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ヴェルトアーデン交響譚  作者: 乃東生
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2

『黒き森』は今、混乱の中にある。

あちらこちらで人々の悲鳴と怒号が響き、時折耳をつんざくような咆哮が混ざる。

それはこの森にいる化け物達の、とてもおぞましく、だが人が上げる雄叫びにも似た。


逃げ惑う信者に混ざり一人上質な服を纏う男は兵士に庇われながら道なき道を走る。

「モリガン様、こちらへっ!」

促されながら懸命に走るも、普段から鍛えられている兵士とは違い普段の足の大半が馬車である貴族の男は息も絶え絶えで。

( どうしてこうなった!? )

モリガンは荒れる息の中、忌々しげに舌打ちする。



途中までは順調であった。

何故か瘴気もなく、魔物にも出会うことなく。

谷まで幾ばくも掛からない所までたどり着いた時それは現れた。


太陽を遮るように、天を覆う巨大な女。


周りにいた信者達は一斉に跪く、「フレイヤ様!」と声を上げて。



まさか。と、モリガンは思った。

そうして唖然と見上げているうちにその姿は掻き消え、その消えた場を中心に急激に広がった闇。森の影に潜む闇ではない、光も通さない深き闇。

一気に広がったそれは、今度はゆっくりと、じわじわとその領域を広げ、地にひれ伏した人々に近づく。


明らかに不自然な闇に、一人の信者がそっと手を伸ばした。――途端。


闇は信者を襲い、その体を飲み込んだ。

そしてそれだけでなく、飲み込んだ端からその体を掻き消す。


消えて行く自らの体を呆然と眺める信者の男は、最後に助けを求めるようにこちらに視線を向け。だが声を上げる間もなく、その目も、口も、闇に飲まれた。



本来不可視のはずの瘴気。散らばり分散していたそれを高濃度に凝縮させたもの。それが、迫るこの闇。


同様のことが他でも起こったのだろう。森の至るところから悲鳴が上がる。

急に騒然としだした場に追い打ちを掛けるように、闇の中から今度は異形の化け物達が現れた。


「ひっ!? 何!? なんなのあれは!!」

「おい早く逃げろ!」

「どけっ!! 邪魔だ!」

「いや……っ、助けて!!」

驚愕と恐怖による更なる騒然が辺りに広がる。


ひれ伏していた信者達は我先にと慌てて逃げ出し、場は混乱し始める。それを押し止めるようにモリガンは強く声を響かせた。


「兵士達よ! 第三班は信者達の誘導に当たれ! 残りは全て後方を固めよ!」


混乱こそが今この状況下での一番の致命傷だ。今自分の置かれている状況の一端が己の欲のせいだったとは言え、それでも貴族としての責務を忘れてはいないモリガンは兵士達へと檄を飛ばす。



だがそんな中、最悪な事実に気づいた一人がボソリと声を漏らした。


「……おい、あれって…、アイツじゃないのか……?」

化け物を指差し、今日共に森に入ったはずの仲間の名を告げる。

「はっ!? 何いってんだ、こんな時に!

そんなのある――、…わけ、ないだろ……」

尋ねられた男は苛立ち返すも、化け物に視線を向けた途端に言葉が徐々に細くなる。


「…………………嘘だろ………?」


人とは思えない姿、なのに。何故か、否定出来ないものがあった。

ボロボロに避けた服か?

肉にめり込んだ見覚えのあるペンダントか?

それとも、複数ある瞳に見知った色を見たからか?


どちらにしても、きっぱりと否定することが出来なかった時点で、それは決定打で。


「……どういう、ことだよ…?」

「あの闇のせいなのか!?」

「何で……こんなことに…?」

「いや……、もう、いやーっ!!」

「みんな逃げろ!!」


未曾有の恐怖が人々を襲う。

あの闇は人を化け物に変える、あの闇から逃げなくてはと。


それが事実とは少し違っていたとしても、一度沸き起こった恐怖は消えない。

そして恐怖は、直ぐに伝染する。最早混乱は避けられない。


「モリガン様! もう無理です! ここは一先ず逃げましょう!」

収拾のつかなくなった現状にモリガンもその提案を飲まざるを得ない。拳を強く握りしめ低く告げる。

「………………引くぞ」

「――はっ!」




いつしか囲う兵士も、同じく逃げた信者も数を減らしていた。単純にはぐれたのか、それとも。

だが今はモリガンとてそんなことに気を回す余裕はない。あの黒い闇の進みは遅いが、化け物だろう声は確実に増えている。それが意味為すことは。


結局全ては命あっての物種だ。

( 望みが叶わないとは言え、今ここで死ぬわけにはいかない! )

そんな執念がモリガンの足を進める。


そんな中、ふと――、目の端を一人の青年が行くのが見えた。逃げる人々とは明らかに逆方向に向かっていることの違和感。

守られ逃げるモリガンは他よりもまだ視野が広かったのか、「おい、君――、」と声を掛けて男が持つ色に気づく。


――と、同時に。


横を取り巻く森が割れた。いや、割れたように見えた。



大木と言ってもいいだろう木をなぎ倒し現れたのは三体の化け物。個々の体はその見た目もさることながら、人だったとは思えないほど大きい。 

そして、余りにも急な出現であった。

咄嗟のことに誰も何も出来ず。兵士に被さられモリガンは地に伏せる。

( ――ああ、終わったか…… )

諦めの境地がモリガンの心を過った。



だが――、


いつまでも経っても己の身に何の変化も起きない。衝撃も痛みも。

周囲を取り巻く静か過ぎる沈黙。


皆が恐る恐る顔を上げた。だけどそこに化け物の姿はなく。それどころか当たり一面が何もなくなっいる。

なぎ倒されていた木々も、足をとられた下生え達も。

今はただ、霜だろうか? 氷ついた地面だけが広がる。


その地面をパキッと踏みしめ、立ち去る青年の姿。

「―――あ、おい君っ!」

まだ周りが自分達の状況に呆然としている中、モリガンは青年へと再び声を掛けた。


呼び掛けに足を止めた青年はこちらを肩越しに一瞥し、チラリと見えた耳からは、彼がエルフだとわかる。ただその髪色は黒く、こちらを見る瞳も暗い色。


( ダークエルフの魔法使いか… )

今目の前に広がる光景を見ればそういう推測に落ち着く。

絶対数の少ないダークエルフは珍しく、魔力量も多いと聞く。その力も、これだけのことを何の詠唱もなく、ましてや他に衝撃を与えることもなくやってのけたのだ、それは相当なはず。

ならば。とモリガンは思考を巡らす。


その間にも青年はまた立ち去ろうとし、モリガンは慌てて「そちらに行くのは危険だっ」と取りあえず続けるが、青年は背を向けたまま。

重ねて続けようとした言葉は、


「――…おい、勘違いするなよ」


その背から発せられた冷たい声に遮られる。


「俺はお前達を助けたわけではない」

声と同じく冷たい視線が返る。

「ただ化け物が邪魔だっただけで、お前達など愚かな制約に縛られてなければ一緒に消していた。

………もし、これ以上俺の足を止めるようならば制約は無効になるが?」


まだ思考途中の、モリガンの思惑を牽制するかのよう告げられた言葉。冷たく光るダークブラウンの瞳がスッと細められる。


「――――っ」

息が、詰まった。

背に走った戦慄がモリガンの呼吸を止める。化け物達を見た時と同じ、だがまた少し違う感情に支配される。

「うっ………ぐ……っ!」


喉元を押さえ苦悶するモリガンに兵士達がやっと気づき、「モリガン様!?」と騒がしくなる中、自分を縛り付けていた緊張は解けた。

咳き込み苦しさで滲む目には、今度こそ完全に立ち去って行く背中。モリガンがそれを止めることはもうない。


黒き森(ここ)』は噂通り、人が近づいてはならない。そんな領域なのだと理解したから。


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