送迎課 査定室
地獄。
その言葉にどんな光景を思い浮かべるだろうか。
絶えず響き渡る苦痛の声に、あちこちから湧き上がる猛火。
どこまでも広がるひび割れた荒野に、亡者を苦しめる恐ろしい獄卒。
詳しくは知らない人でも、なんとなくそんな景色を考えるのではないだろうか。
その考えは概ね正解だ。
死者は三途の川を渡り、十王の裁判を経て己が罪に向き合い、罪に合わせたその後を過ごすことになる。
しかしこの現代、このシステムが完成した当時からは比較にならない程に人口が増加し、更には時代が進むにつれ罪の区分が多様化し、地獄はとてつもない忙しさに襲われていた。
「閻魔様、このまま人員の不足が慢性化しますと、迎えることが出来ない亡者が現世に溢れかえり我々の評価がガタ落ちです。そうなると天国からの報酬も減少し、地獄の運営は悪い方へ転がり落ちていくでしょう。何か手を打たなければなりません」
「金剛よ、そうは言うが毎年新規の獄卒は採用しているし、設備だって丁寧に現状の物を使って現場は節約してくれている。これ以上省けるムダなんて思いつかないぞ」
金剛と呼ばれた男性は顎に手を当てて思案する。
刈り込んだ黒い短髪の中から突き出た二本の角と、黒地に赤の幾何学模様が描かれた着物が獄卒らしさを際立たせている。
対する閻魔大王は、現世に伝わる絵姿とは似ても似つかぬ、普通の好青年に見える。
大抵閻魔として描かれるのは、人間の何倍もの背丈で鮮やかな衣装を身に纏い、見ただけで震え上がる様な恐ろしい形相で亡者を一切の容赦なく裁く地獄の代名詞とも言えるものだ。
が、ここにいるのは地味目な着物で閻魔殿の柱にもたれかかっている普通の青年である。
「それぞれの地獄に勤める獄卒が不足するせいで各庁で働く獄卒も減る。そのせいで裁判に掛かる時間が増え、地獄に迎え入れる亡者も制限しなければならない。一体どうすれば……」
「そんなんだから尊敬される上司に選ばれないんですよ」
「それとこれとは関係ない!!」
舌打ちと共に辛辣な言葉を吐きながら金剛はしばし唸り、やがてひとつの案を出した。
「思い切ってやり方をアレンジしてみますか」
その提案は地獄のシステムに変化をもたらした。
現世で人が死んだ時にその魂を迎える送迎課、その中に新たな部署を作ったのだ。
現状のまま大規模な改善は不可能だと考えた閻魔達は、送迎課の手が回らない亡者へ特別な『お迎え』を寄越すことにした。
そして事前に準備しておいた生前の行いを参考に、簡単な罪の判断をしてその後の裁判を行いやすくする『査定』を行うシステムを作り上げた。
その部署が、『送迎課 査定室』である。
「さあて、今日の亡者は大人しいといいけど」
「期待するな。いざ地獄に行くとなると何をするか分からんのが亡者だ」
「銀ちゃんは達観してるねぇ」
空を落ちる。
夜の冷たい空気が着込んだスーツを乱し、折角整えた自慢の金髪がグシャグシャだ。
背負った大鎌が邪魔でしょうがないが、規則なので下ろしたくなるソレをしっかり背負い直す。
今日の目的地は学校だ。
電気が消えたその屋上に、青白い影は立っている。
そばに降り立つと、その亡者はひどく驚いた顔でこちらを見た。
それもそうだろう、空から黒スーツの男が二人も落ちてきたら誰だって驚く。
青白い影はやがてはっきりと少女の姿になり、この学校の生徒らしいことを予感させる。
今回はどんな亡者なのか。
「どうもお嬢ちゃん、俺達は地獄の獄卒。明るい金髪のオレが金で、こっちの白髪で仏頂面なのが銀。分かりやすくていいでしょ? あだっ!」
「誰が白髪で仏頂面だ。それにこの頭は銀髪だ」
遠慮なしに後頭部を殴られる。
オレと変わらないくらいの短い髪だが、寄った眉に切れ長の目が恐ろしさを強調している。
190近い背丈に角を生やしデカい鎌を背負って、初対面の印象は役満だ。
ホレ見たことか、女の子が若干引いてる。
「まぁ、分かりやすく言うとオレ達は『お迎え』だ。本当は亡くなった時に正規のお迎えがあったんだけど、地獄も最近は忙しくってね。タイミングを逃しちゃった君のお迎えに、今更ながらやってきたってワケさ」
「君の生前の情報は持参している。記録によれば、ふむ…… 目立った悪行は見当たらんな。歳も若いし、天国行きで問題ないだろう」
「えっと、あの、何の事ですか……? それに記録って?」
目を丸くする少女の目の前で、銀が手に持つファイルとひらひらと見せる。
と言っても特別な物じゃなく、百均製の安物だ。
ありふれた薄赤い色のソレを示して銀は説明を始める。
「倶生神、人間には生まれた時から男女一対の神が憑いている。その二人は宿っている人間の行いを逃さず記録し、死後それを閻魔庁へ届けて裁判の材料とする。コレは、君が死んだ時に届いていた物だ」
「逃さず、記録を……」
「そうだ。だからなんだ、君が此処に縛られている理由の察しもついている」
その言葉で少女は俯く。
決して少なくない経験から言えるが、死者が同じ場所に留まる理由なんて大体ロクでもないものだ。
先生との交際が始まったのは、三年の春でした。
陸上部の部員も卒業式と入学式で入れ替わり、私が部長になって接点が増えたのがきっかけで、不安を相談するうちに惹かれていきました。
そして、5月の連休の頃には、肉体関係もありました。
嬉しかった。
満たされていた。
私は、誰かを支えて、誰かに支えられていると信じていました。
でもそれは、呆気なく壊れた。
『別れよう』、たったそれだけの言葉が投げかけられて、先生は秋から冷たくなりました。
私は縋りました。
どうして、どうして。
何度もそう言って縋りついて、やっと二人で話す機会を作ってもらって。
先生の部屋で出されたコーヒーを飲んで、私は死にました。
苦しくて、でもそれ以上に悲しくて。
最期まで、私を見下ろす無表情の顔を見ていました。
「……うーん、この歳ながらヘヴィだねぇ。ここは君の学校だったのかな?」
「はい…… 意識が朦朧として、それでもこの時間になるとここで目が覚めて。誰もいないのに、離れられないんです」
典型的な地縛霊だ。
元々きちんとお迎えが出来てればこうもならなかっただろうに、少し気の毒だな。
「オレ達は君が次に進めるように手助けできるワケだけど、送ってあげても大丈夫かな?」
「送るって、ここから離れられるんですか?」
「そうそう。ちなみになんだけど、恨みとかは大丈夫?」
「もちろん憎いとは思いましたけど、それよりも悲しい方が大きくて…… ただここで眺めていることしか出来なかったんです……」
これはありがたい。
亡者ってのはまだ輪廻できていない分、生前の記憶に縛られる。
その中でも恨みって感情はとてもデカくて厄介だ。
簡単に切り離せないとは言え、それは全く亡者の先に繋がらない。
少女の言葉に少し安心して、背中の鎌に手を伸ばす。
「そんじゃ、ちょっとだけ怖いの我慢してね。君は天国行きだろうし、あっさり地獄も通過できると思うよ」
「あの、その鎌は?」
「これね、亡者の魂を地獄に送る道具なんだけど、大鎌にした方がそれっぽいって理由でこんなモン背負わされてるの」
「……それはどっちかと言うと死神じゃ」
「みんなそう言ったんだけど、お迎えに行くヤツが他に何を持つって言われて誰も他に案を出せなかったんだよね。刀だとなおさら死神になっちゃうし」
少しだけ和んだ空気に助けられ、鎌を振りかぶる。
「あの教師については心配せずとも衆合地獄行きだろう。今後の行い次第で更に下もあり得る。君は気にせずに天国へ行きなさい」
「そゆこと。悪い奴は必ず地獄へ落ちるから安心して。今度は幸せな人生を歩めるように願ってるよ」
まだ少し戸惑っているらしい顔だったが、オレは迷いなく振り下ろす。
切り裂いたその体は青白い鬼火に変わり、空へと消えていった。
パソコンでまとめたレポートを印刷し、室長のデスクに置く。
現世でリモートが浸透し始めた昨今だが、この地獄では未だにレポート作成などの事務作業もそれぞれの課でやらされる。
これくらいの作業は個人的に自宅でやらせて欲しいものだ。
これがあるせいで、仕事で現世に行った後も職場に顔を出さなければならない。
効率云々を口にする割に徹底できていない詰めの甘さを感じる。
「はぁぁぁぁぁ…… やっと帰れる」
「お、銀ちゃんも終わった? そんな仕事できそうな見た目なのにレポート作るの下手だもんね」
「やかましい。お前の様にテンプレを使い回すよりは真面目でいいだろう」
「毎日毎日亡者の査定とお迎えするんだもん、そんなに書き分けできないよ」
お茶らけた態度だが、何かと器用に仕事をするのがこの男だ。
事務にしろ現場にしろ、実際コイツの仕事が遅れているところを見たことがない。
「そのうち荼枳尼課長に怒られるぞ」
「まぁまぁ、その時はその時だよ」
一矢報いてやろうと口にした上司の名前も、コイツには効果が薄いらしい。
相変わらずの態度に溜息を吐きながら、デスクの片付けを終わらせ帰り支度をするが、金からいつもの言葉が飛び出してくる。
「よし、そんじゃ帰りに一杯行こうぜ!」
「どうせメシも作れんしな。行くか」
仕事終わりの一杯は、現世でも地獄でも魅力的だ。
地獄は八大地獄と八寒地獄に大別され、それぞれが更に八つに別れ、その一つ一つが更に十六に分かれ、更に更にプラスアルファもあるとんでもない数である。
そのため地獄はとんでもない規模の大きさであり、分かれている地獄が県や市の様に機能しているのだ。
送迎課が設置されているのは八大地獄において責め苦が最も軽い等活地獄、地獄の入り口であるため現世までの距離が一番近いからだ。
金と銀の二人が働き、住んでいるのもこの地獄である。
亡者を責めたてる場所は区分けされ、獄卒たちが暮らす地域はまるで現世と見間違うような街が出来上がっている。
買い物に急ぐ者や、仕事にくたびれて安らぎの一杯を求める者。
ネクタイを緩めて通りを歩く二人は、まさしく後者であった。
「今日はここでいいか」
「どうでもいいが、この『苦楽苦楽』とかいう名前はなんとかならんかったのか」
「地獄だしね」
席に着き、酒を飲みながら肴をつまむ。
酒で喉を鳴らして仕事の疲れを癒す様子は現世のサラリーマンとなんら変わらない。
「今日の亡者、どう思うよ」
「どうとは何だ?」
「結構重めの境遇だったけど、イケない恋に溺れるってのは本人の罪だと思う?」
「下らん。大人と子供なのだ、責任は大人にある」
「ふーん、でも高校生ってのは難しい年頃だよねぇ」
「その難しい年頃を導くのが教師の役目だ。手を出すなど話にならん」
「そりゃそうだ。それじゃ、あの子の輪廻に乾杯でもしようか」
グラスを鳴らして、二人は再び飲み始めた。
「うむ、査定室の資料も浄玻璃の鏡も合っているし、そなたは天国行きとする。これまでの裁判も真面目に受けているし、ここで最終決定としていいだろう」
「は、はい。ありがとうございます」
閻魔殿の中、獄卒に連れられた亡者に閻魔大王の審判が下る。
事前に聞いていたとはいえ、本当に天国行きの判決がされたことに戸惑っている様子だ。
そんな亡者を見下ろし、閻魔はその恐ろしい形相を少し和らげた。
「では天国行きの手続きを済ませて送り届けるように」
「はい! 了解致しました」
引率役の獄卒が亡者を連れ巨大な扉から出ていくと、今日の裁判で使った資料をまとめていた金剛が口を開く。
「閻魔様、本日の裁判は以上になります」
「ふぅ、今日も疲れたな」
その言葉を合図に、閻魔の姿が地味な着物の青年に変わる。
裁判を行っていた巨大で畏敬の念を抱かせるようなオーラは、そこには微塵も感じられない。
大きく息を吐きながら、先程までの姿で座っていた机に背を預けている。
「最初に地獄絵を描かせた時に見栄を張るからこんなことになるんでしょう。別に少しおしゃれするくらいでよかったのに」
「いや、やっぱりこう威厳が欲しいだろう! ただでさえ童顔で若く見えるのに、大王なんて肩書きなんだぞ」
「そのせいで十王の中でも一番有名になって苦労しているのは誰ですか? ただでさえ地蔵菩薩との二面性で認知される幅が広がっていたというのに」
落ち込む閻魔の傷に塩を塗り込む勢いでグサグサと事実を並べる。
やがてのしかかる言葉に潰され、その場に倒れ込んでしまった。
「ホラ、仕事は終わったんですからさっさと帰りますよ」
「金剛ぉ~飲みに行こうよぉ」
「閻魔様の奢りならいいですよ」
地獄。
そこは意外と身近で親しみやすいが、自分の行いが詳らかに晒される場所。
これはそんな地獄の忙しない日常と、亡者の行く先を記したお話。