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「――――ん…」
目覚めた先は暗闇の中。
「……んん?」
ラーウは一度目を瞬かせる。
( ここは……? 何でわたしこんなとこに? )
辺りを確認しようにも真っ暗で何も見えない。
( 夜だから、とかじゃないよね、…これ )
なんの音も気配もしない深い深い闇。
ラーウは自分の手を持ち上げて、その手があるだろう場所を眺めるが、それさえも見えない。
真っ暗な闇の中、そのまま今度はペタペタと自分の体に触れてみる。顔から順に腕も足も。今のところ別に痛いところは無さそうだ。
あの時の割れそうな頭の痛みも今はない。
そう…、覚えてるあの時――、
わたしの側にはカイディルがいた。
さっきまで感じなかった不安が一気に押し寄せる。独りぼっちであることに。
カイは、どこに行ってしまったのか?
状況が状況だけに、こんなところに一緒にいるはずもないとわかっているけど。
「……カイ………」
溢れ落ちた声は、静かに闇に溶けた。
―――ポツン、と。
ふいにラーウの声に呼応したかのように小さな光が暗闇に灯る。
それを皮切りに今度は一斉に。暗闇を埋め尽くすかのように広がる光の粒。
「は……っ、何、これ…?」
ラーウは思わず戦く。見ようによっては夜空に散る星ぼしのようにも取れるが、突然のこの展開は驚きと恐怖でしかない。
しかもそれらは星とは違いフワフワと宙を舞う。
( ほ、蛍なの……? )
思い浮かぶのはカイディルと夜の森で見た蛍。だが直ぐに違うとわかる。
何故だかこの光達から感じるのは、「痛い」「苦しい」「怖い」「助けて」と。人が持つような負の感情。
敵意ではない。けれど、襲いくるのは不安と絶望、悲しみと嘆き。
( な…、何…? )
飛び交う光達から逃げようとラーウは一歩後ずさる。
『――こっちだ』
聞こえたその声に――、
ラーウは咄嗟に身を翻す。
姿なく急に耳に飛び込んできた声に、迷うことなく従ったのは、
その声がとても優しく、そして、どこか懐かしく聞こえたから。
「優しいやつが必ずしも良い人であるとは限らない」と、
母さんからはいつも注意されていたけど。
( あの状況では仕方ないと思うよね、うん )
独り納得さすように頷くラーウ。
だけど声に導かれてやって来たここも変わらぬ闇の中。でもさっきまでいた闇とは違い、何だか少し温かいと感じるのは気のせいか?
何となくこっちの方かなと当たりを付け向かう。
この周りにもさっきと同じ光は飛びはする。けどポツリポツリと疎らで。そしてやはりどこか温かい。
そんな小さな光達が集まり、光源となり照らす人影が見える。
( あの人が私を呼んだのかな…? )
ラーウは少し手前で立ち止まり、改めてその人物を眺める。
自分の周りには恐ろしく綺麗な人達が何人もいるが、それさえも上回るほどの完成された美に、うわー…。と呆けたように立ち尽くす。
そんなラーウに、ついと、光達を捉え瞬き光る黒い瞳が流れた。
「―――あ!!
え、あっ、えっーと………。 こ、こんにち、わ……?」
( んん? こんにちわであってる? もしかしてこんばんわ!? )
驚き慌てて告げた言葉にラーウは思わず自問する。
あわあわとしているラーウを尻目に、漆黒の男の美しく形の良い口元が綺麗な弧を描き開く。
『こうしてお前ときちんと話すのは始めてか』
「え…、じゃあ、初めまして…?」
何故語尾が疑問で終わるのか自分で不思議に思いながらも、男の言葉から、
( え? 会ったことはあるってこと…? )
また増える疑問。
こちらを、微かに目を細め、僅かに口角を上げ見つめる男に、見覚えはないと思う。
ただ――、その瞳に滲むものに、
懐かしさを覚えるのは何故だろう?
「もしかして…、わたしのことを知ってます…?」
それは、母さんが話さないわたしの知らない過去でのことかと思い尋ねてみたけれど、
目の前の美しく綺麗な人は小さく空気を揺らし笑うだけで。
多分黙っていたら怖いとすら思える眼差しを穏やかに緩めラーウを見る。
『ラーウ、お前は今幸せか?』
「え………?」
( ……幸せ……? )
名前を知っているってことはわたしを知っているのだろうけど、それよりも、脈絡なく問われた内容に首を傾げる。
その言葉の意味そのままだとしても、何故この人がそれを知りたがるのか?
でも同時に、そんな疑問を押し退けるように、この人にはちゃんと伝えなければという思いも湧く。
「幸せ、だよ…? 母さんもいるし、アルブスもキリアンもいる。それに、
カイディルに……会えた。 わたしは今幸せだよ」
『お前はこの世界が好きか?』
「うん…。わたしはこの世界が好き」
『そうか……』
男の眼差しは変わらない。穏やかで優しいまま。なのに。
ラーウはそれを見つめ泣きそうな気持ちになる。
ああ、これは完全なる別れなのだ。と、理由なくそう思った。
こちらへと差し出される男の手。
ラーウは躊躇うことなくその手を取り、その胸へ。
包まれる温もりはやはり覚えのあるもの。
『お前が幸せであればそれでいい』
降る声に小さく頷く。そして少しの沈黙の後に今度告げられたのは、願い。
『ただひとつ――、頼みがある』
『お前が、お前を救ってやってくれ』
「………?」
身を起こし腕の中から見上げる。
『お前がその為に何を犠牲にして何を捨てたとしても。それでも私はお前の幸せを望むよ。
……きっと、これは私の罪でエゴだ』
そう告げる声は、ラーウを越えてどこか遠く。
「…………よく、わからないけど…?」
尋ねるラーウの眉は下がり、見上げた先の男は笑う。
『わからなくてもいい。覚えていてくれれば』
「…………」
困り顔のまま見上げていれば、男はゆっくりとラーウから離れ指先を宙に掲げた。
その伸ばされた指先に止まったのは深く青い色の蝶。カイディルにもらった髪飾りに似た。
ただそれは、青くもあるが金色にも輝く。
「それは……?」
『この子が導く』
「この子? ……蝶が? どこへ?」
さらなる疑問にもはや困惑しかないラーウを、笑みを深めてかわし、
『一度流れに戻ったというのに、それでも一目会いたかったらしい』
男はまたラーウのわからない話を重ねる。青く、そして金色に光る蝶へと視線を向けて。
「………………全然わからないんだけど」
いい加減むくれ始めたラーウの鼻先を、男の指先を離れた蝶が舞う。
蝶を追う男の視線もこちらへと移りラーウを見てふっと緩んだ。
『もうすぐあの男にも会える』
「………あの男?」
『ああ――』
「………カイ、に……?」
『……ああ』
カイディルに会える、それだけで今までの疑問などどうでもよくなり、ラーウの顔は一気に綻ぶ。
「蝶の後を追えばいいの?」
機嫌のすっかり治ったラーウの問いに男は笑い頷く。
そのまま蝶を追おうとして、
『――ラーウ』と呼び止められ振り返り、
黒と白、二つの視線が絡む。
『いつか、……全てを終えたら、』
『帰っておいで。私はここで待っているから』
その声は温かく優しい闇に溶け滲み、その眼差しは慈しむようにわたしを包み心を揺らす。
ラーウは男を見つめたまま一度口を開き、でもきゅっと閉じて。
気を抜くと震え出しそうな口元を無理やり上げ、笑顔で返す。
「――――うん、またね」
帰ってくるよ、必ず。
この命の終わりに貴方の元へ。




