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ヴェルトアーデン交響譚  作者: 乃東生
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2

タラニスの郊外、ただ荒野が広がるだけの最南端。その背にはもう運河の崖があり、何処にも行くことが出来ない突堤のような地に立つ建物は、運河を越えた砂漠から吹く風に晒され、ただ風化の一途をたどる。


「うーん…。これは本当に人が住んでたのか…?」

呟くリンデンの目の前には石造りの壁があり、ただし扉や窓枠など木材部分は既に朽ち果て空間だけが開いている。

そんな立ち尽くすエルフの男を抜き去り、カイディルはさっさと開けたその空間の中へと入って行く。


「あっ! おいおいちょっと……っ!」

背後からリンデンの慌てた声。

「――ん?」

数歩入って、カイディルは足を止めて振り返り。追って入った男は踏み込んで直ぐに顔をしかめた。


「うわぁー……………。

ん、じゃあないよ、君。 これ何ともないの? 結構な瘴気なんだけど?」

男の言葉にカイディルは薄暗くなってきた建物内を見渡す、が。

「いや別に…、何ともないんだが?」

「……………変だな?」

「……………ガゥ」

入り口から顔だけ覗かせた白い狼が同意するように鳴く。

そのまま気にせず奥に向かおうとしたカイディルを、やはり慌てたようにリンデンが止めた。


「だから待てって。もう暗くなる、探索は明日にしよう。ほら、日が落ちる前に夜営の用意するよ」

そう言って建物の外へと出ようとする。

「なら屋根があるとこの方がいいんじゃないのか?」

その背に軽く疑問を返せば、男は呆れた顔をこちらに向けて。

「さっきの話し聞いてたかい? その中は瘴気が酷い。外もだけど建物内はこもるからね、夜は更に活発になるし。

全然感じないなんて。君、鈍感過ぎるよホント」

ひらひらと手を振りリンデンは馬車へと向かった。


納得出来るような出来ないような。

今日最後の太陽の輝きが開いたままの窓から差し込み、建物内は影を濃くする。確かにこれ以降は明かりが必要になりそうだ。

カイディルはもう一度辺りを見渡し、何か感じるだろうかと目を閉じてみたが、建物に打ち付ける風と少し遠くに波音が聴こえるだけだ。


目を開ける。カイディルの歩みで巻き起こった塵が、暗がりに落ちる日の光を受けフワリと舞う。

あの夜と比べるのはどうかとは思うが、ラーウと初めて出会った『黒き森』の蛍を思い出す。

魔女エルダの棲み家、あの森も瘴気渦巻く場所であり。だけどやはりカイディルは何も感じなかった。そこに暮らす少女も首を傾げるほどに。


今まで気にしたことなどなかったが、言うように。

「…………俺は鈍いのか…?」

何だか複雑な気分になり、カイディルはため息をひとつ。それ以上考えることは止めてリンデンを追って表へと出た。




太陽はもう海に隠れ、辺りは青一色に染まる。

馬が草を食んだ辺りを手早く刈り込み、焚き火の準備をしてから、鉄の棒3本を組んだトライポッドを設置し鍋を降ろす。

今回は馬車を引き連れているので夜営準備も万端だ。折り畳み式の椅子まである。


薪に火をくべてカイディルは顔を上げた。

少し離れた草むらにリンデンが見え、風に乗った微かな呟きと共に彼の目の前に小さな光の柱が立つ。それは辺りを囲む3ヶ所から。


「これでよし!」と、戻って来たリンデンはカイディルの向かいの椅子に腰を降ろした。

「今のは?」

「魔石を軸に地の精霊(ノーム)に瘴気を遮断する結界を作ってもらったのさ。君には必要ないかもだけど」

片眉を上げて男は言う。

最後の言葉で再び複雑な表情を作ったカイディルを見てリンデンは笑い。

「魔獣避けにもなるんだよ。まぁ、幻獣殿がああして存在を主張してくれてる限り大丈夫だけど」

流した視線の先には、少し丘のようになった場所に身を伏せている白い狼アルブス。もうかなり薄暗いというのにその身は仄かに光を発しているのかよく見える。


「実体を持つ相手にはあれは有効だよ。でもここは、無益な血が多く流れた場所であるから……」

リンデンは何処か遠くを見るように。

「亡霊でも出るのか?」

「ん? ああ…、そうだね。瘴気は(かたち)を無くしたモノにさえも力を及ぼすんだ、夜は特にね」


鍋が湯気をあげるのを見て、カイディルは蓋を外し適当に刻んだ野菜と固形化したスープの素を放り込む。そしてまた蓋を閉じ、その上にパンを置き炙る。


「容を無くした、……失った。そんなモノを信じるんだな」

カイディルの口からポツンと漏れた言葉に、リンデンは視線を上げ。

「変なこと言うね、俺はエルフだよ。もともと容の無い概念に重きを置く者だ。

それに君には見えない、言わば『無い』とも取れる精霊はこちらにとっては『有る』で、君の言う有無は他の人にとっては違うかも知れないだろ」


何だか全く大きくズレた回答に、

「要するに、亡霊はいるってことか?」

少し苦笑して尋ねれば、

「そうさ、アイツらは存外強いんだぞ! ガリガリとこちらの精神を削ってくる!」


それについて過去に何か酷い目にでもあったのか、炙ったパンを「あっつ!」と手の上で放り投げながらリンデンはしかめ面で言う。


「でも死んだ魂まで其処らじゅうにいたら、世は生者や死者で溢れかえって大変だな」

カイディルが浮かべる苦笑は皮肉なものへと変わり、だけどリンデンは気付かず。

「ある国では、安らかな死であれば魂は浄化され、そして再び地に帰るんだそうな。輪廻転生と言うらしい」

増えるでもなく減るでもなく、魂はただ巡る。

そういうことらしい。


「死とは…、無ではないのか?」

パチッとはぜる炎にカイディルは視線を落とす。


「………では、恨み苦しみもがいた魂は?」



そもそも。そういう者達こそ、亡者となり亡霊となって地をさ迷うのが一般的な見解。


死んだ者は無と混沌に。この世界からただ消える。それは、そう願う自分の願望。

戦場にいた。奪った命は少なくはない。怨まれることも。

そして己が最後に手を掛けたあの魂も、カイディルを恨んで死んだはずだ。その終わりを、その顔を。確認することは出来なかったが。


砂漠からの風が荒野を吹き抜ける。砂を含んだそれは重く、野を覆う草を掻き分け響く。ビュウゥともゴオゥともつかぬ風の音の中に、プツプツ、ザワザワと。死者が囁くざわめきのように。



「うーん……。どうなんだろうなぁ?」 

そう唸るのはリンデン(生者)の声。

「流石に死んだことないから分からないな。

――おっと! 出来たみたいだ」

コトコトと音を立て、蓋を押し上げ溢れ出したスープに、慌てて鍋を火から離すリンデン。

「……………」

思わず無言になってしまったが。

最初の話の主旨は、実体のない敵も出るから気をつけろということで良かっただろうか?

うん、多分そうだったはずだ。



なんの変哲もない野菜と干し肉のスープ。

よそわれた器を受け取る。留まる場所を持たない旅人にとっては日常的な食べなれた食事。それはカイディルにとっても。


でももう――。

まだ逃げることは続いても、留まることが出来るという選択肢が増えた。自分の居場所を作ることも。



また吹き抜けた風は死者の声を運ぶ。

重く響くその音に混ざり、「許さない」と囁く女の声が聴こえた気がした。



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