捉えられし心 1
一番最初の記憶は二つの大きな手のひら。
片方は戸惑ったように、片方は恐る恐る。
でも両方とも優しく私を包む。大切に、壊れないようにと。壊さないようにと。
私の中の記憶は、どこまでも優しい。
たとえこの身が引き裂かれ、晒されて。
悪意の渦に飲み込まれ命を失ったとしても、
それでも――。
最後に私の中に残るのは、二人からもらった優しい記憶。
目が覚めて。
頬を伝わる感覚に指先を当てる。
「……涙…? 何で……?」
何か怖い夢でも見ていたのだろうか?
起き上がり、頬にかかる髪を耳に掛ける少女。そして辺りを確認するが、昨日はずっと側にいた男の姿が見えない。
「―――スルト?」
試しに、空間に向かって男の名を呼んでみる。姿が無くとも呼べば直ぐに返るはずの返事はなく。ならばと。
少女はベッドから降り扉へと向かう。
扉には鍵が掛かっていたがこんなもの造作ない。外れろと念じるだけでそれは遂行された。
扉の外は静まり返った廊下。少し離れた場所からは人々の動きが感じられはするが、自分がいるこの場には人の気配がない。
ここはヒルトゥールという国の、城なのだとスルトが言っていた。
窓から見える空にはうっすらと魔力による幕が見え、普通の人間達には見えないだろうそれはスルトが施したもの。
ノルンを、わたしを守る為だと言う。
「明日には場所を移す。だからそれまではなるべく部屋から出ないで」
そう言われていたのに、既に部屋の外へと出てしまっている。
それは――、
昨日一瞬見た存在がひどく気になったから。
やっと廊下を行く侍女らしき者を見つけ、
話しかけ、怯えた表情の彼女に牢獄の場所を聞いた。それは同じ建物の地下にあるらしい。
そして地下へと降りると、こちらの姿を認め守衛兵が慌てて。
「魔女殿……!? こ…、このような場所に何か後用事が…?」
彼らの、わたしを見る瞳に浮かぶのは、怯えや恐れや畏怖。
わたしの瞳は淡いグレーと黒、髪は肩先で切り揃えられた黒。光とは縁遠い闇を、夜の世界の黒を纏う。
鍵を簡単に解除出来るのも、人間には見えない魔力の幕が見えるのも、彼らがそんな瞳を向けるのも。言う通りわたしが魔女であるから。
人間とは相容れない存在だから。
「昨日ここに連れて来られた人がいなかった?」
それなのに、わたしはそんな人間に会いに行こうとしている。同胞であるスルトに言われたことを破って。
「えっ!? いや、それは……」
「その人間に会いたいのだけど」
「あの方は……いえ、あの者はこの国の重罪人ですので。申し訳ありませんが、許可無き方に会わすことは出来ません」
「そう……」
( スルトに頼めば許可が取れるかな? )
でも寧ろ余計に会えない、会わさないようにされる予感もする。
「誰に許可をもらえばいいの?」
自らが動いた方が良さそうだとそう尋ねると、兵士の男は魔女に対して意見を述べたのだ、怯えを伴う困惑の表情となり。
「ですがきっと…、許可を取るよりもあの方の…刑が執行される方が早いかと」
「――刑?」
「ええ。明日の明朝にはミネリア様と同じく斬首に…」
微かに言い淀む兵士。
( ……ミネリア様? )
とは誰だろう? スルトからは聞いていない名だ。彼が教えてくれたのは今わたしが置かれている簡単な状況。
長い間眠っていたらしく、記憶が混乱しているからと必要な、部分的な事だけを教えてくれた。
それよりも。
( 斬首って…… )
ならば、余計に今会わなくてはいけないじゃないかと。
「仕方ないか……」
小さく呟いた言葉に兵士が反応して。
「何か?」
「ううん。何でもない」
ノルンは答える。そして紡ぐ。
「……ごめんね。
《空から落ちる帳よ、静寂なる夢を》
―――眠れ」
途端、崩れ落ちる守衛兵達。
「本当にごめんなさい…」
彼らが咎められなければいいが。
強制的に眠ってもらった兵士を避け奥へと向かう。牢屋の中から叫ぶ人達にも同じく眠りの世界に行ってもらった。
一応牢獄全体に、対魔法的な術が施されているようだが、魔術師が掛けたのだろう。魔女の術に対して効くはずもなく。
ついでに言えば、本来なら詞を唱えなくとも魔女や魔法使いなら己の血に、魂に術式を刻み込めば、念じるだけでそれは発動する。先ほど鍵を開けたのもそれだ。
だが何故か、わたしはそれを余り行ってないらしく。
十人目当たりからは、
( とっとと他の魔法も刻もう! )
と、心に誓った。
それにしてもあまりに不平や不満を叫ぶ者達が多い。
( 大丈夫なの? この国の? )
既に大丈夫ではないことを、スルトから聞いていないノルンはそんなことを思いながら、
やっと一番奥の牢屋へとたどり着いた。
格子の向こうで、鎖に繋がれた男が壁を背に俯いている。
微妙な長さの鎖のせいで座り込むことは出来ず、気を失っているのか力の抜けた傷だらけの体を支えているのは、鎖に繋がれ引き上げられた手首だけ。
ノルンは直ぐに手首を拘束する枷を外す。鍵と同じなのでこれに関してはわけない。
床へと落ちた体。衝撃で男が意識を取り戻す。
「―――っ………」
乱れた赤銅色の髪の間から、深い青い瞳がこちらを捉える。少し霞むのか一度目をしばたたかせた後、今度は完全にわたしを捉えて。
眉間にシワを刻み、そしてゆっくりと閉じられた。
「ミネリアを…、殺したことの報復にでも来たのか…?」
掠れた、少し投げやりな声。だけど耳障りでない。
( ミネリア…… )
またこの名だ。わたしの知らない。
「ねぇ、ミネリアって誰なの?」
「―――はっ!?」
知らないからただ尋ねただけなのに、何故か怒ったように返され再び目が会う。
まじまじと、こちらを見て怪訝にひそめられた眉。
「おい魔女よ、その目の色は……?」
「―――目? この色違いの? 前からだけど?
それより、ミネリアって誰なの? さっきの兵士も言っていたけど」
男の眉が更に深くひそめられる。
「………お前…、―――誰だ?」
「誰だ、って……」
むしろ逆に問いたい。
わたしを射ぬくその深い青い瞳を見ると、
心の奥底から浮かび上がってこようとする何かわからない想い。
形容しがたい感情に動かされてここへ来た。
それこそ、わたしが問いたい。
貴方は、わたしにとって何なのかと―――。




