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ノルンを捉えていた青い瞳は逸らされる。
「……………はっ! 魔女にとっては人の存在などそんなものなのだなっ」
吐き捨てるように皮肉げに告げられた言葉。
その雰囲気から、わたしとミネリアは近しい間柄だったということか。
そして先ほどからの口振りからすると、わたしと彼もどうやら顔見知りであるということ。
しかも決して印象の良くない。
グッと何かが胸を締め付ける。
わたしは彼を知らない、はずなのだけど。
( どういうことだろ? )
混乱しているという記憶を解けば答えがでるのだろうか?
スルトが戻ったら確認しなくては。
でも今はそれよりも。
「明朝に刑が執行されるって聞いたよ」
「……………」
男は視線を床に置いたまま何も言わない。
斬首との、殺したとの話から、ミネリアという人物はもう既に亡くなっているのだろう。
彼がその名を口にした時、痛みに耐えるように歪めた顔。
どういう関係なのだろうと気になりはするが。
「――ねぇ、聞いてる?」
男は口の端だけを歪める。
「ふっ………ははっ、聞いているし、知っている。 そもそもこの俺の現状を招いたのはお前だろう、魔女よ」
そして何を今更と笑う。
「―――!? ……………そう……、なの……?」
ノルンの、その驚いたような反応に男は顔を上げた。不審に細められた青い瞳を見つめ、ノルンは格子をぎゅっと掴む。
( 本当に――、何をしたの? わたしは…… )
けどとりあえず今は、一旦意識の全てを男へと向ける。これは必ず必要なものだと、スルトに言われ一番最初に刻んだ術式。
目の前の男へとただ念じる。
それは治癒、彼の傷を癒したいという想い。
自分の体内で湧き起こった急激な熱の流れに、一瞬自らの体を見下ろし戸惑った顔を見せた男。
「……お前、何をしてる…?」
「傷を治してる」
「何故――!?」
「そうしたいから。それから、貴方をここから逃がす」
「―――はっ!?」
完璧に。とまでは行かないが、動いて逃げれるだけの治療は出来た。
「――よし!」
満足げに笑みを浮かべれば、格子の向こうの男は複雑な表情でこちらを見ている。
「………今度は何が目的なんだ?」
「目的って……、別にしたかったからしただけなんだけど?」
「…………」
男は、本当に訳が分からないというような顔をする。
「貴方の荷物が何処にあるか分からないから丸腰で飛ばすことになるけど…」
「飛ばす?」
「ええ、この城はスルトに遮断されてるけど、中からなら飛ばせると思う。ただ今のわたしの魔法では何処に飛ぶかは設定出来ないから」
そこは勘弁してね。とノルンは言う。
言葉通り、それは飛ばす。強制的に転移させること。
やったことはないけれど、多分大丈夫だ。きっと。
少し不安になり、頭の中で改めて術の算式を組み立ててみる。
( 後は組み合う詞を選べば… )
「………対価は?」
ボソッと呟く声がする。
「ん?」
「これに対する、お前にとっての見返りは何だ?」
「んー?」
( したいからやってるって言ったのに… )
余程わたしは信用がないってことか。ノルンの口元に苦笑いが浮かぶ。
「じゃあ――、貴方の名前教えてよ?
別に真名までいらないから」
「………?」
そんなもの知ってるだろうと男の顔は語る。けど分かるはずもなく。首を傾げるように待ってみれば、男は諦めたようにため息を吐き。
「……カイディルだ…」と、そう呟く。
( カイディル……、ね… )
刻むように、心の中でその名を口にして。
「もしわたしが、貴方に何かしていたのだとしていたらごめんなさい」
ノルンの指先が宙に模様を描く。
「でも、今のわたしは貴方に死んで欲しくないと思ってる。それは本当だからね、――カイ」
「―――!? お前…っ!?」
何故か驚いた顔をしたカイディル。
そんな彼に、ノルンは微笑み詞を紡いだ。
カイディルが消えた牢屋の中を眺める。
上手くいった、とは思う。カイディルが安全であろう場へと願い飛ばしたから。
確かめようにも、何故か彼の気配を辿れないけど。でもむしろその方が良いかも知れない、追われるリスクを考えれば。
「…………カイ…」
小さくその名を呟く。
目を瞑れば、彼の姿が寸分違わず再現できる。だけどそこに笑顔を浮かべることは出来ない。
( ………また…、会える、かな? )
あの綺麗な、深く青い瞳が優しく細められ、口元が穏やかに笑みを刻むとこが見たい。
それがわたしに向けられるものなら尚嬉しいがそうでなくてもよい。
胸の奥から急激に突き上げてくるものは、彼に会いたい。側にいたい。やっと会えたのに。
完全に矛盾している、今自分が逃した相手を。
( 何なんだろう? これは…… )
自分の心の奥底から生まれる不可解な感情に、向き合おうとしたノルンは、ふいに瞳を開く。
「部屋からは出ないように言ったよね」
聞こえた声にノルンは振り返る。
音もなく現れた黒と金の瞳の男。黒と淡いグレー、見ようによっては銀とも取れるわたし目とは対になるそれが、こちらを捉えて少し寂しそうに笑う。
「結局はあの男を助けるか……。でも本来の君だとしても同じことをするだろうな」
男は近寄り、そっとわたしを腕の中へと閉じ込める。
「君は優しい。だけどその優しさは毒だよ、ノルン。私を殺す」
「それは……? どういう、」
続きを遮るように、囲う腕に力が込められた。
「――スルト?」
ノルンは強く抱きしめる男の背に手を添えて言葉の真意を促すが、黒い髪が頬をくすぐり肩に落ちる。
「……何でもないよ」
耳のすぐ側で聞こえるスルトの低い声。
暫くはそのままで、ノルンもそれ以上は何も言わず。再び顔を上げたスルトはもう通常の彼であり、少し身を離すと片手をわたしの頬へと這わした。
先ほどとは違い、わたしを見つめるスルトはとても幸せそうに笑い。
「…――さあ、全て終わったから行こうか。もうこの国に用はない」
「何処へ?」
「そうだね、とりあえずはラドラグルへ」




