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「お前にこれをやる」
ある日、そう言ってエルダから渡されたのはいくつかの小さな紙。カイディルがそれ見て首を捻れば、
「役に立ちそうな術式を書いておいた」
必要ならば使え。と言う。
だけど自分には魔力など一切なく、使おうにもその方法さえ分からない。
と、言えば。呆れたような顔をされたのだが、そりゃ仕方ないだろう。自分はただの人間なのだから。
ならば腰に下げた剣を貸せと言われ何だかよく分からないままエルダに剣を渡せば、スラリと刀身を出し、鞘は放り返された。
そのまま見ていれば、エルダは刃先に自分の指を這わせ血を滲ますと、その血を持って刀身に文字を刻んでゆく。
カイディルは書く側から消えてゆく読めない文字を眺め言う。
「なんだか呪いみたいだな?」
「失敬だな、これは祝福だ。 ……まぁ、どちらも似たようなもんか、――よし」
ほら。と返される剣。
「これで触れれば勝手に発動する。序でに対魔法の付加も付けといたぞ」
何故か得意気に言われたが、そんなことをして貰っても返せるものがない。
それが顔に出ていたのか、エルダは苦く笑い。
「まぁ、先行投資だ」とだけ言った。
そのエルダから貰い、今カイディルが展開した術式は、自分の周囲を囲む所謂『結界』
回りを呑み込んだ黒い渦は、薄まると同時に正方形を形作り、徐々に広がると、ピシッと軋む音を立て薄い膜で四方を包んだ。
外からの物理的干渉を妨げるもの。簡単なものだし余り長くは持たないと言ってはいたが、大魔女エルダが自ら作ったのだ。
時間は別としても、簡単なものである筈もなく。
当然、弓兵が放った矢も、魔術師が施した術も、カイディルに届くことなく膜の前に全て霧散した。
後に残ったのは、同じく閉じ込められた兵士達――だったが、先ほどと同様カイディルを阻む程のものでもなかったので、そこはあっさりと退場してもらった。
上級兵士をのした後、カイディルはゆっくりと断頭台の舞台へ上がる。
これだけの騒ぎの中でも女は頭を垂れたまま身動きひとつせず。目の前へと立った人の気配に、俯いていた顔を上げた。
静かに見下ろすが、だけど女の顔はまだ布に覆われたままで。カイディルは跪き布に手を掛けた。
外された布の下からは思ってた通りの姿。
淡いプラチナブロンドの髪は首を見せる為に纏めて結い上げられ、解れた一筋が額から垂れ緑の瞳へとかかる。
眩しさにか、一度瞳を瞬かせたミネリアは、
カイディルを見て綻ぶように笑った。
それはもう記憶の片隅へと追いやった、
あの笑顔で。
「………………何故………?」
思わず口から溢れた落ちた掠れた言葉。
「………何故? わたしがここいること?」
「…………」
「それは、そう望んだからよ」
変わらないその笑みで答えるミネリアに、
そんなことは最初から分かっていたことだ。ミネリア本人だと分かっていたからこそ、こんな茶番に乗ったのだから。
ただ回りの者にとっては意外であったのか、ざわつきが広場をかける。
途端に慌ただしくなった回りに。でもカイディルとミネリアの間に流れる刻はとても静かで。
「何故、今更……、…そんな顔で笑う…?」
改めて問い直した言葉に、
何故かミネリア自身が驚いた表情となり。
「……そ、う。 ……わたし…」と、
消え入りそうな声で呟き俯いた。
落ちた沈黙。
先にそれを破ったのはミネリア。
「ふふ……あは、……そう。そうなのね」
乾いた笑い声と共にふらりと立ち上がり。同時にパキンと音をたて、手首の拘束が外れる。
ゴト。と、落ちた枷を前に、跪いたままカイディルは剣に手をかけ。
「スルトが施したの。――ああ、あなたも知ってるでしょ? 金目黒目の魔女よ。
こんな簡単な玩具にもこの国の魔術師は気付かないなんてね」
まったく関係ない話をミネリアは口にして。呆れた、馬鹿にしたような顔で同意を求めるようにこちらを見た。
答えを、期待していた訳ではない。
要らぬ思考は迷いを生む。それこそ今更だ。
「…………」
無言のままカイディルは剣の切っ先を上げ、
それを見たミネリアは困ったように首を傾げてから、ゆっくりと表情を消した。
緑の瞳は凪いだ水面のようで。
その瞳に映る男は剣の切っ先を向けて、本来なら憎しみを宿しているはず顔はひどく歪み、青い目は無様なほど揺れている。
静かな、ただ静かなミネリアの瞳は、そんなカイディルだけを映す。
向けられた刃のきらめきに微かに目を細め、
多分彼女は――、
この剣を、受け入れる。
「…………っ」
ふいに焦燥感が胸を打つ。
( 何を今更っ……! )
なのに、手が、足が。
それ以上進むことを拒む。
ギリッと奥歯がなる。
動けなくなったカイディルに、
目の前の静かな瞳は少し戸惑うような色を浮かべ。
割り込むように、
くすくすと笑う声が響いた。
「……仕方ないなー」
それは少女の声。
ミネリアの側に陽炎のように涌き出た金と黒の靄に、カイディルは飛びずさり、一瞬で舞台から降り間合いを取った。
靄の中、だが姿は見えないまま。
「しょーがない。あのままじゃどうにもならないし。だから仕方ないから貸してあげるよ」
それは金目黒目の魔女の声。
その介入にミネリアは眉を潜めるが、声は続く。
「ミネリア様、君ならすぐ理解出来るはずだよ? その為の最良の選択が。
だから、―――ほら…」
くすくすと、笑い声は響き、靄はミネリアから離れ形を変える。
『さあ、お膳立てはした。後は駒として最期まで』
少女ではない方の。
それは金目黒目の魔法使いの声。
魔女である時よりも冷たく抑揚のない声がそう告げる。
同時に、
「―――ん? あれ、ここどこ……?
えっ、何で!?」
靄が残していったのは、こんなとこに居るはずのない薄い色素を持つ少女の姿。
自分の置かれている状況が分からないのか、驚きに包まれた顔で。カイディルでさえ、思わず名が口を衝いた。
「……………ラーウ? 何で……?」