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「―――ノルン」
不意に掛けられた声に、ハッと我に返る。その反動で指に摘まんでいた水晶が離れた。
「あっ!」「ぅわっ!」
同時に声を上げる店主とノルン。
為す術もなく落ちてゆく水晶は、でも後ろから伸びた手に掬い上げられた。
「あっぶな……」
ほっと息をつく。横で胸に手を当てる店主もきっと同じ気持ちだろう。
ノルンは水晶を受け止めてくれた手の持ち主、スルトを見上げる。落とした原因はスルトなのだけど、ぼうっとしてた自分も悪い。
「ごめんスルト、ありがとう」
そう言って手を差し出せば、スルトは先程のノルン同様長い指先に球体を挟み、掲げ覗き込んでいる。
黒と金ではない今は青い瞳が細められる。
スルトにも何かが見えるのだろうか?
だけど直ぐに視線は逸れ、ノルンの手のひらへと水晶は戻った。
ころりと転がる水晶を眺めノルンは言う。
「……おじさん、わたしこれ貰うよ」
「おっ、そうするかい」と、店主はホクホク顔だ。そして。
「ノルン?」
スルトのその声には、何でそんなものを?という響きが滲む。
「うーん…、何となく?」
曖昧に返事を返し代金を支払うと、店主のおじさんがわたしの手のひらにもう一粒石を落とした。それはさっき見ていた藍晶石の粒。
「ん? これは?」
「オマケだよ、熱心に見てたようだから」
気になりはしたけど、そんなに熱心に見ていたのだろうか?
まぁ、貰えるものは有り難く頂こうと、それもまとめて胸元のポケットへとしまい込み、
「ありがとう」と声を掛けて店を出た。
気を逸らす為にと適当に入った店でまさか買い物までしてしまうとは。と、ちょっと笑えば、スルトがそっとわたしの頬に触れる。
見上げるといつの間にか元に戻った黒と金の瞳がわたしを捉えて。
「ノルン、…もう何処にも行くな」
また零れ落ちたその言葉に、ノルンは眉を寄せ口を開く。
「何言って――、」
だけど最後まで言えずに抱き竦められて、一瞬で周りの景色が変わった。
びゅぅうと風が鳴る。
街を砂から防ぐ為に作られた外壁の上へと転移し、わたしの姿も元へと戻る。
だけどまだわたしはスルトの腕の中に囚われたままで。
スルトの中にある不安。それを解消出来るのはわたしで、与えるのもわたしだ。
そして今わたしの何かが、急に彼に不安を与えた。
「スルト――」
掛ける声の、だがその先が続かない。
わたしが真実を思い出さなければいいのだと。水晶に映し出された姿の、その意味を。
だけど無意識に深く青い石を手にしたわたしが、心の一番奥底にいる私が、
求め望んでいる、彼を―――。
結局それ以上の言葉を紡げないまま、スルトの腕の中、ノルンはそっと瞳を閉じた。
──‥──‥──‥──‥──
昼とは違い砂漠の夜は涼しく、むしろ少し肌寒い。それを補うかのように酒場には人が溢れ、ウードの音が響く。
「いやぁ、旨い! この国の酒は旨いなぁー」
ぷはーと一気に火酒を飲み干しリンデンはお代わりを頼む。
「飲むのはいいが、潰れたら放置するぞ」
そう話すのは人型となったアルブス。
狼の姿であれば目立つだろうとの考えだったのだが、見目の麗しさはそのままであるので逆に余計目立つ。
現に店の女性客がチラチラとこちらに視線を送り、酒を注ぎに来た女性店員はリンデンではなくアルブスの方に注ごうとする始末。
「お前さー、もう少し人間ぽく変えれないわけ?」
絡むリンデンにアルブスは涼しい顔で。
「繊細な魔術は得意ではない」
「ダメじゃん」
「言い換える、必要ない」
「どっちにしてもダメじゃん」
ケタケタと笑うリンデンの横、余り目立ちたくないカイディルは寡黙に酒を飲む。
現在三人は更に南下したハラーラにいる。それは――、
「やだ! 一人もう出来上がってない?」
これ?とリンデンを指差して、四人席の最後の椅子に腰かけたのは、緩やかにウェーブのかかった金髪の美女。琥珀色の瞳を細めて三人を見渡し、
「あら、意外とみんな見目の良い男ばかりじゃない」と、妖艶に微笑む。
更に目立つ人物が増えたことにカイディルはため息を漏らすも、ハラーラに来たのはこの美女に会いに来た訳で。
美女は足を組み机に頬杖をつくと、
「うーん、ちょっと視線がうざいので閉めちゃうわね」
と、細くしなやかな指先をパチンと弾く。
その途端、起こった微かな違和感にカイディルは眉を寄せる。
リンデンとアルブスが何も言わないので害はないとは思う。それにこれは何となく覚えがある、ヒルトゥールでエルダから借りカイディルが使った魔術とよく似た。
黒を纏ってはいないがやはりこの女は魔女なのだ。まぁ、色や容姿など魔女なら簡単に変えれるだろうな と、横に座った女へとちらりと視線を送れば瞳が合う。
黄金に光る琥珀の瞳に滲む黒色。それが細められる、カイディルを見つめて。深く深く潜りさぐるように。
飲み込まれそうになる、その手前で。ふっと形の良い赤い唇に笑みが浮かび、カイディルを捉えていた視線が緩んだ。
「ふふ、なるほどね。確かに貴方はただの人間だわ」
言われた言葉にカイディルは首を傾げ、
「何を……、」
そんな当たり前のことを。と続けようとして、アルブスが口を挟む。
「何か見えたか?」
「いいえ……。 むしろ逆ね、何も見えない」
「隠されているということか?」
「違うわ、何もないの。一度完全にまっさらになったっていう感じかしら?
混沌の渦の中、消失からの再生。そこまできたらいくらアタシがこういうのが得意ではあってもそれ以上は無理だわ。ただ――、」
魔女はもう一度カイディルを見る。
「魂の核に微かにこびりついた呪いがある」
「呪い?」
「いえ……、祝福かしら…?」
( 呪いに、祝福…? )
自分自身のことを言われているのは分かる。分かるののだが、全く意味が分からない。
どういうことだろうか?と逆隣のリンデンに尋ねるも、若干酔いが覚めたのか真顔に戻ったエルフの男も「……さぁ」と首を振る。
結局カイディルに説明はなく、「まぁ、そういうことね」と魔女はこの話を切り上げて、そして改めて本題を話しだした。
「エルダに話した通り、あの男は今この砂漠の何処かにいるわ。そしてその少女も」
先程の話も気になりはするが、そもそもここに来たのはそちらが本筋で。
「それは確かな?」
完全に酔いの覚めた顔で尋ねるリンデン。
「ええ、アタシはこの国の女神だもの。この国のことならば分かるわ。ただ力と存在を隠しているのではっきりとした場所は特定出来ないの。だけど、まだ居ることは確かね」
「だと言っても流石に広すぎるよなぁ」
「そうね、あの男が強い力を使えば直ぐ分かるのだけど…」
「結局今は待つしかないのかぁー」
リンデンのため息を聴きながら、カイディルは外に広がる砂の海原に視線を向ける。その上には頼りなく細い月が浮かぶ。
このどこかにラーウがいる。自分より優秀な者達が分からないのであれば、きっとカイディルでは見つけることなど出来はしない。だけど。
ラーウがくれた繋がりを同じように想いたどれば。彼女の元まで届くのではないだろうかと。
( ……ラーウ、今君はどこにいるんだ…? )
星々に囲まれた独りぼっちの月は、その頼りない光で砂漠を照らしている。同じ空の元、少女も何処かでこの景色を眺めているのだろう。
問いかける想いに、でも答える声はなく。
ウードの音と享楽のざわめきだけが砂漠に横たわる静寂へと響いた。




