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ヴェルトアーデン交響譚  作者: 乃東生
52/81

3

ノルンは空を切り取ったように開けた窓に腰を掛け、広がる景色を眺める。

眼前で波間を渡る海鳥が不自然に急旋回をした。それを色違いの目で追い、そこが隔たりなのだと確認する。


二人きりの小さな古城は周りを海に囲まれていて。一歩踏み出せば大海原、陸地と呼べるものは見渡す限りは城の中だけだ。

こんな建築などありはしないから、スルトが無理やり何処からか持って来てここに移築したのだろう。


海の上、他とは隔離された場所。幾重にも張られた結界とカモフラージュ。


スルトはわたしを閉じ込めたいのだと思う。

だけどわたしは魔女で、彼は魔法使い。経験の差はあれど魔力では拮抗出来る。

本気になればこの場から逃れることも可能だろう。だけど――、


「――ノルン」

背後からわたしの名を呼ぶ声。

二人以外の気配などここにはないのだから振り向かなくとも分かる。


伸ばされた腕がわたしを捉えて。

「何処に…、行くんだ?」

低い静かな声が耳元に落ちる。

自分の頬を擽る黒い髪に手を伸ばして見上げれば、わたしを見つめる男の金と黒の瞳。

そしてそれはやはり暗く。

「…………スルト、わたしは何処にも行かないよ」

ノルンは形は違えど何度となく繰り返した言葉を告げる。



ラドラグルからここに来て二人だけになってから、スルトはわたしの姿が見えなくなるのをとても嫌がった。気配を辿れば直ぐに何処にいるかなど分かるというのに。

視界にわたしを認めると安堵の息を漏らすが、一度浮かんだ瞳の翳りは直ぐに消えることはない。


ノルンはスルトの背に自らの手を回し抱きしめる。自分の存在を認識させるように。


()()()()()()()()()()


ゆるゆると浮かぶ笑み、悲しみを含ませた。

それは幾度となく見た男の表情。

何時の、何時かの。夢の中で。



スルトが話してくれるノルン(わたし)の記憶は断片的にさえ浮かびはしないが、夢の中の光景がそれを補足する。

映像のように流れる光景をわたしはただ観ている。スルトがわたしに向けるもの。

驚き、戸惑い、興味、そして徐々に増えていった慈しみや愛情と呼べるもの。


それが何時からか全て、悲しみを含むものに変わった。今浮かべたような。


何故だかは分からない。それが切り替わった頃の夢は、プツンと、明かりが消えるように黒い場面に変わり、

次に見えた光景それ以降は、ゆらゆらとボヤけた視界の向こうでこちらを見つめるスルトがいるだけ。



そしてもう一人―――。


その前半部分にはスルトだけでなく、傍らにはもう一人女性がいた。少しキツそうな美しい魔女。

よくスルトと口論をしていたが、いつも最後はわたしを巻き込んで笑顔で終わる。楽しく可笑しく、安らかで。そんな日々を過ごした、そんな仲であった魔女を。


でも()()()は、夢の中でなく知っている。



その夢の中の姿より、少し年を重ねた。

美しくて怖くて、そして口うるさく、ちょっと意地悪な。

でもわたしにとても優しい魔女を。

(―――何故…?)

夢では見たことのない、いや、現実でも見たことないはずの。


「ノルン?」

再びスルトがわたしを呼ぶ。

ここには居ても心は遠く、意識の中にあったわたしを引き戻すように。


「……ねえ、スルト、」


あの魔女は誰? 今何処にいるの? 

尋ねようとした言葉は。でも呑み込む、それはきっとまたスルトの翳りを深くすると思い出して。


カイディルから聞いた話の真実を問おうとした時の男の暗く沈んだ瞳……、いやそれよりも。

どちらかと言えば「――カイ」と、ノルンがその名を口に出した時のその瞳には。

諦めと痛み、抗う葛藤と絶望。それでも何かを求める。そんなものが一瞬の内に過った。



抱きしめていた腕を放し身を引いて、スルトを見上げノルンは口を開く。

「ね、スルト、何処か行こう? もちろん二人で。ここにずっといるのはつまらないよ」

「……だが、」

「凍える極北の光のカーテンを見に行こう。

砂漠に三百年に一度咲く砂の花や東の果てにある宝石の島を探しに行こう。

大地を埋め尽くすネモフィラの青も、太陽に赤く染まる白銀の山も、何処までも透明なエメラルドの湖も全部見よう?」


夢の中でスルトが語っていた。いつかそれを全て見せてあげたいと。


けどそれはひとつも叶うことはなく。

だけど()()()()()なら全て叶うもの。


何故か分からないが、強くそう思った。

()()()()()わたしなら。


スルトが話す記憶と夢の中で見る光景、そして自分の中の気持ちに齟齬がある。それは如実に顕著に、段段と大きくなる。

そしてその原因を目の前の男は――、わたしの話しに少し目を開き、でもゆっくりと、緩やかに笑みを浮かべたスルトは知っているはずだ。


だけどそれを彼に尋ねることはしない、出来ない。



「そうだな。そんな話しをしていたな」

幸せな、とても幸せだった日々の何気ない約束。

「うん、そうだよ。 スルトが言ったんだよ」

「あまりに……時間が経ちすぎて忘れてたな」

「でも思い出したでしょ?」

「ああ――」

こちらを見下ろし優しく細められた瞳に、今はもう翳りはない。


再び回された腕が、きつくわたしを閉じ込める。 

ぷはっと腕の中から顔を出し、

「――ねぇ、じゃあ何処から行こうか? 今なら何処がいいかな?」

気持ちに空白があるとは言え、それを楽しみだと思うのは本心。


少し弾んだ声のノルンにスルトは言う。

「君となら……、一緒なら何処へでも」









──‥──‥──‥──‥──





ぐるぐるぐるぐると。腹の奥底で黒く渦巻く感情。

師匠(エルダ)が言っていた警告を忘れたわけではない。だけどそれを分かっていたとしても、この沸き上がる感情を抑えることは出来ない。


キリアンは上空に立つ。これ以上いけない限界の。

ここは空気も薄く、凍えるような寒さ。

吐く息さえ小さな結晶となりキラキラと輝くような。空っぽの少女の体が眠る氷室より尚寒い。


急激に支配を広げる黒い感情。

「………くそっ!!」


そう、今は空っぽとなったラーウの体。このまま魂が戻らなければ目覚めることはない。

仮初めの器が人間であれば、待つ気はなくても百年もあれば元の体に戻るだろう。

だけどその器は魔女だ、長き生を持つ。

ならば方法はひとつ。


もとから人間だろうが魔女だろうが、キリアンが選択肢として選ぶのはひとつだけ。

さらった魔法使いも奪った魔女の器も見つけ次第壊す。それだけ。



冷たい、冷たい空の上で。凍った瞳を下界に下ろす。

相手も馬鹿ではない。むしろエルダと張れるほどの魔法使いだ。その力で綺麗に隠されたものに痕跡はない。


男がどれ程の想いで、この時生きて来たのかは知らないが、だからと言ってこちらだって引くことは出来ない。

魂は同じだとはいえ、ラーウの体であることが大切なのだ。自分に暖かな温もりを与えてくれたあの手の、そのラーウであるからこそ。


それに。と、キリアンは思う。

その命が何故失われたのかは分からない。でも失ったのなら共に逝けばよかったのだ。

残され夢を繋ぎ生きるより、愛する者と共に逝きたい。その温もりが消えるのを傍らで感じ、そしてその側で朽ち果てたいと。今のキリアンはそう願う。



表情なく、眼下に広がる大地を見下ろしていた顔に、唯一浮かんだ笑み。だけどそれは皮肉なもの。


何故なら彼女は死なない。今はその身になくとも繰り返す生。結局、先に死ぬのは自分だ。だからラーウを取り戻し、そして彼女の呪いを解く。

浮かべた笑みを消したキリアンは、自分の身を包んでいる魔力をも消す。途端落ちて行く体。


まずは何よりもラーウを取り戻すことが先決だ。


急速に近付く大地に目を凝らして。


( ラーウ、何処にいるんだ……っ )

キリアンは唯一求める少女の痕跡を探した。


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