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ヴェルトアーデン交響譚  作者: 乃東生
64/81

7

キリアンに見守られる中、ノルンは自らを終らす手に力を込めようとした。

それは一瞬で終わるはずだったのに。

不意に現れた手がノルンの動きを封じた。


振り返り見上げればそこには黒と金の瞳。驚きは一瞬で、そのまま体ごと抱きすくめられる。


「……やめてくれ」


絞り出すように耳元で囁かれたスルトの声に、形を変えていた指先は強制的に解かれ、ノルンは少し戸惑ったように小さく呟く。

「どうして……、戻ったの? 私はもうスルトのノルンではないのに?」

「…………」


その問いかけには無言が落ちる。

自らも説明出来ない行動ゆえの沈黙か。


誰もが皆、自分の心を全て理解し把握して行動出来るわけではない。それが深ければ深いほど、迷いや葛藤、矛盾や打算、様々なものに翻弄される。

女神と呼ばれる存在であってもそうだったのだ。生み出された者達とて同じ。

スルトの腕の中、ノルンはひとつ息を吐く。


その腕に―――、

軽い緊張が走るのを感じた。


そして気付くのは鋭く尖った殺意。


それはスルトの体に隠された前方から発せられるもの。自分に向けられるものではなく、私を捉える男に向かって。


「……………ラーウを、離せっ……!」

響くキリアンの低い声。


言葉は意志となり力となる。

空気中に含まれる僅かな水分が小さな氷の結晶となり、無数の刃となってスルトを襲う。それは攻撃というよりはただ怒りの発露でしかなく、スルトの一瞥の元に霧散した。そしてノルンを離すことなく、肩越しにキリアンを眺め言う。


「ああ…、あの時のダークエルフか…」

「……お前は、殺す! 跡形もなく!」

「ふっ、面白くもない冗談だな。 お前ごときが? 私を?」

「………っ!」


力の差は歴然であるので仕方ない。

だが、それを振り払うかのように今度は砂漠の砂を核とする硬質な氷の粒が回りを囲む。簡単に消すことは出来ないほどの厚き層となって。


「……ラーウ…、ごめん……」と、キリアンの小さな声が聞こえる。

その理由はどうであれスルトはこの体を守りたいのは明白で。

でも私はこの体を終える意志をキリアンに伝えている。今展開した攻撃はそれを踏まえた上でのもので、私をも巻き込むことへの謝罪。


ノルンは顔を上げゆっくりと呟く。

「スルト、もう終わろう?」

こんな偽りはスルト自身も、そしてその想いも徒に蝕むだけだ。何をどう足掻いたってそれは本物ではなく、求めるものとはなり得ないのだから。


見下ろされる色違いの瞳。その奥底が微かに揺れる。

「それでも――…」

静かに告げられた言葉の先は、開始されたキリアンの攻撃の下に途切れる。僅かに眉根を寄せたスルトは、転移しようと術を描くがそれは掻き消される。


「行かせるか!」と、キリアンの声。

気付けば辺り一帯を幾重にも取り囲む光の網。それは隙間なく緻密な。

膨大な魔力を持って為せる技に小さく舌打ちをしたスルトは、今度は自分の体内へと術を編む。

力の増幅、膨れてゆく魔力は網を押し広げ始め、その中心にいるノルンの周りの空気の層は徐々に薄くなる。 


急激な気圧の変化による耳鳴りに小さく眉をしかめる。そしていい加減この不毛な争いを終らさなければと、自らも参戦しようとしたノルンは、耳に響く不快な音の中に微かな声を聞いた。



『……私は無から生まれた』



それは静かに綴られる言葉。


罪と罰の告白。かつての()である私の独白。



『―――ならば私は、今からその罪の代償を払わねばならない』


告げられた最後の断言に意識が引きずられる。



ガクッと急に力を抜いたノルンに、スルトの声がかかる。

「――ノルン?」と、あくまでも私をそう呼び、キリアンへの反撃を止め防御のみに徹したスルトは、自分の腕の中で体制を崩したノルンを覗き込む。


どうしたんだ?と問うスルトに返事を返すことさえ出来ずに踞るノルン。引きずられるのは意識だけでなく、その体も。

強制的に転移しようとする自らの体を、縫いとどめようと力を奮うが、その力さえも奪われてゆく。


その明らかな異変に気付いたスルトは焦ったようにノルンを掻き抱き、意識を取られ薄れた防御にキリアンの放った氷の刃がスルトの頬を裂く。

滴り落ちる血。だけどそんなことを気にかけることもなく、スルトの色の違う瞳はただノルンだけを映す。


思うように動かない体を叱責し、ノルンはそんなスルトを押し退ける。

「スルト…、私を離して、」

でないと貴方も引きずられる。


途切れながらも告げる言葉にスルトは頷くことはなく。寧ろ腕に込める力は増えた。

彼の執着は間違ったまがい物だと言うのに。


だけど今はそれに抵抗するもの辛く、この身を呼び寄せようとする声に抗うのが精一杯で、ノルンはキリアンへと目を向ける。

流石に、様子のおかしさに攻撃の手を止めたキリアンに、

「キリアン、母さんに―――、」

伝えてと。



だが、その先の言葉は唐突に絶たれた。



遠くで、一際大きな声達がその名を呼んだ。

フレイヤ―――と。


願いが、想いが、懇願が。

大きな渦となりノルンの身を、ラーウの――、フレイヤの意識を襲う。


それはここより遥か北の地、緑広がる深き森より。


 



「ラーウ!!」


伸ばされた手は虚しく空を切った。

急に姿を消した二人にキリアンは愕然とする。光の網は張り巡らしたままだと言うのに。


キリアンはよろめきながらも二人が消えた場所へと立つ。残る力の痕跡は男のものでもノルンの体であるラーウのものでもない。



掴んだと思ったものは、再びあっけなく消え去った。


拳を握りしめただ立ち尽くすキリアンに、熱を帯びた乾いた風が一陣通り過ぎた。






そのほぼ同時刻―――。


それほど遠くない場所で、同じように立ち尽くすのは赤銅色の髪の男。


「カイディル君、ラーウちゃんは?」

後ろからそう声を掛けるのはリンデン。

「さっきまでここに居た…はずなんだが…」

ラーウの状況が状況だっただけに、自分の願望が作った妄想であったのか? と、カイディルは一瞬戸惑うが、それにしてはあまりにもリアルで。


「確かに微かなラーウの痕跡を感じる」と、

見目麗しい男、アルブスがカイディルの横へと立ち、不意に屈むと砂の中から何かを取り上げた。


「それは……?」

カイディルはアルブスの広げた手のひらを覗き込む。そこには青い小さな丸い粒。

「藍晶石だな。何でそんなものが?」

同じく覗き込んだリンデンが言う。

「……さぁ、な」とアルブスは軽く首を振ると、何故かその石をカイディルへと差し出した。

「……?」

訳のわからないまま受け取る。それを満足そうに眺め、ふと、アルブスは北へと視線を向けた。


「で、結局ラーウちゃんはどこに行ったんだ?」

嘆息とともに呟くリンデンの声に重なるように、そこに新な声が割り込んだ。


「―――見つけたわ!」


突然現れたのは金髪の美女。

「あの男が力を使ったの。だけど今は――、」

この国特有の薄い衣を来た魔女らしくない出で立ちの、でもハラーラの魔女はそこで言葉を切り、アルブスと同じく北へと目を向けた。



釣られるように向けた視線の先。

そこに見たのは天に向かって伸ばされた白い腕。


それは遠く、だけどここからでも鮮明に見て取れるほど巨大で、その両の手は空を掴むように。まるで白く咲いた花が太陽を目指すように。



その後を追い、肩が、顎が、反らされた姿が全体を現す。


それは白い――、何もかもが白い女性。



「…………………ラーウ………?」



カイディルの、その小さな声を捉えたように、一瞬、白い女の瞳がこちらへと向けられた気がした。

ラーウとよく似た、でも少し歳を重ねた。



そして直ぐに、その姿は滲むように空へと消えた。









──‥──‥──‥──‥──






『黒き森』に一番近い街ラティエ。

そこに暮らす者達は、今日あり得ない光景を目にした。

それは森に現れた巨大な女性。


驚き、おののく内に姿は消えたが、呆然と空を見上げる街の人々とは異なり、巡礼で数を増やした信者達は皆揃って跪く。


そして自ずと口にする、「女神フレイヤ」と――。




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