番外編
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
ほんのおまけですが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
「あーあ。ちょっといいなと思ってたのにな」
宮殿の一角で、アンジェは窓辺で組んだ腕にほほをつけてつぶやいた。
窓から吹き込む風がアンジェの前髪を揺らした。
もともとごく平凡な平民だったアンジェは三年ほど前に聖女と認定され、宮殿で暮らすようになった。
家族と離れて生活するようになった十五の少女のために、護衛騎士の名目で歳の近い若者が集められた。
主に、騎士として身を立てようとする貴族の次男や三男で、アンジェは貴族様となんか仲良くなれないと思って慌てたが、皆、物腰は上品だが気のいい若者たちで、アンジェは寂しさを紛らわすことができた。
ジェルマン・ロベールは、その中でも比較的年の近い騎士で、大層きれいな顔をしていた。
アンジェは最初こそ、格好いいなと思ったものの、無口で表情のあまり動かないジェルマンと、特に親しくなるわけでもなく、そのうちジェルマンの見た目にも慣れてしまい、大勢いる護衛騎士の一人としてしか認識しなくなった。
きっかけは覚えている。
アンジェが護衛を何人かつけて城下に降りたとき、ジェルマンもその中にいた。
宮殿への帰り道、路地の一角に空き家があった。平民が住むには大きいが、貴族が住むには質素という程度の大きさのその家を、ジェルマンがじっと見つめていた。
その時はまじめなジェルマンがよそ見なんて珍しいなとは思ったが、大して気にも留めなかった。
護衛騎士たちは、アンジェの住む宮殿の一角に部屋を与えられており、非番であっても宮殿内で思い思いに過ごすことが許されていた。
ある日アンジェが散歩をしていると、ジェルマンと同僚の護衛騎士が話しているのが聞こえた。
「この間の家、今すぐ住まなくても押さえておくことはできるかな」
「お前、あの家本気で買うつもりなのか。どこがいいんだ。お前ならもっといい家買えるだろう」
どうやらジェルマンは家を買いたいらしい。この間の家だろうか。宮殿での生活が嫌なのかしら。アンジェは、宮殿を出て生活できるジェルマンを少しうらやましく思った。
「あの家、裏庭に木が生えているだろう。あの木が、俺の婚約者が気に入っている木にそっくりなんだ」
「なんだ、気に入っている木って。何の変哲もない木だったぞ」
裏庭の木が気に入ったから家を買うの? 戸惑う同僚と同じようにアンジェも戸惑った。お貴族様の考えることはわからない。
そう思って、ジェルマンを見て、アンジェは衝撃を受けた。
ジェルマンが微笑んでいる。見たこともない顔で。
いや、ジェルマンだって無口だけど不愛想というわけではない。寡黙で表情も動きづらいが笑うことくらいある。でも、そんな顔で笑うジェルマンを見たことがなかった。
一度気になると、それからジェルマンのことがやたらと目に入るようになった。
ある時は、ジェルマンが宮殿の庭の一角で手紙を読んでいるのを見かけた。その時も、あの笑顔をしていた。
また、ある時は、王都で流行っているお菓子を食べながら、何かを書き付けていた。やはり、あの笑顔だった。
そして、アンジェは気づいた。
ジェルマンが、その顔をするときはいつも婚約者を想っているということを。
さりげなく情報を集めると、ジェルマンには領地の近くに住む婚約者がおり、本当は結婚してから王都に来るつもりだったこと、いつか王都に呼び寄せると約束していることを知った。
羨ましかった。
そんな風に大事に想ってもらえる婚約者が。
だから、襲撃されてジェルマンたちが守ってくれた後、ジェルマンについて王様から聞かれた時に、
「ジェルマン様に、大切に思われるなんて幸せだと思います」
と言ったのだ。それが、どんな結果を生むかも知らずに。アンジェは別にジェルマンと結婚したいわけではなかった。それは、ちょっとはいいなと思っていたけれど、婚約者から奪うつもりなんかなかったのだ。
でも、結局、ジェルマンはアンジェとの結婚を断るために、聖女の護衛騎士を辞めた。
最後まで、婚約者を大事にしたジェルマンには尊敬しかない。でも、アンジェはへこんだ。自分の何気ない一言で一人の騎士の人生を変えてしまった。それは、つい数年前までただの庶民だったアンジェには衝撃だった。
だから、ここ最近聖女様は元気がないという噂が流れているのを知っていても、こうやってため息をつくのをやめられないのだ。それがジェルマンに失恋したからだと思われるのははなはだ不本意だったが。
「なんだ、まだ落ち込んでいるのか。男はジェルマンだけじゃないぞ」
そんな微妙な乙女心を逆なでする男が、ずかずかと部屋に入り込んできた。
いくら身分が高くでも、乙女の私室に許可もなく入り込んでくるのはマナー違反だと思う。
抗議の意味を込めて睨んでみるが、当の本人は涼しい顔だ。
「それとも、自分の発言の影響力の大きさに落ち込んでいるのか?」
ぐっとアンジェは詰まった。こいつ鋭いな。
「伯爵家の次男程度では、聖女の発言に逆らうには騎士を辞するしかなかったんだろう。だから、今度はお前の発言にも対抗できる人間を選べばいいんだ」
何を言っているんだろう。不思議そうな顔をアンジェが向けると男はにっと笑った。
「例えば、王家の人間とかな。既に王位継承権を放棄している王弟なんか、最適だぞ。権力争いにも巻き込まれず、しかも年回りがちょうど良くて、婚約者もいなければ離婚歴もなかったりしたら最高だと思わないか」
例えば俺みたいに、と笑うその男は現王の末弟。
会えばいつもアンジェをからかってくる変わった王族だ。聖女騎士団の団長を務めている。
王様も王子様たちもみんなキラキラなのに、なんでこいつはこんなに胡散臭いんだ。
聖女でなければ、いや、聖女であっても不敬罪に問われそうなアンジェの態度も全く意に介さない。
だが、いつもなら軽口を叩いて気が済んだら帰っていく男が今日は違った。
すっとアンジェの前に片膝をついて座った。平民出身のアンジェでもその意味はわかった。
「だから俺にしとけ」
珍しくまじめな顔でそういう彼に、やっぱり訳がわからないと膨れながら、それでも、ちょっとときめいてしまったのは、腹が立つので、アンジェだけの秘密だ。




