無常なるもの
ノルンが目を覚ますよりも少し前、スルトは慌ただしい城内を行く。
やっと自分の元に戻った大切な少女は、離れとなる別館に居る。だからこの喧騒に煩わされることはないだろうが、昨日起こった出来事で城の人間達は今忙しくその対応に追われている。
後宮の一部は崩壊し、公妃は亡くなり。そして本来ならその全てを統轄すべき者は、妻の遺体と共に閉ざされた部屋から出て来ない。
しかもその加害者は、捕らえはしたが元公子であると。
( ああ――、違うな )
全てが元だ。と、どうでもいいことを思い出しスルトは微かに笑う。
人間の世界に不変などない。国など些細なことで直ぐ終わる。魔女によって一夜にして滅ぼされた国もある。…それは強く美しい魔女の悲しい怒りによって。
このヒルトゥールとて同じこと。ただ為るべくして終わる。
城の中心部を通り抜け、その奥へと向かう。人々は一度視線を向けるものの直ぐに逸らし、誰もスルトを止める者はいない。
さすがに一番最奥の、今は部屋の主によって閉ざされている扉の前に立てば、そこを守る兵士に制止の言葉を掛けられはしたが。
それは手っ取り早く彼らの意識を余所へとずらした。
再び何事もなかったかのように扉の両脇に避けた兵士。その背から現れた扉は施錠などあってないの如く、スルトは手を掛け扉を開けた。
「……―――誰だ…?」
ゆっくりと部屋の奥へと入って来たスルトに、男の掠れた誰何の声。咎めるように続く。
「誰も入ってくるなと告げたはずだ…」
部屋にある天蓋付の大きなベッド。その上で、声を発した男は踞り、腕の中には既に生命なき女の体を抱く。
スルトはその青白い女の顔に視線を落とす。彼女の緑の瞳が開かれることはもう二度とない。
何も答えない侵入者にベッドの上の男が顔を上げた。無言で立つスルトの姿を認め、息子と良く似た色の瞳が激しく歪む。
「――――――何故だ……っ!!」
絞り出た慟哭のような叫び。
「何故ミネリアが死んだっ!? 何故助けなかった!? 貴様なら助けられたであろう!
どうして!どうして…っ、どうして!!
…………………貴様のせいだ…っ!」
一気に捲し立て肩で息をつく男は元大公であり、今はただの領主となった男。そしてそれも何れ終わる。
しかし余程の激情に駆られたのだろう、
たかだか人間の分際で私にそんな言葉を向けるとは。
ゆらりと立ち上がる黒い靄、それは込めた魔力。
どうせこの男はもう必要ない。いや、この国すら必要ない、自分にとっては。
欲しいものは手に入れたのだから。
ノルン以外、何もいらない。
出来上がったノルンの体には、どれだけ頑張ろうと願おうと、彼女の魂が戻ることはなかった。
色々と試した。変わりとして、人の魂では力ある体には馴染むことなく。かといって魔力の強い魂では反発する。
自分の瞳を、魔力を糧に作った体は、スルト自身を反発することはなく。命宿らぬ体が朽ちぬよう定期的にその体を動かしはしていたが。
自分がノルンである限り、その身を抱きしめることも出来ないもどかしさ。
そんな時、この国で古ぼけた本を見つけた。
誰が何の為に残したのか?
これは何なのか―――?
でも実際には何でもよかった。何にでさえ縋り付きたいほどに、長い時の中、既に心は疲弊していたから。
それによって、エルダに恨まれようとも。
『―――スルト?』
離れたとこで、愛しい者の声が聞こえた。
目が覚めたのだろう。自分を探すその声に、
瞬間胸の奥に湧いた温かな想いが、スルトの体から立ち上がっていた魔力を消す。
「………何故――…っ」
再び聞こえた掠れた声に、
改めて男を眺めれば、男はもうこちらを見てはおらず。ただ腕の中の女を抱きしめている、その姿は―――。
( ………………哀れな男だ… )
覚えのある既視感。愛する者を失った。
どんな形であれ、この男はミネリアを愛していた。やり方を間違え、そしてそれは、決して受けいられることないものであったが。
「それがミネリアのひとつの望みだった」
また別の願いを抱えてたとしても。
「………?」
「お前も気付くこともあっただろう。ミネリアの絶望を」
「………」
「結局お前自身がそれに拍車をかけた。その結末がこれだっただけだ」
「―――っ……」
自ら全うし死んだミネリア。その遺体を抱きしめたまま男の肩が揺れる。
ただの人間が失った者を取り戻すことなど不可能だ。なら男の選択は二つ。
忘れるか、忘れず抱えたままか。
忘れずにいる選択をしたのなら、その先もまた二つ。
スルトは男を見下ろす。
「半月後にはラドラグルよりの使者が訪れる」
それは最後通牒。事実的にこの国の終わりを告げるもの。現在この国の上に立つ、この男は更迭される存在。
「……選択が許されるのはそれまでだ」
スルトは踵を返す。用件は告げた。ここでの用事は全て終わった。
あの哀れな男と自分は違う。
今自分が張った城の結界を、内側から何か通り抜けたことに若干眉をしかめて。
スルトは愛する少女の元へと向かった。
──‥──‥──‥──‥──
魔女によって飛ばされた先は、首都ダドラルタを遠目に見下ろす街道。幸いなことに近くに人の姿は見えない。
カイディルは街を眺める。
一番高い位置にある大きな建造物がさっきまでいた城だ。
あの全てを捨てた夏至の夜も同じように離れた所から街を眺めていた。あの時は夜で松明の灯りが見え、場所も真逆の、今は南からそれを見てはいるが。
昼の太陽を受けた街は照り返しを受け、立ち上る熱で蜃気楼のように揺らいでいる。
( まるで幻のようだな… )
ヒルトゥールは終わる。この混乱に帝国が乗り出さないはずがない。きっと全ては取り上げられ帝国の直轄地となるだろう。
でもそれも遅いか早いかの問題でどうせ訪れるであろうものだ。そしてそれを早めてしまったのは自分自身。
カイディルの口から小さなため息が漏れる。
最終的に終止符を打ったのは自分なのか。と、皮肉な笑みも浮かぶ。
そこで急に思い出したのは――、
最後の魔女の微笑み。
( そういえば…… )
魔女はカイディルを『カイ』と呼んだ。
あの表情をころころ変える、カイディルを見て屈託なく笑う少女のように。その笑みも。
そして片側の、金であった瞳も、少女――ラーウと同じ淡いグレーであった。
( ラーウはどうなったのか…? )
魔女に確認するのを怠ったことに気付き、カイディルは小さく舌打ちをする。
あの時意識を失う前、キリアンが見えた。だから大丈夫だとは思う。
だのに何故か――、
ラーウのことを考えると再びあの魔女に。
今は黒と淡いグレーの瞳となったあの魔女の少女に、会わなければいけない気がする。
そんなことを考えていたせいか、背後から声が掛けられるまで気配に気付かなかった。
または、相手が気付かせなかったか。
「………おや、君は……?」
カイディルは咄嗟に腕で顔を隠す。言われてた通りに丸腰で、隠すものも守る武器も何もない。
だがその声の主は。
「今日はラーウちゃんは一緒じゃないのかい?」
「!………」
その名を出すということはカイディル自身に関係する者ではないということ。しかしこちらをちゃんと認識しているということは。
腕はそのままにカイディルはゆっくりと振り返る。
そこには、ラーウと一緒であった時に一度見たエルフの行商の男リンデン。カイディルを見て一瞬驚いた顔で。
「………えらくボロボロだねぇ。とりあえず馬車に来なよ、あっちに置いてるから」
そう苦笑まじりに言った。




