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そんな砂漠の出来事より数日前。
場所もここより遥か北。ラドラグルから『黒き森』まで続く街道。
途切れ途切れながらも延々と続く人々の流れに、街道沿いの街の住民達は眉をひそめる。
「何だいこれ?」
「女神様の信者らしい。『黒き森』への聖地巡礼だそうだ」
「へぇ……。大層なこった、あんなとこに向かおうだなんて。 …気が知れないな」
「盲信なんだろ。 関わらないに限る」
「ああ、そうだな」
どこかから漏れたのか、それとも何らかの意図が働いたのか。その規模はいつの間にか大きく膨らみ、ラドラグルだけでなく近隣諸国からの信者までもが森を目指す。
すり替わり、いつの間にか形を変えた噂は、
『あの黒き森に女神フレイヤが現れる』と。
そしてヒルトゥールのダドラルタにある建物の一室。
「何だ、それは……?」
「……わかりません。 ただ、街道をゆく他国の信者達はそう話していました」
「…………ふん。誰かが動いたか」
「モリガン様?」
「調べれるだけ調べろ、その噂の元を」
「―――はっ」
側近の男が部屋を退出したのを見届け、男は深く息を吐く。それは憤りから。
「どこのどいつだっ、邪魔をするのは!」
せっかく大義名分を掲げ、尚且つ兵も引き連れてあの森へと行ける手筈を整えラドラグルを出た。だというのに。これだけ大規模な動きとなれば要らぬ目が光るではないか。とモリガンは拳を握る。
谷底に眠ると言う宝。望むのは、
『永遠の時を与えるという氷の玉座』
力などいくらでもやりように寄って手にすることが出来る。ただその為には時が足らない。
ラドラグルの前皇帝も若き頃は賢帝であった。しかしそれを消し去ったのは時という名の老いだ。気力も活力も、それが全てを奪い去り失意に沈む。
今自分がもつ野心を全て叶える為に必要なのは永遠なる時。その為にここまで段取りをしてきたというのに邪魔が入るとは。
( 警戒すべきは魔女だけだと思っていたが…… )
早急に動くべきだと、男は再び側近を呼ぶ。
「用意を急がせろ、直ちに森へと向かう!」
いつかの少女は人の汎用性を褒め称えていた。人の持つ柔軟さと適応力、それは自分達が生きていく上で必要だろうと、そうであるべきだとその都度に変化する。それは噂も同じ。
自分達のより良い方へ、望む方へと勝手に姿を変え際限なく広がる。
それが真実であろうとなかろうと。
『瘴気渦巻く魔の森』『隠された財宝が眠る深い谷底』『その谷底は女神の領域』
そして新たに増えた、『黒き森に女神が現れる』と『永遠の時を与える氷の玉座』
全てが強ち間違っているとは言えない。その上、きっとまだ知らない噂が山程あるだろう。そして全てが終わった時、また新たな噂が始まる。
だけど現時点でそれがわかる者など誰もいない。今はまだ―――。
──‥──‥──‥──‥──
運河という明らかなの境界線を挟んだからか、ここは森の噂とは程遠い。
眩しい日に晒され、吹く風も湿り気を持たない乾いた熱を纏う。
( ……ラーウ……? )
聞きなれたような、でも覚えのない響きに少しの間があく。
彼がカイであることはわかる。その彼がわたしをそう呼ぶであれば、『ラーウ』というのはわたしの名なのだろう。
けど名を呼んだカイディルは何故か少し複雑そうな顔でこちらを見ていて。何でだろう?と首を傾げれば、わたしの動作に今度はため息を零す。
そしてゆっくりと近づいて来た彼はわたしの前に手を差し出し、反射的に手を重ねようとすればわたしの手はカイディルをすり抜けた。
( ………え? )
よく見れば、朝日に照らされたわたしの手が透けている。手だけでなく目にする体全体が夜明けの月のように淡い。
「気付いたか? ラーウ今君は実体ではないんだよ」
( えっ!? 何で? )
驚くわたしに、複雑な顔のまま何故か急に視線を外したカイディルが、隠すように片手で顔の半分を覆い少し俯く。そして言葉を詰めるように。
「ラーウが驚くのもわかる、でも、ごめん…ちょっと……、ちょっとだけ今は。
………………ホッとした、君の姿が見れて」
驚きと安堵と、でもその状況に。そして。
あの表情にはそういう意味があったのかと、思わず同じように俯く。隙間から見えたカイディルの顔に浮かんだ喜色に心が跳ねて。
「ああ、そうだ」と、頭の上からカイディルの声。顔を上げれば、もう表情を戻したカイディルがラーウを見て言う。
「アルブスとリンデンも一緒なんだ。二人ならその状態の原因もわかるかも知れない」
そう言って急いで砂の背を下るカイディルに、ラーウは慌てて声を掛ける。
( あっ、カイ、待って…! )
アルブスとリンデンと聞いても今のわたしにはピンと来ない。わかるのはカイのことだけだ。でもそれさえもはっきりとはせずに少し朧気で。
そう言えば、最後にカイと会ったのはいつだったろうか……?
( ねぇ、待ってってば! )
再度呼び掛けてもカイディルは振り向かず、焦れたラーウが先程のように念じれば、浮いた体はカイディルの前へと回り込む。
「!? ラーウ?」
( 待ってって言ってるのに! )
「……どうかしたか?」
( ホントにもう!! アルブスとかリンデンとかわたし知らないし!? それなのに呼ばれても困る! それよりも――、 )
「ちょっ!? ……ちょっと待て!」
いきなりまくし立てたからか、カイディルがわたしの話を遮る。それに不満顔で。
( ………何? )
「聞こえない」
( ………何が? )
「聞こえてない。 ラーウが何か言ってることは口元を見ればわかるが、俺には聞こえてないから。 短い言葉くらいなら何となくわかるが……」
と、カイディルは困ったように眉を下げた。
……………なるほど。
それで振り向かなかった訳か。
( え……、じゃあ、どうしよう…? )
しゅんと肩を落としたラーウに、カイディルが少し慌てて。
「ゆっくり話してもらえれば。上手くはないが唇を読むよ」
( 唇……? )
「ああ、読話と言って唇の動きで内容を読み取るんだ」
へぇ。とラーウは頷いたが、その言葉の意味をよくよく考えれば。
カイがわたしの口元をずっと見ているってこと……?
( ―――は!? いやっ、無理無理無理無理っ!!
何!? その恥ずかしプレイ! )
想像しただけで真っ赤になったラーウは、頬に両手を当てる。同時に少し伏せたラーウの顔をカイディルが覗き込むように屈み、至近距離からその青い瞳がわたしの口元を見つめる。
「えっ? ラーウ? ごめん、速すぎてちょっとわからない。もう少しゆっくり話してくれ」
( だから、無理だってーーーー!!)
ラーウの心からの叫びは、でもカイディルには当たり前に届かず。登った太陽の下、熱せられた夜露のように早々と消えた。




