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ヴェルトアーデン交響譚  作者: 乃東生
37/81

4

動きやすい服に着替え髪を一つに束ねてから、仕舞っていた青い蝶を耳の上辺りで留める。

それは何となく、これを着けた方がカイディルに会えるような気がしたから。


全ての用意を終えて、部屋へと戻ればもうエルダの姿はなく。玄関の扉の前ではラーウを待つキリアンがいる。

……ちょっと気まずい。


けどキリアンは気にしていないのか、ほら。と手を差し伸べて。

おずおずと近寄ればラーウの顔の横で煌めく青い蝶を見て一瞬顔をしかめ、

でもそれだけで。直ぐ元に戻り、キリアンは玄関横のハンガーからリンデンから貰ったストールを取ると、ラーウへと被せ襟元で纏める。そして「さあ、行くよ」と扉を開けた。




午前の太陽はまだ低く、森には影が多い。

その中を夜の精霊達がうつらうつらと微睡むのを眺めながら。

言葉なく前を行く青年の背へとラーウは視線を向ける。

( やっぱりちょっと怒ってる…? )

キリアンの背を眺め、ラーウは思う。


カイディルはきっと危険だと言うことは承知の上で、自ら望んで出て行ったのだ。

だからラーウが二人を責めるのはお門違いで、自分のこの行動などただの我が儘に過ぎない。二人が止めようとするのも無理はないだろう。

ラーウひとりでは精霊達の力を借りたとしても、結局何も出来やしないのだから。


よくよく考えればそういうことなのだ。なのにキリアンはラーウの我が儘について来てくれている。

ラーウには、魔女とその弟子の会話は知るよしもないのでそういう結論になる。


だとしても―――。


無意識に髪に着けていた蝶を触るラーウ。

……それでもやはりラーウは同じ行動を取っただろうと思う。


今心の大部分を占めるのはカイディルへの想い。ラーウが()()()持つ感情。

何故彼なのか? あまり人と関わらないとは言えラーウの側にはキリアンだって、アルブスだっている。

でも、彼がいいと。心の奥底で声がする。

そしてその声は同時に、ラーウのザワつきを助長する。大事な、大切な人が危ないと。



もう一つ。

奥底の、さらに深い場所から聞こえるもの。 


( もう…一度…、ただ、もう一度だけ、

………に…、願った… )


その声は小さく、微かで。そして曖昧で。



表層を統べるラーウにまでは届かなず、また底へと沈む。

残るのはもどかしい気持ちのみ。



はぁと小さく息を吐く。 


……仕方ない。一人で焦ったってどうにもならない。

力のないわたしには。


『――なら、力が欲しい?』


ヒラヒラと蝶が飛ぶ。


『願いを叶えるための』


ヒラヒラと数を増やし。


………願い?

カイディルの元へ行くこと? それで?

連れ戻す?

でも本人が望んで行ったのに……?


( じゃあ、わたしは……、一体どうしたいのだろう…? )


自問の心と向き合っていたのラーウの視界の前は。気づくと、いつの間にか多くの蝶に埋め尽くされ。



『……――では、手を貸してやろう』



聞こえたそれは、自分ではない低い声。


青い蝶に触れていた指先にチリッと痛みが走った。

「――――な、に……?」







その声に、キリアンは振り向く。


ラーウの声がした。はずなのに。

視界に入ったのは黒と金の模様の、所謂アゲハチョウ達の夥しい群れ。

隠されたようにラーウのその姿は見えない。


「――ラーウ!?」

いつの間にか離れていた距離に、駆け寄る一歩は遠い。致命的なほどに。


バチッ!と、

囲む蝶の向こうから青い光が広がり、それは黒に、そして金に、そしてまた黒に。

蝶達を飲み込み、徐々に人の姿を取る。


黒い――、金の光彩を溶かしたような、でも漆黒を纏う男。その色は魔法使いである証。

男は一瞬こちらを見て、口角を上げた。


それも一瞬で―――。



男の姿は消えた。 ラーウの姿と共に。



「………………………は……、


…………ラーウ?」



目の前で消えたラーウに。

呆けていたのも、また一瞬。


キリアンの、直ぐ側の空間が突如として割れた。

そこから飛び出してくる影。

「ラーウ!!」





声を上げ、珍しく焦った姿のエルダは、

立ち尽くすキリアンの姿を見て直ぐに状況を把握した。

「…………くそっ…!」

眉間に深くシワを刻み、乱れた長い黒髪に片手を突っ込む。


先程、懐かしい……、いや、懐かしいなどと言う言葉は使いたくない気配がして、そして消えた。娘を巻き込んで。


まさか直接本人がくるとは思わなかった。しかもここはまだエルダの結界内。

慢心は油断へと繋がる。これは明らかにエルダの落ち度だ。

( だが、なぜラーウなんだ? )


ラーウは今現在は何の魔力も持たないただの小娘だ。

誘き寄せる為の餌だとでも言うのか?

だがそんな回りにくどいことをせずとも、ここには膨大な魔力を持つキリアンがいた。なのに?

( …どういうことだ? もう必要がない? )


―――じゃあ、カイディルが言っていた少女の魔女とは、

目の下にホクロを持つという、……その少女は………。



エルダを見て笑い掛ける少女がいる。

ぼやけた顔が言葉を紡ぐ。口元が動く、穏やかな笑みを浮かべて。それは傍らの男に向けても。


だが――、

思い出は遥か遠く薄れてゆくもの。




「……………っ」

苛立ちを抱えたままでは、思考は曇るばかりだ。

心を落ち着かせて、よくよく考えてみれば戦闘を避けるのが妥当かと。

ちょっとでも長引けばわたしが気付く。

だてに長い年月弟子として育ててはいない。たとえ勝てずともキリアンは簡単には負けはしないだろう。

だからラーウに着けたのだ。


( ならばやはり、餌としてか… )


寧ろそれならば害される可能性は低い。

それにあの男は……。

きっとラーウに何も出来やしない。未だ呪縛に囚われたままであるなら。


 

視界の隅で、その弟子が地面から何かを拾う。

それはラーウが買って貰ったと嬉しそうに言っていた、青い蝶の髪留めの壊れた姿。


……なるほどな。とエルダは自嘲する。

( これが媒体か…… )


キリアンからそれを預かる。

髪留めに残された残滓がエルダの推測を肯定している。

これを媒体に夢の中で繋がり、無意識下に潜み、気付かれないようにゆっくりと繋がりを徐々に広くしていったのだろう。

そして男自身を最後に、髪留めは役目を終えた。

緻密で繊細な、アイツの得意そうなことだ。



エルダは一息吐くと、未だに呆然としたままの弟子を見る。

「……おい、いつまで呆けてるんだ?」

眉間にシワを寄せ、低い声で言い放てば、

キリアンはノロノロと揺れる目でこちらを見て。

「…の……せいだ。……俺が…っ」


などと腑抜けた戯言を言うので。

「―――はっ! 言い訳してる余裕があるならさっさと動け!

……行くぞ、時間は戻りはしない」

「―――っ」

まだ何も始まっていないし終わった訳でもない。戻りはしないのなら、その先の最善を選ぶだけだ。

そう、くずくずしている暇はない。



「…………………場所は…、ダドラルタ…ですか?」


エルダの教育の賜物か。

絞り出すように、でも先程とは全く違う瞳の色を浮かべ尋ねる弟子に、

「カイディルは多分そこだろうが…。 あの男がどう動くのかはいまいち分からん」

腕を組みエルダは言う。

今も昔も、あの男――、()()()の考えることはエルダには分からない。


一番近くにいた。

でも結局は袂を別ったのも、それが全て。


暫し無言になったエルダに焦れたキリアンは、「先に行きます」と、エルダが境界に作った転移門(ゲート)へと向かった。


残されたエルダは腕を解き、握っていた壊れた蝶を眺めて呟く。

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()


どうか…、ラーウを守ってやってくれ」



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