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「どうだ? 少し落ち着いたか?」
カイディルが尋ねる。何かこらえるように微妙に上がった口角。
( ………大丈夫だよ )
ボソッと答えたラーウに、こらえきれなくなったのか小さく笑い声を漏らす。
強くなり始めた日差しに、この姿ではあまり感じられないが一旦ニレの木の下へと移動した。そして今現在もカイディルがわたしを覗き込む。こちらの動揺などお構い無しに。
( カイディルって、実は性格悪いでしょ? )
絶対にラーウの動揺の意味を理解しているはずの男に向かってジト目で言えば、一瞬虚をつかれた顔をして。
「…面と向かって言われたのは初めてだな」と。
そして少し遠い目で、「でもまぁ、実際そうなんだろうな」と苦笑混じりに言うのでラーウは慌てる。
( いや、違うの! そう言う意味で言った訳じゃなくてっ! )
じゃあ、どういう意味なんだと自分の心に突っ込みながらも、カイディルはこちらを見ていないので今の言葉はきっと届いてはいない。でも別段気にした様子もなく、「ああ、そう言えば」と言葉を続ける。
「魔女エルダに…、君の母親にもそんなニュアンスのことを言われたな」
言葉はそこまで直球ではなかったが。と、少し笑ってラーウを見る。
………魔女……、エルダ………?
………何だろう?
知らない、と思う。はずなのに。
心がザワザワする。
しかもカイディルはわたしの母親だと言った。
………母親……?
( 母さん……? )
カイディルはまだわたしを見ていて優しく頷く。
「ああ。ラーウを待ってるよ」
でもきっと凄く怒られると思うぞと笑いながら言う。それと同時に、黒い長い髪の美しい女性が眉間にシワを寄せ、腕を組み立つ姿が浮かんだ。
誰だかわからないけど、その姿にひどく胸が痛んで。
胸中を過るのは。
心配してるはずだ、早く帰らなくては。という想い。
泣きそうな顔をしていたのだと思う。
カイディルの手がわたしの頭へと伸びて。
「やっぱり、アルブスかリンデンを呼んでこよう。 そうしたら直ぐにでもエルダと連絡が取れるだろうから」
今は触れることの出来ない手がゆっくりと頭を撫でるように揺れた後離れようとする。
呼びに行く気なのだろう。反射的にラーウは首を振った。
( いいよっ! ……いい。 ここにいて )
「……ラーウ?」
( カイが……、…いてくれたらいいよ )
今はただ彼といたい。側にいて欲しい。
ついさっき胸を痛めたはずの、母だと思われる女性の姿さえ瞬時に消え去るくらいの思いに突き動かされた。
そんなわたしをカイディルは少し困ったように眺め、
「……わかった。ラーウが、そう望むなら」
微かに口元を歪めるような小さな、でも柔らかい笑みを浮かべると、ひどく穏やかにそう言った。
「じゃあ取りあえず擦り合わせでもしようか」と、改めて言うカイディル。
「ラーウは自分の今の状況をどれだけ把握してる?」
その質問にラーウはブンブンと首を振る。全く、何にも、わからない。
「アルブスとリンデンもわからないんだな?」
そこは頷く。
「エルダは…、わかるのか?」
( 黒髪の…綺麗な女の人の姿を、何となく…? )
「ああ、それであってるな。じゃあキリアンは?」
( キリアン? )
初めて出てきた名だ。ラーウの頭が傾ぐ。思い浮かびそうで浮かばないもどかしさに、諦めて首を振る。
「そうか…」と、カイディル。それが呆れられたような気がしてラーウは慌てる。
( あ…っ、でもあれだよ! カイのことはちゃんとわかるし! それだけわかってれば充分だし、もういいかなーって…………、 )
………いやいや、何言ってんの? わたし!?
もしかして、なんかスゴい恥ずかしいこと言ってない!?
簡潔に言えばそれは『貴方しかいらない』まさに『オンリーユー』だ。
――いやっ! でもカイディルがわたしの口の動きを見きれていなければまだセーフだ。
と、チラリと視線を送ればカイディルはちょっと目を見開き、不自然に固まったラーウを見て「―――ふっ、ははっ」と笑い出す。明らかに全て理解している。
思わず俯くラーウ。そう言えば、前もこんな似たような状況があったなと、赤く熱い頬を押さえ我ながら呆れれば、ありがとう。と声が降る。
( ………? )
顔を上げると優しい青い瞳がラーウを見つめる。
「ありがとう、想ってくれて」
その返された言葉に、ラーウは一瞬息を飲み再びゆっくりと俯く。
決定的な言葉は一度も口にしたことはない。それでもこちらの言動をみれば明らかであっただろう。わたしが好意を寄せていることなど。
そこにカイディルが一歩踏む込むことなどなかった。優しくはあったが一歩引いた拒絶。
だから言葉が返るなど思ってもなかった。ラーウの意思をきちんと受け止め、そして返されるなんて。
( カイ、あのねっ、………あのっ! )
「――ん?」
言葉と共に見上げた先にはわたしの大好きな人がいて。
赤銅色の前髪の下の深い青い瞳が、今わたしを見て緩やかに細められている。人としては整った精悍な顔は砂漠の太陽のせいか前に見たときよりも少し焼けている。
……………前?
砂避けの外套を纏った広い肩幅。その外套の隙間からは相変わらず沢山の小さな袋が見え、革の剣帯が横切る。軍隊にいたという、武器を身につけていた方が落ち着くのだろうか、腰の後にも片手弓が見える。
……弓、……降り注ぐ矢。
―――血の気を失いゆっくりと閉じてゆく瞳。
―――流れ出た血が手のひらを染める。
―――崩れ落ちた、血にまみれたカイディルの体。
( ………何…!? )
頭の中で被さるように細切れに現れた映像にラーウは息を飲む。
「……ラーウ?」
明らかに、急に顔色を変えたラーウにカイディルが何事だと覗き込んで。
( ……体が、血で…… )
「――え?」
唇から読み取ったその内容に当惑するカイディル。
ラーウは揺れる瞳でカイディルを見る。だけどその顔にも、覗き込むように屈めた体にも、今は血の色など見えない。
ホッと息を着くが、絶え間なく襲ってくる映像に今度は踞る。
フラッシュバックのように切り替わる映像。それは音声も伴い、代わる代わるわたしの名を呼ぶ。
これはきっとわたしが今忘れているもの。
そしてカイディルへと向けていた想いの中の矛盾と葛藤。わたしが、少なからず抱えていた。
( カイ……わたし…、 )
途切れそうな意識で、絞り出すように声を紡ぐ。
「ラーウ!!」
慌てたカイディルの声。霞む瞳で、さわれない腕をそれでも伸ばそうとするが、「直ぐ戻るから!」と立ち去ろうとする気配。
今度は流石に引き留めることは出来ず、伸ばした腕は小さくなるカイディルの背を虚しく掴む。
諦めて瞳を閉じれば全ては闇に。落ちてゆく意識の中、小さな声が後を追う。
『……………私は、無から生まれた。
作り出す世界に憧れて、
その中で一人の人間を愛した。
それは原罪。関わっては、触れてはいけないもの。
侵かすべからず秩序を乱したことにより罪を負う、彼もまた。
長い長い時を彼は囚われた、それが彼の罰。
私は彼の魂を探す為に世界を作る、何度も。飽くことなく増えゆく罪。
最後に、壊れゆく自分が残された力で作った世界。全ての条件を揃えて。もうこれで最後だと新たに作った世界。
出会えることを望み時を止めて。
そしてそれは叶った。
……ならば私は、
今からその罪の代償を払わねばならない』
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