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ヴェルトアーデン交響譚  作者: 乃東生
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2

「そう言えば少年、お前まだ食事中だったろ?」

魔女のその一言で、とりあえず全員一旦席に着いた。



「はい、温め直したから! ほんと、ごめんね!」

食事の手を止めちゃってと、ラーウ。

キリアンの前にはまた温かなスープが置かれ、逆に申し訳ない。ラーウは全然関係ないのに。


騒ぎの当人達。魔女は、ラーウがさっき座っていた目の前の席で優雅にお茶を飲み。

幻獣なのらしい男は、当たり前のようにラーウの隣、二人掛けの席からこちらを不満そうに睨む。



「――ところで」

魔女が口を開く。

「体の具合はどうだ?」

自分に尋ねているのだろう問い掛けに、スープを運ぶ手を止めて答える。

「別に、何も…」


違和感はあるが痛みはない。ちゃんと寝たからだろうか? 昨日とは違いすこぶる体調は良い。

魔女は食事を続けろというように手を振って。

「それならいい。何ヵ所か折れてたからな。

とりあえず繋いどいた」


キリアンは軽く目を見張る。

折れていたという自分の体のことでなく、そんなことも出来るのかと。


その表情に気付いたのか、魔女が可笑しそうに笑う。

「不思議か? 相手を傷付ける術は、逆に言えば治すことも出来る。それだけだ。

それに魔女と言えば、治療が得意なのは昔からの常識だろう?」

「…………治してくれて…」

「――ん?」

「…ありがとう、ございます…」


キリアンが、詰まりながらもお礼の言葉を口にすれば、少し驚いた顔をした魔女。

「あはっ、バカ犬よりは謙虚だなー。素直でもあるし」


そうだなぁ…。と目を細め、魔女はキリアンを眺める。暫く考えるように黙った後、


「お前…、わたしの弟子になるか?」


不意にそんなことを言う。



「……――は?」


「母さん!? 何言ってんの!?」

ラーウが見かねて口を挟む。

「何で? 別に良いだろ。どうせ多分行くとこないだろうし、こいつ」

「デリカシーは!?」


確かに魔女の言う通りだ。自分にはもう戻る場所はない。それは自らが捨ててしまった。


だからその提案はとても有り難い。

力を欲しているし、その術を知りたいとも思う。だけど。

キリアンは自分の胸の、心臓と同じく脈打つ石に触れる。


「ああ、それな、」

自分の思わんとすることが分かったのか、今は服に隠されているはずの胸の石へと、魔女は正確に視線を当て。

「後で外すから」

本当に何でも無いことのように告げる。


「はっ!?」

「何で驚く? 昨日ラーウも言ったろ? 助けるって。愛する娘が言うのだから仕方がない」

めんどくさいけどな。と言う、魔女の声には。でも揺るぎない自信があって。



「本当に、外せるのか……?」


「くどいなぁー」

鬱陶しそうに顔をしかめる魔女。


助けると、大丈夫だと、言われはした。温かく心休まる声で。

だけどそれは、自分を慰める為のただの気休めだと思っていた。


キリアンは、困惑の表情をラーウへと向ける。


それに気付いたラーウが笑って。


「――ね、大丈夫だって言ったでしょ?」



どうしたらいいかわからなくなって、思わず俯いた。

昨日既に醜態をさらしてしまったので今更ではあるが。きっと今自分は、情けない顔をしているはずだ。


俯いたキリアンの肩に、またあの温かい手が触れる。優しく。

「さぁ、また冷めちゃうからまずは食べよう」

「ラーウ、離れて!」

「うるさいぞ、駄犬」


顔を上げずに小さく頷き、少し冷めたスープを口に運ぶ。

それはとても優しい味。だけど、


何故か少し、しょっぱかった。




「―――よし! こうしよう!」


食事も終わり、キリアンはラーウを手伝い一緒に片付けを済ませて。再び席に着いたところで魔女が言う。


「何が?」

尋ねるラーウに、

「アルブスにやらせようと思ったけど、時間の無駄なのでわたしがする。

犬に繊細な作業はやっぱり無理だな」


頬杖を着いた魔女は、不遜な態度で幻獣である男を見る。

「本質的に魔力の使い方が違うんだ」と、眉をしかめる男。


「ふん、まぁいい。でも、手伝ってはもらうぞ」

魔女は言う。それは当然のように。

「何を?」

しかめたままの顔を向ける幻獣。

それに対して魔女は笑う。


「食えばいいだけ」

「…………何を……?」


そして、やはり当然のようにキリアンを指差し。



「少年を――、お前が食え」



さも当たり前のように言った。









──‥──‥──‥──‥──





薄暗く閉じた部屋。

その部屋の中央で淡く揺らめく泉が、壁に光を踊らせる。

灯りなどない。その泉自体が光の源。

ただ、そこに満ちるものは水とは言えず。なので実際には、泉と呼ぶには少しおかしいが。

強いて言えば、魔力の泉――。



側に佇むのは一人の男。泉を覗き込む黒いフードの下の顔は見えない。

ふと、何かに気付いたように男は顔をあげた。


闇夜のような黒い瞳が宙に止まる。だが、

「―――様、」

邪魔するように聞こえた声に、不快に眉を潜めた。


実体はなく、声だけが空間に響く。

男への報告。

ひとつの供給が絶たれたと。

どうやら、力ある幻獣に食われたようだと。

それはフェンリルだろうと。


滅多にお目にかかれない幻獣。その魔力は、是非とも手に入れたいもの。

捕縛すべきかの問いに、男は笑う。


「…死にたいのなら、好きにすればいい」


そしてこれ以上の報告は不要とばかりに、強制的に通話を閉じた。


幻獣であるフェンリルが、一番好むものは魔石。

だが、狼である獣だ。動物であれ人であれ獲物を食らうだろう。



「フェンリルか……」

男にとっても、その魔力は魅惑的なもの。だけど。


その一瞬。微かな一瞬に。

感じたものは。


懐かしき者の気配。


自分を、見捨てた。



男は再び、泉へと視線を落とす。

その奥底に揺蕩う()()へ。


愛おしげに細められたその瞳は、泉の光を受けて尚――、

深く、どこまでも暗い深淵のようだった。



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