子供の話
亡者は基本的に十王の裁判を受ける。
それは性別も歳も関係なく、自分の罪や判決を噛みしめる様に長く辛い道のりを歩むことになる。
しかし、一部にだけは例外も存在する。
それは、親に先立ち死んでしまった子供達の苦行、肉体的に責め苦を受けることはない代わりに地蔵菩薩の救いがあるまで続く終わらない親の供養。
賽の河原の石積みである。
地獄の責め苦は子供には辛すぎる、しかし何もせずに天国に素通りということもできない。
子供にも子供なりの罪や修行があるのだ。
「……今日はあと二件か。しかも子供とは」
「この仕事も無くならないねぇ。昔に比べたら子供の死自体は大分少なくなったけど、この現代でも起きちゃうのが無常だね」
「子供が当たり前に生きられる様になったのはこの数十年のことだ。それこそ百年前にもなれば、七歳まで生きられることが大きな祝い事で『七五三』なんて始まったくらいだしな。俺達にできるのはきちんと輪廻の流れに戻してやることだけだ」
亡者の相手をするのはもう慣れたものだが、それが子供となると少々違う。
大人と違って感情を剥き出しにしてぶつかってくるが、そもそも精神が成熟する前の子供なのだからそれが当然のこと。
俺達が対する時点でその子供達は頼れるものを無くし、大人でも引きずられる想いに整理を付けなければならないのが不憫でしょうがない。
査定室としてそこに感情を持ってはいけないが、毎度平穏な心持ちでいられないのが正直なところだ。
今日も憂鬱な仕事だと溜息を吐いたところで、一件目の亡者が見えてきた。
その小さな鬼火は、一軒の家の前で激しく揺らめいていた。
まるで暴れるように揺らめくそれは、俺達が傍に降り立つと小さい男の子に姿を変える。
「ようボウズ、元気か?」
「なんだよお前ら! こんな夜にあやしいやつらだな!!」
「まぁ怪しいのは否定しない。俺達は君を、そうだな。成仏させにきたお迎えだ」
そしてこの説明も苦労する要因である。
どうも俺の言葉遣いは難しいらしく、『子供相手にそんなこと言っても分かるわけないじゃん』というのは金の言葉だ。
だから子供の相手は、そのほとんどを金に任せている。
「君は…… ああ、虐待で亡くなったのか。それは難儀なことだったね」
「……許さねえ。おれは絶対にあいつらを許さねえ。だからあいつらをひどいめにあわせるまでここにいるんだ!!」
「ああ、それね。そんな君に嬉しいお知らせがあるよ。両親の悪行を元に亡くなってしまった子供には、ちょっとした救済措置があるんだ」
「きゅう…… なに?」
「君の人生を奪う原因になったご両親に、君が望むなら酷い目に遭ってもらうことが出来るってこと」
「ホントか!?」
子供の恨みを晴らす救済制度。
この制度は賛否が分かれるが、適用を子供に限っているので現状は機能を許されている。
子供の判断力を元にして生者に影響をもたらすのを問題だとする声もあったが、子供も一人の人間であるとして、その命を奪われたことへの選択を委ねることになった。
もちろん、その選択の重さは背負ってもらうが。
「君は、あの両親が酷い目に遭うことを願うかい?」
「あたりまえだ! 言っただろ、許さないって」
「……オーケーだ。さて、そんじゃどんなのがお好みだい? 焼死に圧死に轢死に溺死、よりどりみどりだけど」
「よくわかんないけど、それってどうなんの?」
「何故か家に火が点いたり、何故か隕石が降ってきて潰されたり、何故か車が突っ込んで来て事故になったり、何故か足を滑らせて川に落ちたり」
「死神ってスゲーッ!! それなら火がいい!!」
「死神じゃないんだけど…… よろしい、じゃあ離れて見ていようか」
金の奴が電話で閻魔庁に連絡し、指で○を作り“処理”が行われたことを示した。
ほどなく。
大した時間も掛からずその家に火が灯る。
比喩でなく、行燈の明かりを見ている様にそれは大きくなり、あっという間に家を包み込んだ。
「ホントに火が点いた! どうやってんの?」
「え? 地獄から普通に火を付けに来てる人がいるだけだよ。そんな魔法みたいなの使えないし」
「ええ…… なんか現実的……」
僅か数分で燃え盛る炎は家を覆い隠し、中の人間が逃げる間もなくその全てを焼き尽くす。
少年は、笑った口を半開きのままでその様子を眺めていた。
「やった! ざまあみろ!!」
「それじゃ、君を送る番だ。最初は何をすればいいか分からないと思うけど、同じ様な子が沢山いるし教えてもらってね」
「えっ、なんでそのデカい鎌を持ってるんだよ! いや、ちょっと待っ」
金は問答無用で振り下ろし、魂を地獄へ送った。
「あと一件かぁ。これくらいすんなり終わってくれると助かるけど」
「焼けた両親にはお迎えも手配されている。地獄で対面することも、もしかしたらあるかもしれんな」
「獄卒の前じゃ虐待もできないでしょ」
焼けて崩れていく家をあとに、ファイルを開いて次の仕事を確認した。
本日二件目の仕事、今度は小さな女の子だ。
ファイルによると炎天下の車中に放置されて亡くなったらしく、今でも家の周りに憑いているらしい。
しかし両親は獄中らしく、誰も帰らない家を見続けているという。
「悲しいなぁ。やるせなくて参っちゃうね」
「そうは思うが、その辺りは割りきれ。でないとキリが無いぞ」
「せめて来世は幸せになって欲しいね」
普段は能面みたいに変化が無い銀の目が、少しだけ下がる。
この仏頂面も思うことはあるみたいだ。
真っ暗な一軒の家の前、小さく揺らめく青い炎がある。
「どうも、こんばんは」
「…………」
「ありゃ、どうかしたのかな?」
「……知らない人と話しちゃいけないって教えられたの」
「フッ、その通りだ。繁華街でキャッチに捕まるお前より賢いかもしれんな」
「こんな子の前でキャッチとか言うんじゃないよ」
歳の頃は5歳くらいかな、ずいぶんと儚げな印象だ。
「気を取り直して、オレ達は君のお迎えに来た獄卒…… 地獄で働いてる人だ。自分でもなんとなく分かってるかもしれないけど、君はもう死んじゃってるんだ」
「俺達は君が新しい人生に向かうための道案内といったところだ」
「もう、お母さんとお父さんには会えないの?」
「可哀そうだけど、ご両親は君を車に置いて死なせてしまったことで捕まっているんだ。君はもう幽霊だから二人から見えないし、会うことはできないかな」
俯いてしまった子供が話を聞けるようになるまで少し待つ。
さっきのボウズと違ってかなり真面目で大人しめのようだ。
「地獄のシステムで君が望むなら両親にひどいことを起こせるけど、どうする?」
「べつに、いいです」
「ありゃ、そっか」
「これからは、優しいお母さんとお父さんでいてくれたらいいな」
「……と、いうことです。天国行きで大丈夫ですかね」
「そうですね。亡者となってもご両親を想えるこの子なら、このまま天国へ連れて行っていいでしょう」
「へ? おわっ、地蔵菩薩様いつの間に」
音も無く背後に立っていたのはお地蔵様だ。
本来怖いものじゃないけど、この登場の仕方は勘弁してもらいたい。
何事も無かった顔でいる銀を見ると、こいつが手配したみたいだな。
「お地蔵、さま?」
「はい。あなたは不幸な最期となってしまいましたけれど、それでも家族を大切に思いやることができる子です。私と天国へ行きましょう」
「よかったな。君は自分を酷い目に遭わせた両親に仕返しする選択もあったが、それでも君は何もしないことを選んだ。そういうことが出来る人は、大人でもあまりいないよ」
「天国に行くの?」
「閻魔大王も許可を下さいました。さ、転生に向かいましょう」
小さな雲に乗って、地蔵菩薩様はその子を連れていく。
夜だというのに後光が差し、光の彼方に二人は消えていった。
「……よし、そんじゃ帰るか」
「転生先はランダムだからな、今度は幸せな家庭に生まれるといいが」
一抹の寂しさを感じながらオレ達は地獄へ戻るのだった。
「らっしゃーせぇー!! 二名様ご案内でぇーす!!」
「とりあえず生二つ、あとそうだな…… 子持ち昆布の天ぷらと刺身を」
「お前…… どんな神経でその注文を……」
「別に今日の仕事は関係ない。単純な俺の好みだ」
やってきた天ぷらのサクサクとした歯ごたえと卵のプリプリした触感が飽きさせず、ほのかな塩気と油がビールを求める。
思わず唸ってしまう程の幸福感に目を瞑っていると、冷ややかな視線を感じて金の方を向く。
仕方ないだろう、好物なんだから。
追うように刺身で一杯やりだした金が口を開く。
「ところでさ、賽の河原の石積みってどれくらいやるのかね。地獄に堕ちた亡者の責め苦だと途方もない時間がかかるけど、あれもそうなの?」
「いや、基本的に三か月くらいだ。先に行っていた順に地蔵菩薩様がお救いになって転生をする。もちろん真面目に石を積んでいた子供が優先だがな。最近は石積みなんて楽しくないと騒ぐ子供もいるらしい。担当の獄卒も大変だな」
「時代が進めば子供だって娯楽を知ってるからねぇ」
ビールから焼酎に変わり、氷が音を立てるグラスをゆっくりと傾ける。
「子供のお迎えなんて無くなりゃいいのにね。でもまぁ、そうもいかないもんか」
「どんな時代でも完全な安全なんて不可能だろう。それに子供と言えど罪があることもある。きちんと清算を助け、転生させてやるくらいしか出来んさ」
深くなる酔いに任せるように、俺はそこで思考するのを止めた。
「閻魔大王様。三途の川からの報告で、子供達がス○ッチやスマホを寄越せと騒いでいるらしいです」
「なんだそれは…… 賽の河原をナメてるとしか思えんな。もちろん却下だ」
「しかし、同じことの繰り返しでつまらないと石積み自体を辞めてしまう子供もいるようで、獄卒からどうしたらいいかと相談が」
「ええ…… 幼稚園とか学校の先生って大変だな…… とりあえず、予算でドミノでも買っておきなさい」
「ま、石積みよりは面白いですかね。普段の行いとか出来る速度とかでご褒美も考えてみますか? 一日外出券とか」
「それ、修行とか供養になってないよね……」
大王は子供の心を掴むことの難しさに、頭を抱えるのだった。