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座標を定めていない地点に転移するには、時間と場を強引に繋ぎ空間を移動する。
一瞬でその場に現れたように見えるそれは、ある意味逆で、外界の止まった時間の中、空間内だけは時が進む。
そしてもし普通の人間が1日でもこの空間に閉じ込められれば人生の大半を終えてしまうだろう。
エルダはキリアンを目的の軸へと送り出し、自ら続こうとしてふいに感じた気配に舌を打つ。
一瞬の逡巡の後、ため息と共にゆっくりと頭を振ると、諦めたように踵を返しその気配の元へと向かった。
その空間で待っていたのは、黒いフードの男。微かに笑みを浮かべて。
「何でラーウを巻き込んだ」
開口一番、顔をしかめたまま言うエルダに男は左右色の違う目を細め。
「久しぶりの再開だというの挨拶もなしとはつれないな」
「別にお前に会いたいなど思わなかったからな、スルト」
エルダは男の名を呼ぶ。
「酷いな」と口の端を上げた男に、
「お前に言われたくない。それにラーウを回収したらもう会うこともない。
…………返してもらうぞ」
断ることは許さない。
阻むならそれ相当の覚悟をしろと、暗に込めて。
だが男は涼しげな顔のままで。
「その割りには、急がないのだな」
「キリアンも先に送ったし大丈夫だろ。そもそもあの子の体に傷を付けれる者などいない。わたしがそれを許すはずがないだろ?」
エルダは鼻で笑う。
ラーウにはエルダの鉄壁の守護魔法が掛けられている。だからカイディルが身を挺してラーウを守らずとも、あの攻撃程度なんともなかったのだが。
もしそれをカイディルが知っていたなら。
城での状況を、エルダが予測出来ていたら。
事態は変わっていたかもしれない。これから起こることに対しての。
でも現時点ではそれは誰にも分からないこと。
一人の男を除いては。
「…………だろうな」
フッと小さく笑い声を漏らした男に、エルダは不審の目を向ける。
「お前………、結局何でラーウを巻き込んだ?」
ラーウを餌にする為に連れ去ったと思った。
守護魔法があるとは言え、魔女や魔法使いであればあまり意味を為さない。彼らが害を為そうと本気でやれば一、二度で相殺出来てしまうもの。
スルトがそれを望むとは思わなかったが、
だが、男の態度を見るにそういう思惑とはどうも違う気がする。
エルダに対しての接し方にしても、敵対する意志が見えない。連れ戻すのもどうぞとばかりに。
やはりもう魔力を集める必要は無くなったというのか?
なら願いは……。
「スルト、ノルンは――、」
言い掛けた言葉を、
遮るようにスルトが言う、「エルダよ」と。そして続けて問う。
「まっさらな魂であれば、望み通りに作り替えることが出来ると思わないか?」
その言葉の意図をはかりかねて、
「……何の事だ?」
そう尋ね返せば、スルトは金の瞳を眇めエルダを見る。
元々は両目とも黒い瞳であった男、その金の瞳はノルンの―――。
「傷は肉体だけが負うものではないということだ。痛みから遠ざかり過ぎた者には、その弱さが理解出来ない」
答えにはなっていない、とは思う。だけど。
「何を、言ってる……?」
エルダを見つめるスルトは一度指を鳴らす。何かを為すため。
「そのままの意味だ。
……そろそろ、行った方がいいのではないか? 娘は大丈夫、…かも知れないが男の方は簡単に死ぬぞ?」
「……………」
このまま問いつめても、どうせまともに答えることなどしないだろう。
男の話しは相変わらず脈絡なく。大丈夫という部分の含みに苛立ちを覚えつつも、確かに今カイディルに死なれるのは避けたい。ラーウが側にいるなら特に。
( ―――ん? )
今自分が考えたことに何か一瞬の引っ掛かりを感じたが、些細なことだと直ぐに忘れ、
スルトを暫く睨み付けた後、エルダはさっさと飛んだ。キリアンが着けた座標へと。
残された男は呟く。
「……じゃあ、こちらも迎えに行こうか。
ようやく君に会えるよ、―――ノルン」
──‥──‥──‥──‥──
飛んだ先はヒルトゥールの城であるとは分かってはいたが、なかなかの惨状で。
倒れ呻く兵士達と破壊された城壁。それを仕出かしただろう青年は、激しく眉間にシワを刻み意識の無い娘を腕に抱いている。
エルダは近寄りキリアンの腕の中にいるラーウに触れる。
「………冷たいな…」
「……ええ」
それは未だにどうすることも出来ない症状への先触れ。
しかし今回も早過ぎる。見える体には傷はない。だが、スルトが先ほど言っていた言葉。
『傷は肉体だけが負うものではない』
精神的な――、それを言っているのだろう。けど。
( だから、どうだと言うのだ? )
今ここでラーウを失ったとしても娘はまた新たに目覚める。それだけだ。
「戻るぞ」
エルダはキリアンに告げる。
「……………ヤツは?」
嫌そうに、でも一応口にしたキリアンの言葉に、エルダは血溜まりに倒れ伏せるカイディルを見る。
生きているのが不思議なくらいの状態だが、微かな呼吸音が聞こえる。だけど放って置けば間もなく死ぬだろう。
男が望んだ、少し向こうで同じく倒れている女はもう助からない。それに眠ろうとするラーウは次に目覚めればカイディルのことも忘れる。
ならばもう助ける義理はない。
「……………」
だけどと。エルダは男の側へとしゃがむ。
血にまみれたカイディルの背へと手を当て、瞳を閉じ探る。細胞を血管を、損傷箇所を修復していく。
完璧までとはいかないが、近付いて来た気配にそこまでで瞳を開けて。
最悪の事態は回避しておいたが、後はカイディルの運次第だろう。例え直ぐに起き上がられたとしても、この場所は本人にとっては敵地のど真ん中なのだから。
少し不満げな顔の弟子へと向き直りエルダは告げる。
「――さ、戻るぞ。ここにはもう用はない」
直ぐ側まで近付いた気配に、再び顔を合わすことを厭い。
エルダは、ラーウを腕に抱いたキリアンと共に自らの森へと帰った。
その、エルダが厭んだ存在に、もう一度会っていたなら何か変わっていただろうか?
エルダが消えたと同時に現れたスルト。
腕には黒髪の魔女の少女を抱いて。
男と同じ金目黒目を持つ魔女の少女、その瞳は今は閉じられている。
スルトは血溜まりの中にいる男へと視線を落とす。正確にはその回りを包むものへ。
後悔を、弱さを、嘆きを。
挫け躓き、悲嘆にくれ、全てを呪う。
負に支配される者の心を、エルダは理解出来ない。無様に足掻く者の心など。
スルトは絡み取るように瞳を徐々に細め優しく囁く。
「―――さぁ」と。
掲げるように挙げられた少女の目蓋がピクリと動く。ゆっくりと開けられた瞳は、魔女の少女が持っていた黒色と、
何故か金色ではなく淡いグレー色。
そのことに一瞬、スルトは眉をひそませたが直ぐに消える。
そして、これ以上ないくらいの笑みを浮かべ告げる。
「やっと……、やっと君に会えた。
……………お帰り、ノルン」
もう決して失うことのないように。
抱きしめる腕は、まだ焦点の定まらない少女を囲った。




