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「そう言えば少年、お前まだ食事中だったろ?」
魔女のその一言で、とりあえず全員一旦席に着いた。
「はい、温め直したから! ほんと、ごめんね!」
食事の手を止めちゃってと、ラーウ。
キリアンの前にはまた温かなスープが置かれ、逆に申し訳ない。ラーウは全然関係ないのに。
騒ぎの当人達。魔女は、ラーウがさっき座っていた目の前の席で優雅にお茶を飲み。
幻獣なのらしい男は、当たり前のようにラーウの隣、二人掛けの席からこちらを不満そうに睨む。
「――ところで」
魔女が口を開く。
「体の具合はどうだ?」
自分に尋ねているのだろう問い掛けに、スープを運ぶ手を止めて答える。
「別に、何も…」
違和感はあるが痛みはない。ちゃんと寝たからだろうか? 昨日とは違いすこぶる体調は良い。
魔女は食事を続けろというように手を振って。
「それならいい。何ヵ所か折れてたからな。
とりあえず繋いどいた」
キリアンは軽く目を見張る。
折れていたという自分の体のことでなく、そんなことも出来るのかと。
その表情に気付いたのか、魔女が可笑しそうに笑う。
「不思議か? 相手を傷付ける術は、逆に言えば治すことも出来る。それだけだ。
それに魔女と言えば、治療が得意なのは昔からの常識だろう?」
「…………治してくれて…」
「――ん?」
「…ありがとう、ございます…」
キリアンが、詰まりながらもお礼の言葉を口にすれば、少し驚いた顔をした魔女。
「あはっ、バカ犬よりは謙虚だなー。素直でもあるし」
そうだなぁ…。と目を細め、魔女はキリアンを眺める。暫く考えるように黙った後、
「お前…、わたしの弟子になるか?」
不意にそんなことを言う。
「……――は?」
「母さん!? 何言ってんの!?」
ラーウが見かねて口を挟む。
「何で? 別に良いだろ。どうせ多分行くとこないだろうし、こいつ」
「デリカシーは!?」
確かに魔女の言う通りだ。自分にはもう戻る場所はない。それは自らが捨ててしまった。
だからその提案はとても有り難い。
力を欲しているし、その術を知りたいとも思う。だけど。
キリアンは自分の胸の、心臓と同じく脈打つ石に触れる。
「ああ、それな、」
自分の思わんとすることが分かったのか、今は服に隠されているはずの胸の石へと、魔女は正確に視線を当て。
「後で外すから」
本当に何でも無いことのように告げる。
「はっ!?」
「何で驚く? 昨日ラーウも言ったろ? 助けるって。愛する娘が言うのだから仕方がない」
めんどくさいけどな。と言う、魔女の声には。でも揺るぎない自信があって。
「本当に、外せるのか……?」
「くどいなぁー」
鬱陶しそうに顔をしかめる魔女。
助けると、大丈夫だと、言われはした。温かく心休まる声で。
だけどそれは、自分を慰める為のただの気休めだと思っていた。
キリアンは、困惑の表情をラーウへと向ける。
それに気付いたラーウが笑って。
「――ね、大丈夫だって言ったでしょ?」
どうしたらいいかわからなくなって、思わず俯いた。
昨日既に醜態をさらしてしまったので今更ではあるが。きっと今自分は、情けない顔をしているはずだ。
俯いたキリアンの肩に、またあの温かい手が触れる。優しく。
「さぁ、また冷めちゃうからまずは食べよう」
「ラーウ、離れて!」
「うるさいぞ、駄犬」
顔を上げずに小さく頷き、少し冷めたスープを口に運ぶ。
それはとても優しい味。だけど、
何故か少し、しょっぱかった。
「―――よし! こうしよう!」
食事も終わり、キリアンはラーウを手伝い一緒に片付けを済ませて。再び席に着いたところで魔女が言う。
「何が?」
尋ねるラーウに、
「アルブスにやらせようと思ったけど、時間の無駄なのでわたしがする。
犬に繊細な作業はやっぱり無理だな」
頬杖を着いた魔女は、不遜な態度で幻獣である男を見る。
「本質的に魔力の使い方が違うんだ」と、眉をしかめる男。
「ふん、まぁいい。でも、手伝ってはもらうぞ」
魔女は言う。それは当然のように。
「何を?」
しかめたままの顔を向ける幻獣。
それに対して魔女は笑う。
「食えばいいだけ」
「…………何を……?」
そして、やはり当然のようにキリアンを指差し。
「少年を――、お前が食え」
さも当たり前のように言った。
──‥──‥──‥──‥──
薄暗く閉じた部屋。
その部屋の中央で淡く揺らめく泉が、壁に光を踊らせる。
灯りなどない。その泉自体が光の源。
ただ、そこに満ちるものは水とは言えず。なので実際には、泉と呼ぶには少しおかしいが。
強いて言えば、魔力の泉――。
側に佇むのは一人の男。泉を覗き込む黒いフードの下の顔は見えない。
ふと、何かに気付いたように男は顔をあげた。
闇夜のような黒い瞳が宙に止まる。だが、
「―――様、」
邪魔するように聞こえた声に、不快に眉を潜めた。
実体はなく、声だけが空間に響く。
男への報告。
ひとつの供給が絶たれたと。
どうやら、力ある幻獣に食われたようだと。
それはフェンリルだろうと。
滅多にお目にかかれない幻獣。その魔力は、是非とも手に入れたいもの。
捕縛すべきかの問いに、男は笑う。
「…死にたいのなら、好きにすればいい」
そしてこれ以上の報告は不要とばかりに、強制的に通話を閉じた。
幻獣であるフェンリルが、一番好むものは魔石。
だが、狼である獣だ。動物であれ人であれ獲物を食らうだろう。
「フェンリルか……」
男にとっても、その魔力は魅惑的なもの。だけど。
その一瞬。微かな一瞬に。
感じたものは。
懐かしき者の気配。
自分を、見捨てた。
男は再び、泉へと視線を落とす。
その奥底に揺蕩うモノへ。
愛おしげに細められたその瞳は、泉の光を受けて尚――、
深く、どこまでも暗い深淵のようだった。




