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ヴェルトアーデン交響譚  作者: 乃東生
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4

貴方だけずるい――、と。

目の前でわたしと同じ、だけどどこか少し違う顔の少女が、歪んだ壊れそうな笑みを浮かべ言う。


「何で……? 私だって貴方なのに……」


それは先ほどから何度も聞いている言葉だ。

だのにその響きは、今までとは違い弱々しく消え入りそうな。


庇うようにカイディルがラーウの前へと一歩出る。

釣られるようにもうひとりのわたしが――、ノルンと呼んでと言われたが、その姿からはもはやそれは当てはまらないだろう、そんな彼女がカイディルへと視線を合わせる。

だけど、わたしから見えるカイディルの横顔は硬いまま。



ピシリピシリと、空間が鳴る。


「………………違う、ちがう、違うっ!」

「いえ、違わない彼はあの人だわ」

「そんなのは認めない! 顔も髪も声も違う、眼差しも! 違うじゃないっ」

「だけど……、彼の魂に絡み付くものは私の……」


相反するような言葉の羅列は同じ口元から漏れる。

膝を付き、両手を頭に添え声を震わせる姿に、ラーウは何も言葉を発せない。カイディルでさえ硬い表情の中で僅かに眉を寄せ。



言葉通りの意味なのだと。

確かにそうなのだと理解する。

彼女はわたしだ。そしてカイディルは彼女が愛した彼なのだと。だけど。


そのままが、全く同じではないこと。


認められないそれが、世界を、全てを壊そうとする原動なのだろうか?


ならばそれはわたしには持ち得るはずがない。だってわたしにはカイがいる。そのままの彼がわたしにとっての唯一だから。



その、彼を失うかと思った時の恐怖を覚えている。血黙りに倒れたカイディルの。

でもそれさえきっと遥かに越えるものを抱え踞る少女、その姿に。

ラーウはカイディルの服をきゅっと掴む。


そんなわたしの不安を感じ取ったのだろう。カイディルの手が固く握りしめたわたしの手を包み。そこに安堵を覚えれるわたしには、口を出す資格はないのかもしれない。

けれど、感じる温もりを糧に躊躇いながらも口を開く。


「戻ることは、出来ないの……?」


ラーウの言葉にゆるゆると顔を上げる少女。

「戻る……?」

それは意味を問うというよりもただ復唱しただけの。

「よく、わからないけども、わたし達は元々ひとつなのでしょ? ならまた一緒に為れれば。

わたしの持つ気持ちと、そしてカイがいる。 その中に貴方の想いも混ざり合えば、そうしたら――……、」


最後まで言うことなく途中で言葉を止めたのは、

呆然としていた彼女の顔が徐々に、まるで痛みを受けたように歪んで。

「………もし、戻れたとしても」

なのに、掠れた声を紡ぐ口元には皮肉げな笑み。

「貴方の想いが主として残る保証はないよ? 混じり合い新たに生まれたものにその想いが残るとは限らない。貴方もやはり彼を認められないかもしない」


「そんなことっ!」

「だけど彼の想いは残らなかった」


「―――っ!」

静かに告げた彼女の頬に零れ落ちた雫に、ラーウは言葉を飲む。


「分かっていた…。 分かっていたの、そんなことはわ。 それを承知で、私は罪を犯したのだから…」

涙を隠す為か、伏せられた顔から聞こえる小さな声。


大切な人を失うことは誰にでも何れ起こりうること。それは未だ見えない先のことだとは言え、彼女の姿は鏡のようで。ラーウの心に波紋のように痛みを残し。

何も言えなくなったラーウに変わり低く告げるのはカイディル。


「でも俺は――…、俺は今ラーウを大切だと、愛しいと思う」


カイディルが何を、何処までを知っているのかわからないけど。

打ち消す為の波紋を、それを投じる一石。

何もかもを忘れても、失っても。姿が変わっても。再び巡り合えばまた恋をする。何度でも。


だからわたしももう一度繰り返す。

「……戻れるのなら戻ろうよ」



落とされた肩が揺れる。


「戻れないよ、戻れるわけない…」


上げられた顔は、背後に広がった闇と同じくひび割れて、崩壊を予感する脆さを孕み。


わたしとカイの声では届かない。届いてはいない。きっとまだ知らない何かが彼女の元まで届くのを阻んでいる。


止めることを、救うことを出来ない悔しさに唇を噛み締めたラーウの耳に聞こえたのは。


わたし達の耳元に届いた声は。


「――ホントに、世話のかかる馬鹿娘()だな」




パリンと硬質な音を立て、砕けた闇に光と影が落ちる。


差し込んだ強い光。

その中に現れた影は長い髪を持つ女性の姿をしていて。

「母さん!!」

ラーウは瞬間的にその名を呼ぶ。


影でさえも整った姿のエルダはこれ以上ない渋面で。

「ったく、お前は心配ばかり掛けさせて!

わたしの寿命は確実に縮んだぞ!」

そう言い放つきつい口調、けどそこに滲む響きは安堵だ。


でも現状に焦れるラーウにはそんな余裕もなく、「母さん、あのねっ」と言葉を募ろうとし、エルダに額を軽く小突かれる。

「―――っ!?」

「まず、先に言うことがあるだろ?」


驚いただけで痛みなどない。

ちゃんと、まず始めに言わなきゃいけない言葉はわかっている。けど思わず手を当て上目遣いになる。

「…………心配掛けて……、ごめんなさい……。

でもっ!今はそれ所じゃなくてっ!」


「わかってる」

落ち着いた声がラーウを遮る。


額を小突いた手は今度は頭にポンと置かれ、ポンポンと二度跳ね。わたしに向けられた母さんの黒い瞳には焦りも迷いもない。ただ全て任せておけと、口に出されたわけでなくても感じ取れて。


これは、わたしと、もうひとりのわたし。二人の問題なのだとわかっていても、母さんの姿を見た途端にすがりたくなる安心。


「………ごめんなさい……」

何に対して自分が謝っているのかも、自分自身が理解していないまま告げた言葉。唇を噛み見上げれば、母さんはわかったと笑みを持って答える。そしてまた優しく置かれた手。


泣きそうになる。

でもそれは今は必要ないと、ぐっと眉に力を入れてこらえ、エルダは少しだけ笑みを深くした後 視線はずれて、横にいたカイディルへと向く。


「まぁ、及第点か」

「それは酷いだろ? ちゃんとラーウに会えた」

「戻る算段は?」

「魔女殿が来ることも算段の内だ」

「―――ふんっ」

エルダは鼻を鳴らすが何処か楽しげで。そしてカイディルの、わたしと繋げられた手元を見て更に笑う。


「前にお前にした質問を、もう一度尋ねてみたいが――、」

意味ありげに切られた言葉に、何のことだろうとラーウはエルダを、そしてカイディルを見る。だけどカイディル自身もわかったようなわからないような表情で。

エルダは「今は止めておこう」と軽く笑ってから、体の向きを変えた。



「―――さて」と、呟くエルダ。


ラーウから見えるのは、そのエルダの背と地に膝を付きこちらを見上げる少女。


「……じゃあ、もうひとりの馬鹿娘からも話を聞こうか?」


少し呆れを含んだような声は、でもラーウの頭に置かれた手と同じに優しく、温もりだけが感じられた。



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