魔女と少年 1
胸が熱い。施された枷から自分の魔力が奪われていくのが分かる。
逃げればどうにかなると思ったけれど、結局はどうにもならないのか。
自分に褒賞金が掛けられたのだと、追って来た男に言われた。その追っ手を振り切る為に誰もが忌みする森へと逃げ込んだが、そこにも追っ手は来た。
今は力も使えない、ただの痩せっぽっちのエルフに、大の大人達が徒党を組みここまで群がるのか?
瘴気が渦巻く森だと言うのに、そこまでしてお前らは金が欲しいのか?
( 枷さえなければ、こんな奴ら皆殺しにしてやるのに! )
群がる男達を睨み付ける。今はそれだけしか出来ない自分が悔しい。
あの時、人間など信じた自分が馬鹿だったのだ。
逃げ惑う間に負った傷で上手く動けない。ジリジリと迫る男達の輪。
「おい、もう動けないみたいだぞ!」
「生け捕りが条件だからな、チャンスじゃねーか」
「おい、待てよ! 抜け駆けはよせ!」
「――は? 何言ってやがる!」
ここに来て、内輪で揉め始めた男達を眺め、少年は嘲笑う。
( 馬鹿な男達だ。本当に馬鹿らしい )
だが、揉めていようといまいと、自分は何れは誰かに捕まるだろう。
逃げ続けた三日間ほぼ寝ていない。踏ん張っていなければ意識は直ぐに飛びそうだ。
( 流石に、もう…疲れた…… )
ゆっくりと遠ざかる男達の怒鳴り声。そして霞む視界。
だから、その時見たものはきっと現実ではないのだろう。
その爪が、牙が、獲物を玩ぶように。
大きな白い狼が男達を蹂躙する光景なんて。
最後に――、赤いルビーのような瞳がこちらを捕らえた。
意識を保てたのはそこまで。
「…ぃ…………おーい…」
「……って、めんどくさいなぁー、水掛けるか?」
「ダメだって!母さん!」
「…殴るか?」
「もう、アルブスまでっ!」
何やら耳元で声がする。
うるさくて寝られやしない。
「瞼がぴくついてるから、そろそろかー」
「ラーウは離れて」
「だーかーらっ、抱きつくのなし!」
本当にうるさい。
なんなんだ?
「そうだお前、外ではあまり人型になるなよ?」
「何でだ?」
「……分かってるだろ」
「……さぃ……」
「フン、俺はラーウしか興味がない!」
「何言ってんの!?」
「……うるさ…ぃ…」
「ん? 何か言ったか?」
「いや……?」
「うるさいって言ってんだよ!!」
勢いよく起き上がり、声のした方を見る。
驚いた顔をした女性がいる。
年齢的には中年に差し掛かるだろうか?
きつい印象の妖艶な美女。黒髪黒眼のその姿から、きっと魔女だろうと、瞬時にそこまで推測して。
目にしたのが人間でなく魔女だったことに、幾分ほっとする。ところで。
「――あんた誰だ?」
ゆっくりと、自分を見つめる魔女の顔に笑みが浮かぶ。艶やかだが、何故か怖い。
「随分元気なガキだなぁ。枷を付けられてる割りには」
その言葉に、瞬間に身を硬くする。
( こいつは追っ手なのか!? )
だが、魔女と人間は相容れない存在のはず。
よく分からないまま、ベッドの上でジリジリと後退すれば、続く言葉。
「今も魔力が抜かれているだろうに。体が熱くはないか?」
それは心配する口調ではない。どこか楽しむような。
( やっぱり新たな追っ手か…… )
絶望に顔が歪む。
結局……、
ほんとに何処に行こうと、自分は逃げることが出来ないのか……?
どう足掻こうとも……。
戦慄く両手で自らの髪を掴む。
逃げることの出来ない檻が、自分の周りに降りてきたように、ベッドの上で身を縮める。
そんな自分に、
聞こえたのは、
「母さん、酷い! 何か悪役みたい!
――ねぇ…、ごめんなさい。大丈夫?」
こちらに向けて、真っ直ぐで柔らかく、何故か心地好いと感じる声。
「ラーウ、近付くな」
「アルブス離してってばっ!」
夢の中でも聞こえていた声。うるさいと思っていたはずなのに?
のろのろと顔を上げて、声の主を探す。
確認するまでもなくそれは分かった。
彼女を見たときに、もう大丈夫なんだと。自分はもう大丈夫だと。
ほんとにそう思った。理由も分からずに。
声の主である少女は、彼女にへばりつく男を振り払う。目を離せないまま彼女だけを見つめていれば、気が付いたのか少女がこちらを見た。
彼女は自分の視線に、困ったように首を傾げると口を開く。
「こんにちは、わたしはラーウ。…君は?」
彼女の名はラーウと言うらしい。口の中でその響きを幾度か繰り返し、そして返す。
「……キ…リアン」
久しぶりに口にした自分の名は少し掠れて聞き取りずらかったと思う。
だけど彼女は笑顔で繰り返した。
「そう、キリアンね。 大丈夫、助けるから」
…………は?
……聞き間違いだろうか?
彼女は今、なんと言った?
助ける?助かる?
この呪縛から?
馬鹿らしいと思った。ラーウの声に、姿に安堵したのは確か。だけどこれは、この呪いは、
自分の心臓に、魔力の源に直接掛けられたのもの。
掛けた本人にしか解除は出来ないもの。
だから無理なのだと。どうせ逃げられないのだと。笑って言ってやろうと思った。
なのに上手く笑えなかった。
揺れる口元から溢れ落ちた言葉は、
「俺を…、助けてくれ……っ!」
ただ搾取され、死んでいくのなんて真っ平だ。
俺は死にたくない!
「お願いっ…しま…!」
そして同じく溢れ落ちた涙に、思わず差し出されたであろう手を、咄嗟に握り締め胸に抱く。
助けを、差し伸べられた手を、その温もりを。逃したくない。
蹲った自分の背が優しく擦られる。その背に感じる温もりは抱え込んだ手と同じ。
キリアンは再び眠りの中に落ちてゆく。囁かれる「大丈夫」と言う声に包まれて。