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「キリなくないか、これ…?」
リンデンは迫る化け物を凪払い後方に引く。今はまた森へと戻り、キリアンが張った力の網から逃れた化け物達の掃討にあたっている。
払っても払っても沸き出る異形の化け物達。
だが、彼らは元は人間なのだ。
もう二度と持つことはないと決めたはずの剣を手にしたリンデンは深くため息を吐く。
《 ――おい、呆けるのはもう少し後にしろ 》
頭に直接響く、魔力を帯びた声。
巨大な狼姿のアルブスがリンデンの背後へと迫っていた化け物を弾き飛ばす。
「…………すまない」
ルビーのような赤い瞳が謝るリンデンを見下ろし。
《 感傷につまずいて自らの命を落とすなど愚か者がすることだ 》
「……ハハ、辛辣だなぁ」
《 今のお前に一番最適な言葉だ 》
「まぁ……、確かに」
苦々しく笑うリンデン。二人が話す目の前では広範囲に渡って氷の礫が降る。
それは何かを望んだが為に異形となってしまった者達へ向けて。ただ望まなかったとしても闇に囚われてしまえば結果は同じで。
ただ無に帰すか、または容赦のないキリアンの攻撃によってやはり倒されるかの違い。
リンデンは森を見据えるキリアンを眺める。攻撃の手を休めることなく新たな魔力を籠めるダークエルフの青年。彼には躊躇いなどない。そんなもの、持つ必要がないから。
目的が決まっていて、ならばそれに邁進するだけ。
「……そうだよな、今はそんな場合ではないな…」
為すべきことを為せ的なことを皇帝にも行った手前、自分が足踏みしてるわけにはいくまい。
リンデンは再び軽く息を吐くと、剣を持つ手に微かに力を込めた。
馴染んだものではないけれど、忘れようとしても忘れられない感覚。でも今は違う目的の為に振るおうとするそれに嫌悪感はない。
「俺だってやらねーとな」
――さ、一丁やるか。と腕を捲り、昔を思い出すかのように言葉遣いも戻す。
そして見据えた、森を飲み込みゆっくりと進む闇。その視界の中。
深い、深い闇が微かに揺らぐ。
「…………ん?」
気のせいかと思ったが、確かに闇の先端がゆらゆらと揺れている。
今さっきまで固い意志を持つかのように進んでいたそれが、まるで何かに動揺したように。
( 中で何かが起こったのか…? )
思い浮かぶのは二人の姿。
でもどうすることも出来ないリンデンは何度目かわからないため息を吐き、今はと。
揺らぐ闇から吐き出されるように現れた化け物へ握る剣を向けた。
──‥──‥──‥──‥──
結界であった大樹の前で、エルダはカイディルと別れた。その後に、また氷室へと戻る。
だが戻った先に今度こそフレイの姿はない。
それが当たり前のことなのだけれど、姿がないことに余計な勘繰りをしてしまう。
台座の前に作り出した椅子に腰掛けて、ひとつ息を漏らすエルダ。
ラーウの、大切な娘の体を守ることは大切な案件なのだが、今はそれしか出来ない自分の身を歯痒く思う。
カイディルは確かにあの瘴気の対して耐性があった。いや、あれは耐性と言っていいのか?
「……ホントに、何ともないな…」
やや呆れたように視線を向けるエルダに、闇から一時身を守る為の厳重なる簡易結界から外へと、瘴気の闇へと踏み出したカイディルは振り返り眉を下げる。
「リンデンには鈍感だと言われた」
「鈍感と言うか……、」
エルダは言葉を切る。
本来ならば男の体は既に形を保ってはいないはずだ。だがカイディルは闇の中に何事もなく立つ。胸に着けた光石に照らされる男の顔は、無理をしてる様子も無さそうだ。
本当に、何でもなく。
それならば、この世界が瘴気に包まれたとしても、この男だけは生き残るのではないだろうか?
ただの人間であるので食べる物もなければ何れ死ぬ運命だろうが。
そしてそれはもしかしたらラーウも。
この世界で、最後の二人となるまで。
エルダは小さく頭を振ると、その思考を締め出す。そしてそのまま背を向けて歩いて行こうとするカイディルを呼び止める。
「行き先がわかるのか?」
「――多分、……何となくだが。 今はラーウが戸惑っているのを感じる」
結局何も分からないまま放り込まれただろう娘。エルダもその気配を追うが何も感じることが出来ずに、……そうか。と小さく返す。
「…………」
言葉なく黙り込んだエルダにカイディルは怪訝に眉をひそめ、でも何も言わないことで再び踵を返そうとする。
「――カイディル」
「?」
めったに呼ばない名前で、また呼び止める声に振り返り眉をしかめる男。
「ちょっと顔を貸せ」
「――は?」
エルダはちょいちょいとカイディルを手招く。何なんだと少し警戒しながら近付いて来る男を、更に近くへと呼び寄せて。
瞬間、動きを魔術で阻害した上でカイディルの視界を手で塞ぐ。
「―――おい、」
明らかに不機嫌な声。でも気にすることなくエルダは言う。
「黙って目を閉じろ」
「…………………」
無言と言う抵抗の後、諦めたように瞳が閉じられるのを感じ、エルダも同様に目を閉じる。時間にして数秒。
目を開け手を離した先には、同じく目を開けて、その行動の説明を求めるような不機嫌な顔。
……全く人間のくせに中々に不遜な態度だ。
「わたしの視界を繋げた。現状では何の役にも立たないだろうが、少しでも綻びが生じればそれを元にお前のいる場に跳ぶ」
「綻び?」
「中心に風穴を開けてくれればいい」
「それは………、……無茶振りだな…」
それが俺に出来るのか?と、呆れたような苦笑いに、出来なくては困る。と返し。
「お前がラーウに会えば全てが動く。というか、その為に行くのだろ? 質問の意図がおかしい」
「そう…、だな」
確かに。と、苦笑いのまま頷くカイディルをエルダは見つめ、その視線に気付き、何だ?というように返される。
ラーウが好意を向ける男。
女神に愛された男。
だが、ただの人でしかない男。
エルダは瞳を、同時に、微かに頭を伏せる。
「――!! お、おい…っ」と、驚き慌てる声を聞きながら告げる。
「ラーウを、頼む」
息を飲んだ沈黙と、暫くして吐き出される深いため息。
「……最強最悪の魔女に頭を下げられて、断れる奴などいないだろ…」
告げられた声には苦さが滲むが、見上げた先の顔は晴れやかな笑み。
「そして、断るわけない」
カイディルはエルダと一度視線を合わせてから背を向けた。進む足取りに迷いはない。それはラーウへと向かって。
それを見送り、今 エルダはラーウの側でその時を待つ。
そんな待つだけの自分に憤りを感じていた娘の気持ちが今ならわかる。しかもラーウとは違い自分には他には持ち得ない力があると言うのに。
「ままならないものだな…」
ポツリと零れた声は自嘲に満ちる。
だけどそれ聞くのは自分自身と、台座の上 瞳を閉じたままの娘。
歪めていた口元は緩やかな弧へと変わり、眇ていた瞳からは刺が消える。それを為し得るのは目の前の少女ただひとり。
わかっている。
わたしの役割はそこではないまだ先だ。
だからここはカイディルが最適なのだと。
その通りに。
今まで何も変わることの無かったラーウの目尻を静かに一筋の涙が伝う。
それを指先で拭いエルダは顔を上げた。
「―――さぁ、迎えに行こうか。あの馬鹿娘達を」




