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直接ラーウのいる氷室の部屋へ行くのを避け、手前の通路へと降り立った。
今回後ろに引き連れてきた相手はカイディル。視線は前に向けたままエルダは言う。
「ラーウは……、お前と同じ時を刻めない」
「ああ――、だろうな」
当たり前のことを言えば、即当たり前のように返される。
それはそれでいいのだが、何となく腑に落ちないものを感じエルダは立ち止まり振り返る。俯き歩くカイディルはそれに気づき顔を上げ、エルダの顔を見て若干困った表情となる。
「一応貴女の娘なのだから当然のことだろう?」
エルダの表情をどう捉えたのか?
カイディルはそう答え、エルダの視線は更に座る。
「ラーウは魔女ではない、――そして人間でも」
それを受けますます困った表情となるカイディル。
「それは俺にしていい話しか?」
「むしろお前は気にならないのか? 知りたいと思わないのか?」
「……気にはなるが、知ったとしてもそれで俺に何か出来るのか?」
「…………出来んな」
「なら別にいい」
一本道なので行き先は決まっている。先に歩き出したカイディルはエルダを追い越し、位置が逆転したカイディルはエルダへと背を向けた。
「……面白くないやつ」
その背に向けエルダはボソリと言い放つ。
そう言われてもと、カイディルは微かに笑い、
「俺はラーウがなんであれ、ラーウであればそれでいい」
振り向くことなくそう告げる男。
「それは、変わりゆくことを認めないと言うことか?」
「いや、誰でも変わってゆくさ。けどきっと、本質はずっと変わらない。俺はそれを知った」
エルダはやはり面白くなさそうに「……ふん」と一度鼻を鳴らすと、再び歩き出す。
氷で出来た通路に二人が歩く音だけが響く。
暫しの沈黙の後、エルダはまた口を開く。
「お前は――…、結局、お前がラーウへと向ける感情は何だ?」
カイディルの瞳には、ラーウに対してミネリアに向けていたような色はない。
歪み形を変えてしまっていたとは言え、あれは恋情と呼べるものであった。
そしてラーウのカイディルへと向ける感情は誰から見ても明らかで、そのことはこの男も承知であっただろう。その上でカイディルは敢えて知らない振りをしていた。
それはそれでこちらとしても都合が良かったのだが、それが今は――。
抱えていただろう葛藤は全く見当たらない。上手く隠し通していると言うにはあまりにも穏やかで。
何を認め、そして受け入れたのか。
そんなエルダの問いかけにカイディルは答えることなく、沈黙を落としたまま歩は進む。
答えないつもりか?と思っていた矢先、静かに溢れた声。
「嬉しかったんだ。………本当に、ただ…、」
嬉しかった。と小さく繰り返す。
答えになっているようで、いない答え。
「お前、それは……、」
続けようとして、エルダは口をつぐむ。
きっと今はどの言葉もその答えには当てはまらない。
カイディルの表情が見えていたならば、また違ってはいただろうが、凪いだような声とその背からは何も読み取れず。
「………そうか」とだけ答え、後は沈黙のままラーウがいる部屋へと向かった。
「―――………」
横たわるラーウを見てか、それとも側に佇む漆黒の男を見てか。立ち止まったカイディルの息を飲む気配。今度はエルダが横をすり抜け先を行く。
「フレイ――」
元々こちらの気配などわかっていただろうに、エルダの呼び掛けで今気づいたとばかりに顔を上げる男。
エルダと、その後ろに視線を向け微かに闇色の目を細める。
『……それで、わかったか?』
それは何に対してのか?
フレイの何もかも見透かしたような、いや、その通りの問いに、エルダは眉をしかめる。
「わかったも何も。外を確認して来た、そしたら腹立たしい現状を目にした。それだけだ」
『――ふっ』
漏らした声に微かに揺らぐ空気。
珍しいことだとエルダは少し瞳を開き、男は僅かに上げた口角のまま言う。
『なるほどな…。――で、お前はどうする? この世界はもう終わるぞ、あの子のせいで』
エルダの眉がピクッと上がり、
「あの子…? ラーウの、せいだというのか?」
視線は台座に眠る少女へと落ちる。だが、男の視線は目の前の少女へとは向かず、仰ぎ見るように上を向く。
『これはあの子が犯した罪への罰。今それと向き合い判断した結果だ』
「どういうことだ? 誰が……ラーウが…?」
『フレイヤ、だな』
「……違わないだろう」
エルダは額に手を当てる。
「何故だ…、この男が居るのに?
カイディルがそうなのだろう? それなのに何故世界を壊す」
『フレイヤ、だからだ』
「…………?」
『ラーウではある、だが今のあの子はフレイヤである部分が多い。 ラーウをそう知らしめていた大部分は今は別にある。―――そうだろう?』
フレイが最後に振った問いはエルダの斜め後ろに向けて。
「俺が…、何を…?」
エルダの口からは唐突に名が溢れ、不思議な雰囲気を纏う闇色の男からは話を振られる。
困惑気味に呟いたカイディルに、エルダは「ああ――、」と思い当たる。
「お前が会ったと言うラーウ、それか…」
キリアンが会ったノルンの姿のラーウ。それとカイディルが会ったと言うラーウ。
両方ともが確かにそうだとして。でも今の生だけを生きる、しがらみに縛られないラーウであればきっと望むままに、心のままに向かうだろう場所はこの男の元だ。
それでもカイディルの困惑は消えない。
まぁ、そりゃそうだろう。この会話の意味などわからないだろうし。
だけどこいつは別に必要ないと言い切ったのだ、仕方ない。
「あの子があの子であればか……」
先ほどカイディルが言った言葉を口にして。
カイディルにとっては今のラーウがそうであるかも知れないが、エルダにとってはそうではない。
何度も――、何度も、繰り返してきた命。
きっと、その終わった命達はフレイヤへと戻り、そしてまたラーウへと始まる。その全てがわたしにとっての愛しい者。
「止める手立てはあるのか?」
『……――さぁ?
私はあの子の望みを妨げることに手を貸しはしない』
「そのくせにわたしを煽ったのか!?」
どうするのだ?と投げ掛けてきたのはこの男だ。
『お前と同じだ』
「――は?」
しれっとした顔で、いや常にそんな表情のままだが、
『ラーウも私にとってはそうであるから』
告げた男は視線を下に、眠る少女を見て眼差しを微かに和らげる。
「…………はっ」
男の少ない言葉の中から意味を理解し、エルダの視線も自然と台座へと落ちる。眠る少女へ。
このラーウなら、世界の終わりなど望まないと。
エルダは小さくため息を吐く。
「結局状況は変わらないか…。 やはりお前に頼るしかなさそうだな」
相変わらず戸惑いと、そして怪訝を浮かべたカイディルをエルダは見やる。
「元からそのつもりだったが?」
「まぁ、そうなんだけどな。念には念をと言うだろう」
「つまり信じていないと言うことか。貴女自身が言ったことなのに?」
「だからっ! 念には念をと……っ、
……………ふん、まぁいい。お前が失敗したら最終的にはこの男を締め上げる」
エルダはギロリと闇色の男を睨む。そんなエルダの言葉にカイディルは一度眉を寄せ、でも当然のように告げる。眠るラーウを見つめ。
「失敗はしない。俺はラーウに会って、そして必ず連れて帰る。
―――そういうことなんだろ?」
問い掛けと共に、最後にカイディルが向けた視線の先はフレイ。
ふっ。と男がまた空気を揺らす。
『お前がそう思うのならそれはきっとそうだろう。 だから今度は――、
出来れば今度は、……あまり長く待たせてやるな』
「……? ――ああ」
わからないまでも、頷くカイディル。エルダは何となく理解する。
だからカイディルの肩を叩き促す、「――行くぞ」と。




