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「で、結局森にいた人達って何しに来たの?」
森の奥の我が家へと戻り、魔女らしく怪しげな液体の精製をしていたエルダに、
目の前の机に座り、頬杖をついたラーウが尋ねる。
「あー…、あれね…」
どこまで話そうかと一瞬悩んだが、娘のこちらを見る顔は興味津々で。
下手に隠す方が、その興味が変な方向に走りそうな予感がしてエルダは諦めた。
過去にもそれで、何度も大変な思いをしたからだ。
精製の手を一旦止めて、エルダは娘の向かいの席に座る。
自分がちゃんと話してくれることがわかったのか、ラーウは嬉しそうに顔を輝かせたが、急に「あっ!」と声をあげ立ち上がった。
「母さんその話長くなる? それならお茶とお菓子用意するね、ちょっと待ってて!」
尋ねはしたが、こちらの返事など端から聞く気はないのだろう。喋りながらも、体は既にキッチンへと向かっている。
エルダは少し苦笑し、
ラーウの肩に揺れる淡い髪を眺める。
初めて少女を見つけた時、その髪色は漆黒の闇のように黒かった。
膨大な魔力の証のように。
今、鼻歌でも歌いそうな勢いで茶菓子を用意している、とても――、とても長い付き合いになる少女に、魔力の欠片はほぼない。
それは、その髪色の消失と共に失ったのか?
精霊達に気に入られている為、それで困ることはないようだが。
宙を漂い目の前に運ばれるカップ。小さなシルフ達が運んで来たのだろう。
精霊達は自主的に彼女の手伝いをする。
ラーウが望めば、力ある精霊でさえもその労を惜しまないかもしれない。フェンリルであるアルブスでさえああなのだから。
( ――ん……? )
そのアルブスがエルダが施した結界に触れる気配がした。
でも触れはしたが何故かそこから入っては来ない。
( 何をやってるんだ? )
エルダはティーポットにお湯を入れようとしているラーウに、一旦手を止めるように言う。
「ラーウ、お茶を入れるのは後にしよう」
「え、何で?」
「アルブスが帰って来たんだけど、何故か結界内に入らない」
「ふーん? 何でだろう…?
――じゃあ取りあえず、お茶と話は後だね。行こう!」
自分も着いて来る気らしい。
まぁ、結界内であるしわたしもいる。アルブスがラーウが居るのに危ないものを近付けるはずもない。
仕方ないと、娘と連れ立ち外へと出た。
家の周りは数歩行けば水に囲まれる。池と呼ぶには小さい、ため池程度の。とても澄んではいるが底は見えない。
その中に伸びる一本の道を渡り、森を歩く。
森の中に、突如現れるため池など余計に目につくようだが、
結界内は全て、目を眩ます術が施されているので、例え上空から眺めたとしてもただ森が続いているようにしか見えない。
もし何らかの作用で結界内に入ったとしても、長時間さ迷い、揚げ句に疲れ果て、最悪は野垂れ死ぬだけ。
自分のテリトリーでそれは嫌だから、さっさっとほっぽり出すけど。
大きく伸びた木々は太陽の光を遮り、森は少し薄暗い。朽ちた木を覆う苔。下草と枯れ葉の中で、迫る二人の靴に虫達が逃げ惑う。
小さな小川では鹿が水を飲み、高い梢の上で鳥達の声がする。
瘴気が籠る森だと言われるが、基本的に動物達はそう言ったものには敏感で、大丈夫な所とそうでない所をちゃんと住み分けている。
人間より、よっぽど賢いのだろう。
「ああ、あそこだな」
エルダの声に、背丈ほどの繁みが割れた。植物達が自然に道を開ける。
森の中でも目を引くほど巨大な木の向こうで伏せている大きな白い狼。
この巨木は結界の要のひとつ、ここが境界なのだ。
アルブスはこちらに気付き、赤い瞳を上げた。
エルダはラーウを結界内に残し、自らは境界を越え、狼へと近付く。そして起き上がったアルブスが口に咥えているものを見て、「なるほどな…」と頷き笑った。
どうするのだ?と言うように、首を傾げるアルブスに、
「いいぞ、そのまま入って。許可するから」
そう言って巨木に指で文字を描くエルダ。
それでも何か言いたげなアルブスに、大丈夫だと。
「ラーウなら平気だよ。それだって、お前達と変わらないものなんだから」
「………ガゥ」
「何? 不満? なら、連れてきたお前が面倒見るか?」
「………グルル」
「はっ、あれも不満、これも不満って…。
いいから中に入れ、さっさっと!」
嫌そうに鼻面にシワを寄せたアルブスは、それでもエルダに従い結界内に入った。
再びエルダは巨木に文字を刻む、結界を閉じる為に。
「はい、これでよし! さ、降ろして」
言われて、アルブスは咥えていたものを降ろした。
それは、――少年。
興味津々で近付いてくるラーウ。それをアルブスが鼻面で押し止める。
「アルブス! 邪魔しないでよー」
「大丈夫だと言ってるだろ?」
ラーウには過剰なほど過保護な狼にエルダも呆れるしかない。
アルブスに前足で押さえ込まれたラーウは、抵抗するのは諦めたのか、彼の毛並みに埋もれたまま母親である魔女を見上げる。
「この子、……エルフ?」
「そうだな。半分だけな」
ラーウにそう言うと、エルダは足元で倒れたままのエルフの少年を眺める。
その少年の髪は黒い、今は閉じている瞳もきっと暗い色彩だろう。
ラーウがエルダに尋ねたのは、本来のエルフ達は光を纏う色彩の持ち主であるから。暗い闇の色を纏うことはない。
きっと少年の片親は魔女であるか、魔法使いなのだろう。そして――、
エルダは再び娘を見る。
「さっき森にいた人間達が何をしてたか聞いたろう?」
「うん……?」
「この少年を探してたんだよ」
「――は? 何で?」
尋ねた勢いで、毛並みから身を乗り出したラーウだったが、ボフッと、再びアルブスに押さえ込まれた。
「もう! アルブスってば!」
もぞもぞと顔を出した少女は、狼を見上げ怒るが、アルブスは知らん顔だ。
エルダは少し笑って、
「ここで話すのも何だし家に戻ろうか。折角お茶の用意もしてるしね。
――それじゃあ、アルブス。またその子を頼むよ」と、
娘を押さえ込む白い狼に向かって、有無を言わせないにこやかな笑顔を向ける。
頼まれたアルブスは不服だと言うように喉をグルルと鳴らしたが、直ぐ側にラーウが居ることを思い出し静かになった。
諦めて、のそりと起き上がりエルフの少年を咥える。
それを心配そうに眺めるラーウ。
今度こそ、エルダは小さく声を立てて笑い、
「――さぁ、戻って美味しいお茶でも頂こうか」と言った。