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「眠ったー?」
「うん……」
キリアンに握られていた手をそっと離した娘は、思い出したようにエルダを睨む。
「母さん、酷いし冷たいし最悪だよね」
「魔女としては中々の誉め言葉だな」
「うわー、サイテー」
子育てには慣れたと思っていたが、やはり他人の子供は言うほど可愛いとは思わないものだな。実際ラーウとも血が繋がっている訳ではないが。
ははは。と笑って、ベッドの上で蹲った格好で眠る少年の姿勢を直す、仰向けへと。
( 眠る顔はあどけないな )
先ほどは射殺すような目付きではあったが。
体を見れば相当酷い目にあったのだろう。色々と折れてるようだし。追われる状況では全ての人を疑ってかかるのは当然だ。
エルダは確認の為、キリアンのボロボロのシャツを捲る。
横で息をのむラーウの気配。
「何、これ…? ……酷い」
ラーウが言うのは、キリアンの胸に施されている枷。拳程の大きさの魔石が胸を覆う、それは正確に心臓の上に。
「これがこいつの魔力を吸い上げて、対になる魔石へと魔力を送る。そういう感じだね」
「取れるの?」
「誰に言ってんの?」エルダは鼻で笑う。
「今ほど母さんが魔女で良かったと思ったことはない! 今日の夕食頑張るよ!」
「は? 何か凄く複雑…」
思わず顔をしかめたエルダに、
「ありがとう、母さん」
ラーウは笑顔で言う。
それに釣られるように、エルダの表情も自然に綻ぶ。
( やはり、不思議な子だ… )
何か浄化魔法でも持ってるのだろうか?
先ほどのキリアンもラーウを目にした途端に、張り詰めていた緊張が解けた。瞳に宿っていた暗い影も。
まぁ、別にラーウが何であれ、愛しい娘には違いないのでどうでもいいが。
「今日はもう何もしないんでしょ?」
「そうだね、こいつが起きてちゃんと話しをしてからだね」
「そう、じゃあご飯つくるね、頑張るやつを!」
腕まくりで、意気込んでキッチンへと向かう娘を、
「あー…、ラーウ、ちょっと待って」
エルダが呼び止める。
ん?と振り返るラーウに、部屋の隅を差す。
そこには尾っぽも耳も垂れ下がったアルブス。その姿に。
同じように「あー…」と呟く娘。
非常に分かりやすいしょげ方だ。
さっきラーウに振りほどかれ落ち込んでいるのだろう。
わたしでさえ、やり合えばただではすまないだろう程の力ある幻獣のくせに。
まぁ、負けないけど。
ラーウは仕方ないとため息を吐く。
「アルブス、その姿なら手伝って。ご飯作るから。
一緒に食べるでしょ?」
途端に上がる尾っぽと耳。尾っぽなど既にブンブンと振られている。
だからさー、お前力ある幻獣なんだぞ?と、
目で訴えかけてみたが意味はなく。
だってそもそもこっちすら見ていない。
立ち直った幻獣は、再びラーウに抱きつき、やはり怒られながらも一緒に台所に消えた。
別に娘の恋愛事情に口を挟むつもりはない。幻獣だろうが、妖精だろうが、エルフだろうが。好きならばそれでいい。
ただ、力ある者でなければならない。それは魔力を持った。そして、永き生を持った。
それが必然であり、絶対的な条件。
( そう言えば、こいつもその条件に当てはまるんだったな )
使えると思った理由とは別に。
膨大な魔力と長寿を持つ眠るエルフの少年にエルダは目を落とす。
その胸の上で心臓と同じ動きを刻む、深く赤い魔石。
( まぁ、そんなことより今は、この枷をどうにかすることが先かぁ )
外すことだけ考えればそんなに難しいことではない。
ただ気になるのは、
これは見たことがあるものだ。
術は、それを組んだ者自身の特徴が現れる。
この枷も同じ。仕様は誰でも同じだが、使う魔石と術の算式は、その術者それぞれで。
これはその本人のものではない。こんな劣化したものは。
だけどそれを教えた者は――。
エルダの顔に影が落ちる。歪む口元。
「……まだ、こんなことを続けているのか、お前は…」
遥か昔に決別した相手へと向けた言葉。
届かないと分かっていても。
「失ったものは戻りはしないと言っただろう……」
でも今更だ。今更なのだ。
わたし自身も手を離してしまったのだから。
エルダは小さく首を振る。
「……らしくないな」
自嘲気味に笑って。
切り離した過去に拘るのは馬鹿らしい。
だけど、術を解くことで捨てた過去が再び色を持つのも避けたい。
「――ん? あれ、なかなかに難しくない?」
うーん…。と唸るエルダ。
キッチンからケモ耳男が顔を出す。無駄に整った顔を。
「おい、魔女。そろそろ用意が済むぞ」
「……………」
黒い瞳と、赤い瞳が合った。瞬間――。
何かを察したのか白い毛並…いや髪が、ブワッと逆立つ。
ニマリと笑う魔女。
「断る!」
「まだ何も言っていない」
「聞きたくないから、断る!」
「ただ魔力があるだけじゃ、持ち腐れだぞー」
「お前はもう喋るな!」
聞かない為にか、耳をペタンと伏せたまま、アルブスはキッチンへと逃げた。
( 別にわたしが解く必要ないもんな )
アルブスなら魔力も充分あるわけだし?
「おーい、アルブス、ワンちゃーん。
ちょっとお話ししよーかー?」
知らぬ者が見れば、陶酔するだろう妖艶な笑みを刻み、魔女は逃げた獲物を追った。