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 本日、朝にも1話投稿しております。未読でしたらそちらから先にお読みください。

 ――だけど、現実はそうはならなかった。


 ジェルマンは、宣言通り十五になった次の春に騎士団に入った。やはり長い休暇は取りづらいようで、専らリュシーの方からにはなったが、ジェルマンが領地の騎士団にいたころは、それでもよく会いに行くことができた。領主の息子であるジェルマンはその地位に甘んじることなく、騎士団での訓練や仕事に真剣に取り組んでいるようで、騎士団でも可愛がられていた。騎士団のメンバーはリュシーのこともジェルマンと同じようにかわいがってくれたが、ジェルマンはそれが面白くないらしかった。騎士団のメンバーがリュシーを構えば構うほどジェルマンが不機嫌になることに気付いたリュシーは、自分の居場所が取られたように感じているのかもしれないとジェルマンを気遣った。テリーには多分違うから気にすることはないと言われたが、その後は騎士団には控えめな差し入れをするくらいにとどめるようにした。


 別れは突然だった。


 ジェルマンが十七、リュシーが十五になった年に、王都に聖女が現れた。

 聖女は、リュシーと同じ十五歳で、聖女の護衛騎士として、国中から年若い騎士が集められた。


 聖女と歳が近い、伯爵家出身のジェルマンに白羽の矢が立ったのは当然と言えた。


 テリーが以前言っていたように、通常は地方の領地から実力が認められて王都の騎士団に引き抜かれるのは二十歳を過ぎてからで、大体が既に家庭を持っている。ジェルマンもいずれはと考えていたのかもしれないが、独身のまま王都に行くことになるとは思っていなかっただろう。リュシーだって、そんなことはずっと先だと思っていた。


 一週間後に王都に出るという時期に、久しぶりにジェルマンがリュシーの家にやってきた。


「来週、王都に行く」


 いつもの裏山で二人きりになると、ジェルマンはそう言った。もちろん、知っていたが、リュシーは黙ってうなずいた。


「落ち着いたら迎えに来る。待っていてくれるか」


 声を出そうとしたけれど、またうなずくのが精一杯だった。


 ジェルマンが、そっとリュシーの頬に触れた。すごく大事なものに触れるような優しさだったから、せっかく我慢していたのにリュシーの目からついポロっと涙がこぼれた。ジェルマンの指がビクッと震えたが、一粒涙をこぼしたリュシーは声が出せるようになった。


「王都の騎士様のお嫁さんになれるなんて楽しみです」


 精一杯の強がりだった。ついでに笑ってみせた。リュシーは本当は、ジェルマンがいてくれるなら王都でなくてもちっとも構わなかったのだが、これから王都で一旗揚げようと思っているジェルマンにそれは言えなかった。

 ジェルマンは眉を下げて笑うと、


「じゃあ、リュシーが落ち着く家を探して、万事整えておく」


 と言った。本当は、何にも整わなくていいから、今すぐ連れて行ってほしいと思ったけれど、足手まといになりたくなくて、結局リュシーは


「はい」


 と答えただけだった。


 王都に行ってからは、全く会う術がなかった。聖女付きの騎士団に配属されたジェルマンは、王都から出ることができなかったし、リュシーもさすがに王都まで会いに行くことはできなかった。その代わり、リュシーは頻繁にジェルマンに手紙を書いた。内容は、たわいもないことだったけれど、ジェルマンも短いながらにきちんと返事をくれた。


 任務に関することは書けないから、王宮の庭園に見事なバラが咲いていたとか、今王都ではこんな菓子が流行っているとか、些細なことだったけれど、必ず最後には早くリュシーを王都に呼びたいと書かれていて、リュシーはその手紙をすべて大事にしまっておいた。


 ジェルマンが、王都に行ってから三年が経ったころ、王家と対立する勢力が聖女を襲おうとする事件が起きた。その時に、聖女を守って活躍した騎士の中にジェルマンがいた。ジェルマンは一躍有名になり、王家から騎士の叙勲を受けた。二十歳での叙勲は異例のことだった。


 ジェルマンの活躍は、遠く離れたリュシーのところまで届いた。王都で発行する新聞が、しばらく遅れてリュシーの領地にも届くのだ。新聞にジェルマンのことが載っていると、父と兄が読み終わった新聞をくれた。リュシーはその記事を大事に読み、さらにエリやアミイに読んで聞かせた。そのうちに読み書きがあまり得意でないエリやアミイも新聞のタイトルを頑張って読み、


「ジェルマン様の記事ですね!」


 と喜んでくれるようになった。


 ジェルマンの叙勲式にはリュシーは行けなかったけれど、ジェルマンの父である伯爵が参列し、その報告でリュシーの子爵家にも来てくれた。ジェルマンがいつか手紙に書いていた王都で流行りの菓子を手土産に子爵家を訪れた伯爵は、息子の雄姿をリュシーにも語って聞かせてくれた。


 そして――。


「この後の一連の行事が落ち着いたら、一度こちらに戻ってくることになった。二か月後くらいになると思う。その時にはリュシー嬢にも会いに来れると思うよ」

 

 伯爵の言葉にリュシーの心は踊った。

 

 それから二ヶ月半が経った頃、ついに、ジェルマンが帰郷するとの知らせが届いた。ジェルマンからの手紙には、実家に寄ったあと、リュシーの家に向かうので用意して待っていてほしいと書かれていた。


 その手紙を受け取ってから、リュシーは毎日裏山の木に登った。今日こそは、見晴らせる道の向こうから、伯爵家の馬車が現れるのではないか、いや、ジェルマンが乗った馬かもしれない。


 そして、待ちに待ったその日が来た。


「ジェルマン様が、伯爵領に戻ったそうだ。三日後にこちらに来る。用意しておくように」


 父にそう言われ、張り切ったのはアミイとエリだった。その日から、毎日湯船に浸けられ、ピカピカに磨き上げられた。アクセサリーもすべてきれいに磨き直され、ドレスも陰干しされた。


 そして、その日の朝――。


 リュシーは、いつもよりとても早い時間に目が覚めた。

 窓から、外を見ると郵便屋が何かを届けに来たのが見えた。


 新聞だ。そう思ったリュシーはそっと部屋を抜け出し、邸の正面玄関に向かった。郵便物は通常、誰かしら家の者に直接渡されるが、早朝に届く新聞は別だ。余程の荒天でない限り、雨でも油紙などに巻かれて、玄関の軒下の奥、雨や風の影響の少ないところに置いて置かれる。

 案の定、それは新聞だった。


 あいにく小雨模様だったので、新聞は油紙に包まれていた。

 こっそり読みたいところだったが、父や兄より先に読んだことがわかったらまずいだろう。そう思ったリュシーはそっと新聞を取り込むと、食堂の父の席に置いておいた。少しでも早く二人に読み終わってほしかった。


 けれど、何故かその日は父も兄も新聞をくれなかった。今日はジェルマンの記事は載っていなかったのだろうか。前回の記事は、叙勲を受けた後、いよいよジェルマンが故郷に凱旋することが書かれていた。ここ最近の新聞には、必ずジェルマンの記事があったから、今日も当然載っていると思ったのに。


 そう思いながら、廊下を歩いていると、兄の部屋の掃除を担当するメイドに出会った。その手には、今朝の新聞が握られていた。


「それ、今日の新聞?」

「そうだと思います。お坊ちゃまに捨てるように言われましたので」


 新聞を見ると、見出しに大きく『護衛騎士、凱旋の目的』と書かれていた。きっとジェルマンのことに違いない。お兄様、私に見せてくれないなんて。


「いらないなら、私がもらってもいいわよね」

「ええ。大丈夫だと思います」


 メイドから、新聞を受け取ったリュシーは、裏山に向かった。新聞をもったまま、器用にいつもの枝に上る。ジェルマンは昼すぎには到着すると聞いているが、見渡す道の先に馬車が見えてから準備をすれば間に合うだろう。


 リュシーは、おもむろに新聞を広げた。






 冷たい風に、ぶるっと体が震えた。気が付くと、日が陰っていた。ジェルマンはとっくに到着したらしい。リュシーの事を諦めたメイドは屋敷に戻っていた。暗くなってきたところを見ると、一度止んだ雨がまた降るのかもしれない。


 仕方ない。リュシーは木から降りることにした。どこで雨を凌ごうか。ジェルマンと顔を合わせるのは、避けたかった。


『聖女騎士団ジェルマン・ロベール騎士爵の凱旋の目的は、聖女との結婚の報告をするためだ。』


 記事に書かれていた一文が、何度も頭をよぎる。

 記事には、聖女を助けた英雄であるジェルマンとの結婚を聖女が望んだこと。それを王家と聖教会が認めたこと。今回は、実家に結婚の報告をするために凱旋するのだと書かれていた。リュシーには晴天の霹靂だった。


 ――ばかみたい。


 ジェルマンが、故郷に帰ってきて、リュシーの子爵家にも来ると聞いて、リュシーは自分に会いに来てくれるものだと信じ込んでいた。確かに、最近手紙の頻度が減ったが、それは活躍をして英雄となって、色々忙しいからだと思っていた。


 まさか、リュシーではない女性と結婚する準備を進めていたなんて。


 リュシーはこぼれそうになる涙をこらえながら、屋敷の方に向き直った。


 目の前に、ジェルマンが立っていた。


「リュシー」


 あんなに会いたくて会いたくてたまらなかったのに、今は会いたくなかった。目を合わせないように顔を伏せる。


「顔を見せてくれ。リュシー」

「……お父様とのお話は終わりましたの?」

「ああ」

「私に気を遣ってくれる必要はないわ。全て知っていますもの」


 リュシーの言葉に、ジェルマンが息をのんだのが聞こえた。その拍子にリュシーは思わず顔を上げてしまった。ジェルマンは悲痛な顔をしている。リュシーの胸が痛んだ。



 「そうか。知っているのか」


 ジェルマンは、そのまま頭を下げた。


「すまない。あんなに王都に住むことを楽しみにしてくれていたのに」


 違うわ。リュシーは叫びたかった。王都に行きたかったんじゃない。ジェルマン様、あなたのそばにいたかったのよ。


「あなたが幸せならそれでいいわ」


 心にもない強がりに、ぱっと顔を上げたジェルマンが嬉しそうで、心が抉られる。

 けど、次の瞬間、リュシーは温かいものに包まれた。それが自分を抱きしめているジェルマンだと気づいてリュシーは混乱した。


「え?」

「良かった。王都に住む家の目星までつけていたのにこんなことになってすまない」


「え?」

 話の内容は別れを告げるものなのに、ジェルマンはますます強くリュシーを抱きしめる。リュシーが混乱しているうちにジェルマンは突然リュシーを抱き上げた。


「じゃあ早速向かおう」

「え? え?」


「おい、ジェルマン。慌てるな。荷物だって纏めてないし、結婚式はまだ先だろう」


 家の裏口からテリーが呆れた口調で歩いてきた。


「お兄様!」

 リュシーは兄をすがるように見た。今の自分の格好を恥ずかしいと思う余裕もなかった。

 

 のんびり歩いてくる兄とは対照的にジェルマンは不満げだ。


「もう充分待っただろう。リュシーだっていいと言ってるんだ」

「いや待て待て。詳しいことを話していないだろう。激しく戸惑っているじゃないか」


 テリーにそう言われて、ジェルマンは改めてリュシーの顔をまじまじと見た。



「――嫌だったか?」 

「……ジェルマン様は聖女様とご結婚されるのでしょう?――きゃ!」


 ジェルマンの腕の力が抜けて、リュシーは地面に落ちかけたが、ジェルマンが慌てて抱き抱え直したのでなんとか元の体勢に戻った。


「……誰がそんなことを」


 ジェルマンがふるふると震えている。リュシーが言葉を失っていると、テリーの腕が横から伸びてきた。


「これだよ。そろそろうちの妹を下ろしてくれないか。危なっかしくてハラハラするから」


 ジェルマンにそうっと地面に下ろされたリュシーは息を吐く。

 テリーが指さしたのは、リュシーが読んでいた新聞だった。リュシーの手からそれを奪って文字を追うジェルマンの顔がどんどん険しくなっていく。


「……誰だ。こんな勝手な記事を書いたのは」

「そりゃあ新聞記者だろう」

「なんで俺が聖女様と結婚することになっているんだ。ちゃんと断ったのに」

「――断った?」


 リュシーは耳を疑った。記事に書いてあることが事実だとすると、聖教会、ひいては国王が認めたはずだ。断るなんてことができるのだろうか。


「それはそうだろう。俺にはリュシーがいるんだから」

「そんなことができるのですか?」

「できたけど、そのせいで王都では暮らせないんだ。聖女付きの騎士を辞めたから」

「辞めた!?」


 思わず大きな声を出したリュシーにジェルマンは真面目な顔でうなずいた。


「聖女様と結婚しないかという打診があったのは本当だ。リュシーがいるのに、そんなわけにいかないから、領地に帰って伯爵家の飛び地を管理しないといけないからと断ったんだ」

「なんで――」

「婚約者がいるっていう理由だけだと断れそうもなかったんだよな」

「それでもよく断れたな」

「ああ。上司の騎士団長が協力的でな。口添えしてくださった」

 

 テリーの質問に答えるジェルマンを見ていたリュシーは呆気に取られた。聖女様との結婚は王命のはずだ。そりゃあ子爵家に婚約者がいるからなんて、たわいもない理由で断るのは無理だろう。


「領地に行ったら領主自ら自衛団を組織しようかと思っている。王都の騎士の経験は無駄にならないだろう」


 だから領主夫人として一緒に来てくれないか。


 涼しい顔で言うジェルマンに頭がついていかず、うーんと唸ったリュシーの顔はゆでだこのように真っ赤で、慌てたジェルマンと苦笑いのテリーに落ちてきた雨を避けるように屋敷に運ばれたのだった。




 結局、ジェルマンがごねにごねて、わずか一月後にはリュシーは、ジェルマンと共にジェルマンが継ぐ予定の領地に旅立った。リュシーにとってジェルマンはちょっとやんちゃだけどいつも貴族然とした紳士だったので、このごねっぷりは想定外だった。

 そのさらに二月後には、その領地にある教会で結婚式を挙げた。ジェルマンの言う通り、リュシーの故郷に雰囲気のよく似た領地は、領民との距離も近く、新領主とその新妻の披露パーティーは領主の館を開放して領民も招待された。

 若い領主夫妻を皆、歓迎してくれた。




「ああ、疲れた。よく働いたなあ」


 そう言って、ソファにもたれるジェルマンを見てリュシーは微笑んだ。

 結婚式の更に一ヶ月後、怒涛の勢いだった領地経営の引き継ぎもいち段落し、リュシーは領地に来て、と言うよりジェルマンが帰ってきてから初めての休日を迎えることができた。ジェルマンに至っては王都を発つ前から休みなしだったらしく、今日は朝からソファにだらしなく座って、ぐったりしている。


 比較的寡黙で貴族然としていると思っていたジェルマンだったが、一緒に暮らすようになってからは、くつろいだ姿も見せてくれるようになった。


「おいで」


 ジェルマンが手を広げて呼ぶ。隣に腰かけたリュシーだったが、そのまま腕を引かれて、ジェルマンの胸にもたれかかるような体勢になってしまう。


「あ、あの、ジェルマン様」

「ああ、リュシーの香りがする」


 くんくんと犬のようにリュシーを嗅ぐジェルマンに、リュシーは真っ赤になる。


「……嗅がないでください」

「あはは」


 恥ずかしがるリュシーに珍しくジェルマンが声を上げて笑った。


「リュシー。ここでの暮らしはどうだ?」

「はい。あの、大変なことも多いですけど、皆さん良い方ですし、ジェルマン様もいて楽しいです」

「王都じゃなくても?」

「ジェルマン様」


 リュシーはジェルマンの胸を押して起き上がった。珍しく真剣な顔のリュシーに、ジェルマンも体を起こしてリュシーの手を取る。


「私が王都に行きたかったのは、そこにジェルマン様がいたからです」


 途端に、もう一度、今度はもっと強く腕を引かれた。そのまま、ジェルマンに抱きしめられる。


「そうか」

「はい」


 リュシーは、先ほどのお返しとばかりに胸いっぱいにジェルマンの香りを吸った。


「ジェルマン様の香りがします」

「そうか? 好きなだけ嗅ぐと良い。服を脱いだ方が、嗅ぎやすいか?」

「な……!!」


 お返しのはずだったのに、また真っ赤になったリュシーに、ジェルマンは先ほどより大きく声を上げて笑った。

 これにて本編完結です。年明けに短い番外編をあげたいと思っています。

 今年一年間、拙いお話を読んでくださったり、感想や誤字脱字報告をいただいたり、ブックマークしていただいたり、本当にありがとうございました。

 来年も、マイペースで書いていけたらなと思っています。また良かったら遊びに来てください。

 皆様、良い年を!

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