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二話目です。
今のラーウよりかは幾分年を重ねた姿。それはいつも終わりを迎える頃のラーウ。それから先へと進むことのない。
エルダを見上げる色のない瞳には、困惑と、怯えだろうか? それが見て取れ、動揺したように小さく揺れる。
「………母さ、ん…? 何で……」
ここにいるのかと問いたいのだろう。
エルダは呆れたように見つめ、ため息を吐く。
「なかなか帰ってこない娘を迎えに来たに決まってるだろ」
先に吐いたため息に、やはりラーウである少女はびくりと肩を揺らすが、後の言葉に驚いたように目を見開く。
「………それは、私も……?」
「娘だからな」
「………っ」
きつく眉間が寄せられる。
「でも私は母さんに…っ、皆に……、取り返しのつかないことをした元凶だよ!?
そんな…っ、そんな資格はないっ!」
眉間にシワを寄せ、そう訴える顔。
険しい表情を作っているようだがエルダから見れば泣き出しそうなのを堪えている顔にしか見えず、そのことに小さく笑い、
「それでもだ。 わたしの娘であることに変わりはない」
ゆっくりと、そしてはっきりと言い切れば、瞳に浮かんでいた感情はハラハラと剥がれ落ちる。それでもまだ頑なに残っているのは、自分自身がそれを許さないと、許すべきではないという意志。
「……でも、もう戻れない。この世界は私のせいで終わってしまう」
背後で、もうひとりの娘からも息を飲む気配。
エルダは小さく嘆息すると、
「わたしに考えがある」
心配するな。とだけ言う。
それに驚き意味を問おうとした少女を遮り、エルダは取りあえず――、と。
「まずは先に片付けてしまおうか」
そう言って視線を落とす。未だ倒れたままの男へと。
青い輝きは成りをひそめ、金の光が強くなった蝶は、スルトの胸元で羽を休めるように静かに留まっている。そして近づくエルダに気づくとフワッと舞い上がり、逃げるでもなく差し伸べられた手にじゃれるように舞う。
そんな蝶へと向けエルダは静かに言う。
「わたしは、お前を思い出すことを避けていたのだろうな…。
…………ホントに、すまない…」
その死を心の奥底に閉まった。守りきれなかった事実から目を背けるように。
わたしは強き者などではない。弱さを認められなかっただけだ。
むしろ、弱さを弱さとして突き進んだスルトの方が余程強い。
ただやり方と方向性を間違えたのだ、この男は。
「―――おい、いい加減に起きろ」
声に力を混ぜて放てば倒れ伏す男の体がピクリと動く。
エルダの周りを飛んでいた蝶はその動きでまたスルトの方へと戻り、それを目で追ったエルダに苦笑が浮ぶ。
「………………―――エルダか…、」
強制的に加えた力でわかったのだろう、額を自らの手で押さえ、スルトが掠れた声で呟く。
「さっさと起きろ。ノルンが心配してる」
「ノルン……?」
怪訝に呟きゆっくりと身を起こす男の周りを蝶は飛ぶ。
「ノルンは………、…もういないだろう……」
今さらに認めたと言うのか。額に置かれた手はまだ男の黒と金の瞳を覆っている。
「よく見ろ、ノルンはちゃんといる。お前の不甲斐なさのせいで次に行くことも出来ずに」
呆れた声でもって告げれば、ゆるゆると外された手。訝しげな視線はまずエルダへと向けられて。
「……………何を…?」
その視線の間を金の光がヒラヒラと横切る。
「私はここにいるよ」と、そう言うかのように。
続く言葉を失い、色違いの瞳が見開かれる。そして追う、金の煌めきが残す軌跡を。
捕まえたいのか、でも触れることが恐ろしいのか。躊躇うように持ち上げられた手が、ゆっくりと伸ばされる。
そんな男とは違い、やっとか。というように蝶は差し出された指先へと止まり、二、三度羽を瞬かせて。
「…そうか、ああ――……、そう…、か……」
発せられた言葉に意味はなく、スルトは留まる蝶ごと指先を胸元へと引き寄せる。
やっと見つけた大切なものを、壊れないように壊さないように、そっと。
それは対して長くない時間。ただ静謐な一時。
カシャン――と、小さな音がそれを破る。
スルトの胸元から滑り落ちた蝶、青い髪留め。
先ほどまで有機物だったものは無機物へと変わり、落ちて音を立てた。
だがスルトは見向きもせず視線は宙へと向けられる。それはエルダも同様に。
一際輝く小さな光が二人の間で瞬き。
エルダは口元に小さな微笑を浮かべて言う。
「もう、いくか?」
もちろん返事はない。ただ再び小さく瞬き、それが返事なのだと。別れを告げる挨拶だとエルダは理解する。
そのノルンの光を挟んだ向かいから漂う身を切るような悲愴感は、エルダにも微かな痛みを与え。きっとそれとは比べられないほどの痛みに晒されているだろうスルト本人は、何も言わず、話さず。
瞬きすらせずに、昇ってゆく小さな金の光を見ている。
スルトはもう同じ過ちは繰り返さないだろう。いや、繰り返せないはずだ、今のスルトには。
だからエルダは言う。
「追わないのか?」
「…………?」
理解していないのか、向けられた顔には何もない。
フレイヤである方のラーウの何か言いたげな気配を感じるが、あえてそれは無視してエルダはもう一度重ねる。
「あの子が向かうのは次へと続く先だ。
……追わないのか?」
「私たちに、選べる死が、次があると…?」
「さぁな、あるとは断言出来ない。でもそれと同じくないとも言えんだろう」
「……どちらとも言えない、出会えるかも分からない賭け……だと?」
「運命であれば会えるさ」
それはこの場にいる二人を見れば。
「運命か……、全てを肯定に出来る全能の言葉だな」
そこに滲むのは皮肉だ。エルダもそれに反論する気はない。けど。
「さっきと同じだ、それもないと否定は出来ない。
そして、ノルンが向かう先にそれを握れる者がいるのも事実だ」
「…………?」
「追いかけろ。後はなるようにしかならない」
それこそ極論による真理。
エルダは笑みをもって言い切る。
スルトはまた昇る光を見上げる。やはり微かな名残があるのか、ゆっくりとこちらを気にするように昇る金の光。
しばらくそのままで、再び戻った視線にエルダは昔を見た。
「相変わらず、……お前らしいな」
「何だ? 貶してるのか?」
「いや、誉めている」
「…………ふん」
それ以上の会話はない。
最後に一度絡んだ視線も直ぐに逸れ、でもそれでいい、わたし達には必要ない。
見送るでもなくただ見上げた先、光に溶けて消える姿にエルダは微かに口元を上げた。
終幕まで書き終えたました!
ふぅ。




