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ヴェルトアーデン交響譚  作者: 乃東生
56/81

7

……何でこれがここに……?


棚の中段にポンと置かれた古ぼけた書物を前に、カイディルは時を止める。


心の中で呟いたと思った言葉は口に出ていたようで、カイディルの背後にいたネヴァンが覗き込み先にそれを手に取った。

「スルトが置いていったのだろうな」と、

相変わらず擦りきれたまま何と書かれているのかも読めない背表紙を一度眺め表紙を開く。

パラパラと頁をめくるにしたがって、ひそめられてゆく眉。その指先が止まった。


「……何だこれは? 何故私の名前が……?」

呟かれる言葉。大国の皇帝ともなれば、そこに名も書かれているだろう。

再び頁をめくりそしてまた止まる。段々と険しくなる表情。その顔が問い掛けるようにカイディルを見る。


皇帝が言わんとすることは分かる。だけどそれはカイディルにも答えられないこと。

ネヴァンにもそれは理解出来たのか、視線は書物へと戻り、酷く不快な顔でパタンと表紙を閉じた。そしてそれを片手にスタスタと歩いて行くと、おもむろに中央の窪みへと放り込んだ。


「―――あっ…」

「燃やせ」


思わず出た声は、ネヴァンの声に重なり。皇帝の要望に魔術師は直ぐ様に対応する。

何もない所から現れた炎の塊。燃えないのでは?と思ったが、それは呆気ない程簡単に燃えた。どこにでもある紙の書物と変わらぬように。

「…………」

「何か大事なものだったのか?」

アルブスが尋ねる。

( 大事な……? )

物では別にないなと直ぐに思った。今の自分には。なのでカイディルは小さく首を振り、「………いや」と答え、

一時より衰えた炎に視線を落としたネヴァンが言う。

「これは人には過ぎたものだ。いや、必要ないものか。先が決まって、決められてる未来などいらないだろ?

……………全く必要ない」


微かな嫌悪を込めた呟きにカイディルは答えることなく。ネヴァン同様に、それが灰へと、あるべき姿に変わってゆく様を最後まで見ていた。



ふっと、アルブスが顔をあげた。

降りてきた階段のその上部、見えない地上に。

「……あの馬鹿が……」

零れた呟きに、何だ?と顔を向けるカイディルと、魔術師の男が遅れてアルブスの視線を追った。同時に地を揺らす鈍い音。


「―――ちっ!」

舌打ちと共にアルブスの姿が掻き消えた。


「あっ! ――おいっ、アルブス!?」

多分地上だと、直ぐに追い掛けようとしたカイディルの腕をネヴァンが掴む。

「こっちだ!」と言う声で視界が歪んだ。

転移したのだと理解した時にはもう地上で、何故か建物の上部は崩壊し空が見えた。



残された壁の開いた空間を潜ると、外にはリンデンとアルブスの背中。その向こう、地に膝をつく兵士の姿が見え、少し上に宙に留まる人影。黒髪のエルフの姿。

少し長めの髪が風に揺れる。


「アイツは何処だ?」

キリアンの尋ねる声にアルブスが返す。

「ここにはいない」

「…………気配がした」

「だがいない。閉ざされていた扉を開けただけだ、探れば分かるだろう」


確認するように、ふいと視線がこちらへとずれる。暗い色の瞳がカイディルを捉えた。


「お前………」

驚いたように瞳を開き、そして忌々しそうに細められ、生きていたのか。と刻まれる口元。


分かっていたことだが、向けられた憎悪が苦く胸をつく。たとえ捨てようともやはり付いてくるではないかと皮肉めいたことを思ったが、彼に関してはきっとまた別の要素が強いのだろうとも。

その瞳が更に後ろへとずれた。

滲む色がまた変わる。それは暗い歓喜。


「ああ――。ちゃんといるじゃないか」

知っていそうなヤツが。

聞こえた言葉に。カイディルは咄嗟にキリアンの視界を遮るようにネヴァンを背に隠し、魔術師は結界を張る。


咄嗟とはいえ、ラドラグルの皇帝である男を庇う動作をした自分にカイディル自身少なからず驚き、同じく、キリアンも不可解だという顔で見る。

「…………庇う相手を間違えてはないか?

ついでにそこにいるとお前も巻き添えになるが………まぁ、俺にとっては好都合だがっ!!」


言葉が切れると同時に、宙に浮いた姿は瞬間で消える。


強い風が迫る。視界を閉ざさないように瞳を眇め手を翳す。急迫する黒い人影に。


だが、白い影がそれを遮った。


《 ―――止せ! 》


止んだ風。

また狼へと戻ったアルブスと、向き合うダークエルフの青年は苛立たし気に。


「何故止める!? ソイツはまだしも、後ろの男はラドラグルの皇帝だ! 謂わば敵だろう!」

《 魔女が確認した。この男はラーウの居場所を知らない。我らに直接手を下してはいない 》

「間接的にでもないとでも?」

《 魔女が約束を結んだ。手は出すな 》


狼の姿ではあるが魔力を帯びた言語を使っているのでカイディルにも理解出来る。キリアンの言動はまるでついさっきの自分を見ているようで。

それは行き場のない怒り。


「………―――はっ、約束だ? 人間達はそんなものなど破り裏切り騙すというのに、何故俺達が守らなくてはいけない?」

《 力あるものはそれを守らねばならない 》

「俺は関係ない」

《 無理だな。今のお前は力を持ち過ぎた、理に縛られる 》


キリアンは瞳を更に暗くする。

「………力が無ければ殺されそうになり、力を持てば理に封殺される。誰がそんな馬鹿げたことをこの世界に作ったんだ…?」

《 ………… 》

アルブスは何も言わない。キリアンもきっと答えを期待してなどいない。誰も答えられないことだから。

それこそこの世界を作った神以外は。


カイディルもかつてそれと同じようなことを声高に叫び、居るかも分からぬ神を呪った。

「何故―――!!」と。

自分の苦境を悲しみを怒りを。

だけど結局何も変わらず、答えなどないままでも世界は淡々と過ぎた。ただそれだけ。




ラーウの手掛かりがないのならもう用はないとばかりにキリアンはあっさりと姿を消した。

リンデンは怪我をした兵士の手当てに向かい、アルブスはエルフの青年が消えた空間を見つめたまま。

そんなアルブスを眺め、

「なるほど。あの麗しい男はフェンリルだったのだな」

と、興味深げに呟くのは皇帝ネヴァン。


「それにしても、一日に二回も殺されそうになるとは皇帝冥利につきるな」

などとふざけたことを言うのを聞いて、先ほど庇うようなことをした自分を激しく後悔する。でも、だからといって結局はアルブスが止めただろうから結果は同じだ。


皇帝はまだ独り言葉を続ける。

「嘆こうが(なじ)ろうがそれだけでは何も変わらない。この世界とて同じことだ。作り出したのは神かも知れないが、その先を変えてゆけるのはそこで生きゆく者だけ。それ次第なのだから。


―――と、そう思わないか?」


そう()()()()()


急に振られた問い掛け。ネヴァンがこちらを見る。


結局、最初の問いにも返事は返していない。


グッと息を詰めたカイディルは暫くして小さく息を吐く。

( 今までの何もかもは、これからの自分の生き方次第… )

怒りを、悲しみを、後悔を抱えた何も持たない自分であったとしても。

「………もし、許されるのなら、」


「君の言う許しが何かはわからないけど、最終的にそれを決断するのは自分自身だ」

まだそんなことを言うのかとネヴァンは呆れた声で。


カイディルは苦く笑う。

「そう、だな。……そうだと思う」


そんな自分にでも微笑んでくれる、純粋な好意を向けてくれる存在がいる。

なら、素直にそれを受け止めても、求めても願ってもいいだろうか。今度こそ本当に失う前に。


「彼らと違って人の生は短い。些細なことで足を止めてる暇は無いんだよ」

視線を戻したネヴァンが言う。それはとてもラドラグルの皇帝らしい言葉だ。

だが、もう怒りは浮かばない。


今日の風はとても穏やかで、荒野を覆う草も今はただ静かに揺れていた。



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