第三章
氷室へと降りたエルダは辺り一帯を外界から遮断した。閉ざされた空間全ては自分の管理下にあり、誰も何も、介入すら許さない。
城から離れるごとに冷たくなるラーウの体に、家ではなく氷室へと来た。
渋るキリアンと置いてきぼりを食らって不満げなアルブス達さえ追いやって。
あれから3日、エルダは冷たき台座に横たわる少女を眺める。
このラーウの変調は今までとは違う。
抜け出た生命の息吹は氷室へと戻る。それは小さく、月日を経て大きくなりラーウを目覚めさせる芯となる。
ここに入ったラーウは、本来なら直ぐに元の姿に戻るというのに、その姿はそのままで。
やはりスルトが何か?とは思ったが、そういった魔力の痕跡は見当たらない。
「………ラーウ…」
ため息と共に漏れ出た言葉に、
返す男の声。
『そこにあの子はいない』
「――――っ!! 誰だ!?」
自分以外、誰もいるはずのない空間を揺らした声。
エルダは警戒と、瞬時にその出所を探す。
( 完璧に閉じたはずなのに!? )
何かが介入した感覚など無かった。なのに。
エルダの目の前の景色が僅かに軋む。それに剣呑に瞳を細めて。
軋みひび割れ、細かい揺らぎがまるでバグのように男の姿を創る。
それは黒い――、比喩ではなくまさに黒い闇のような男。肌も髪も瞳も、全てが闇色の。
言葉を繰り出すよりまず先に、手っ取り早く力という名の牽制を放つ。
だがエルダの攻撃は男の前に霧散する。
「!?――……」
それは違和感。
男が何かをしたわけではない。
まるで実体の無いものへの。この場でない、この世界でない場所へと力を放ったような。
「………お前は……、何だ…?」
警戒は深くなる。
更にもっと力を研ぎ澄ませ、エルダはそれを身に溜め込むが、男は然したる様子もなく。台座へと眠るラーウへと視線を落とした。
その闇色の瞳に浮かぶのは――、
横たわる少女への慈しみのみ。
エルダは微かに目を見開く。警戒は解かないまま。
「お前……、本当に何者だ?」
更に問いかければ、男はラーウへと視線を置いたまま、『始まりの魔女よ』と口にする。
( 始まりの魔女? )
視線はラーウへと向いてはいるが、それはエルダに対しての言葉であるようだ。
空間へと。いや、脳内へと直接響くような声。
それは多分その通りで。
男の口元と聞こえる声には擦れがある。
『その体に今あの子はいない』
「…………」
戻らない姿に薄々はそうではないかとは思ってはいた。
『今は違う器に囚われた。異なる色を持つ男に寄って』
「…………スルトか…」
やはりあの男が。
エルダは舌を打つ。
『始まりの魔女よ、強き者よ。
あの子を取り戻そうと願うなら、あの男を連れ置け』
「あの男………?」
『あの子が助けようとした人間の男だ』
( ――カイディルか!? だが何故……?
しかもヤツはもしかしたらもう…… )
一つ息を吐き、エルダは闇色の男を眺める。
その視線に、ゆっくりと顔を上げた男。
ひどく整った創られた造作の顔には、今は何の感情も浮かんではいない。先ほどラーウを見ていたようなものは。
「おま……、貴方自身はラーウを助けようとは思わないのか?」
『………私はこの世界に干渉出来ない。
今の私は、閉じたこの空間を利用して顕現しているだけの存在でしかない』
その言葉でいくと、遮断したことが逆に男を招きいれることになったようだ。
「結局、貴方は何者なのだ? ラーウについて何か知っているのか?」
三度目の問いに男は微かに口角を上げる。
『あの子を大切に思ってくれているのだな』
「……それは答えになっていない」
口角に継ぎ、微かに瞳も細まる。
『何れたどり着けるかもしれないが、永遠にたどり着けないかもしれない。
全てはあの子次第だ』
「話すつもりはない、ということだな」
男に半眼を向けるエルダにもう警戒はない。
「何にせよ、スルトに会わなければいけないということか…」
出来れば二度と関わりたくはなかったが、そうも言ってはいられない。
愛しい我が子を取り返さねば。
しかしあれから3日も経ってしまった。出遅れた感は否めない。
考えの中に入っていたエルダの視界の隅で、男の姿が揺らぐ。
『そろそろ時間のようだ。
魔女よ、どうかあの子を――、ああ、…今はラーウと言うのだったな』
段々と、薄れてゆく姿。
『あの子が、ラーウが絶望に染まらぬ世界を……今度こそ……』
助けろでもなく、救えでもなく。
そんな言葉を最後に残し消えた闇色の男。
( ……今度こそ…? )
どういう意味だろうか?
あの男はエルダの知らないラーウについてを知っていたようだった。
たけど結局のとこ何も分からないままで、疑問だけが更に増えた。何故、カイディルの名が出たのかも。
だがまぁ、仕方ない。
今やれることはひとつだ。
違う器と男は言った。そしてスルトがエルダに言った言葉の端々。
その全てから導き出せるのは。
記憶の奥の忘れ掛けた笑顔が甦る。
あの時のあの子も、何時かのラーウと同じように、
「――母さん」
と、わたしを呼んだ。
つかの間の短い時を。
それでも取り戻さなければならない。
あの少女はもういない。それは理に反するもの。
エルダはもう一度台座の上のラーウへと視線を向けた後小さく呟く。
「スルト、お前はどこまでも残酷だな…」




