った。
「まあ。二度とお前のような者を出さないためにも、私もそろそろ頑張ろうと思うよ」
帰りに団長がよこした馬車には、王都を楽しみにしてくれていた婚約者への謝罪の品として、王都で流行っている菓子やアクセサリーなどが山と積まれていて、それを見たときのリュシーの顔は今思い出しても見ものだった。
「見てください。この木、実家の裏山にあった木に似ているでしょう?」
再び、思い出に耽っていたジェルマンの手をひいてリュシーがやってきた場所には、確かにリュシーの実家の子爵家の裏にあった思い出の木に似ていた。
初めて会った時にスカートのまま木を登るリュシーには度肝を抜かれた。スカートの中を見ないようにしながら木を登った十二歳の俺を褒めてやりたい。だが、あの木の枝の上で明るく笑うリュシーにジェルマンは惹かれたのだ。
「久々に、一緒に登るか?」
「まあ、ジェルマン様ったら。私そんなに考えなしじゃありません。もうすぐ二十歳なのよ」
意外な言葉にジェルマンは驚いた。木登りは卒業したということか。
「登るのは来年の春を待つことにします。だって、登れるようになるころにはもう冬なんですもの」
「え?」
何を言われているのかわからないジェルマンの手を取って、リュシーは自分のお腹に当てた。
「生まれるのは冬に入ったころですって」
――!
ジェルマンは、思わずリュシーを強く抱きしめた。
が、慌てて離した。危ない。我が子をつぶすところだった。
そして、もう一度そうっと妻を抱きしめ直した。
「リュシー」
「はい」
「ありがとう」
「……はい」
答えるリュシーの声が震えている。
今年も慌ただしい一年になりそうだ。次の雪が解けたころには、三人でこの庭を散歩しよう。
見上げた空は、抜けるような青空だった。この土地の春には珍しくない天気だが、ジェルマンにはいつになく輝いて見えた。