4
( ――まぁ、思い悩んだって仕方ないか )
直ぐにどうこう出来るものでもないし、成るものでもない。
それならば、好きな人といる今この時間を楽しんだ方が良いに決まってると。
ラーウはカイディルの外套を掴むとグイッと引く。
「早く行こう! 終わっちゃう!」
「あ、おい――」
体格も体重も差がありすぎるのだから、本気で引っ張れる訳ではないけど。裾を引くラーウにカイディルも抵抗すことなく、マルシェが開かれている場所へと移動した。
向かうにつれ人通りも増えてくる。
マルシェは中心部にある広場にて開催されていて、その広場を見下ろすように建つ立派な建物がまず目についた。鄙びた村にはあまり似つかわしくないきらびやかで荘厳な。
「何か凄い建物だねー」
見上げるラーウに、
「あぁ、これは教会だな」
女神フレイヤを信仰している。と、カイディルは入口上部の女性のリレーフを指差す。
「女神フレイヤ?」
「この世界を作った女神だそうだ」
ラーウはカイディルが指差す方を眺める。
巨大な扉の上に、半立体的に飛び出した女性の像が、長い髪を靡かせ胸元に丸い球体を掲げているのが見えた。
だが、「ふーん…」と。その話にはそれ以上の興味は湧かず、ラーウは適当に返事を返して辺りを見渡す。
賑わいの盛りは既に過ぎたのか、人々の流れは隙間が見え、既に片付けを始めている店もある。
「ああ! 本当に終わっちゃう! カ――、あっ…」
焦ったラーウは振り返り、カイディルに話し掛けようとして、エルフの男の言葉を思い出して。
「……カイ、わたしちょっとお店見てくるね」
急に小声になったラーウに、何故か苦笑したカイディルの返事は聞かないまま。いそいそと、ラーウは露店が建ち並ぶ広場の中へと足を進めた。
カラフルな花々や、珍しい野菜、光輝く宝飾品達。大きいものは家具まである。
外国からの品物も並び、森からあんまり出ることのないラーウには、どれをとっても物珍しいもので。
心惹かれる物ばかりの中、すこし興奮ぎみにキョロキョロしていたラーウは後ろから足早に来た通行人に、
ドンッ――!と、ぶつかる。
「気を付けろ!」
吐き捨て去っていく男。
バランスを崩されたラーウは前のめりに地面へ。
( あ、ヤバい…… )
思わず目を瞑る。
だが――、
地面へと向かう手前、腰に手が回りラーウの体はグイッと後ろに引かれた。
「――!!」
元へと戻った体勢と、背中に感じる硬さ。
直ぐ間近に漂った、家族とは違う嗅ぎなれない匂い。そして、耳元で聞こえたカイディルの低い安堵の声。
「……っ、ぶないな…」
必然的に、今自分の腰に回されている手は彼のもの。
ラーウを抱え込むように。
「うわっあぁ!!」
ラーウは慌ててその腕から逃げた。
顔が一瞬で熱を持つ。
でも、ハッと我に返り、助けて貰ったのにこの態度はないなと。
「――あっ、カイ! ごめん! あの…その…、あの………ありが、と…ぅ」
振り返り急いで言葉を刻むラーウの視線の先。カイディルは少し目を見張った後、
眉を下げ「ははっ」と笑った。そして、
「見てると危なっかし過ぎて困る」
と、青い目を僅かに細めた。
きっとラーウの動揺など全部お見通しなのだろう。
そんなカイディルに、やはり顔を赤らめたままラーウは少し頬を膨らませた。
店の大半が片付けを始め出した頃、ラーウはひとつの露店で足を止めた。
ゴザを広げただけの簡単な店。そこに並ぶのはキラキラと光る、蝶を型どった髪留め。
「綺麗……」
足を止めたラーウに店主が声を掛ける。
「おひとつどうだい? 可愛いお嬢さん」
ラーウも年頃の娘並にはお洒落には興味はある。さっきおじさんから貰った、今頭に被っている小花模様のストールもやはり可愛く心弾ませる。けど、これはまだ実用的で。
「うーん。でもな…」
普段でも付けることのない髪留めなど、必要ないよなぁ。と悩むラーウに、それならばと。店主は今度は、目を離すと危ないからとラーウの後ろに立つカイディルへと矛先を向けた。
「彼氏さんが買ってあげるとかどう? 可愛い彼女に 」
にこにこ顔の店主が自分の後ろを見て言う。ラーウは一度瞳を瞬かせて。
「……………はぁ!?」
「――おわぁ!? ……何? びっくりした…」
思わず出たラーウの大きな声に、店主の男は驚いた顔をする。
「彼氏って……っ!!」
「え…、違うの? じゃあ、お兄さん?」
「違うし!」
赤い顔で速攻で返すラーウに、じゃあ何なんだと店主は困惑の表情。
そんな二人の間にクスクスと小さな笑い声を立て、割って入ったカイディルは、広げられたゴザの前へと身を屈めた。
「おっ、兄さん買うかい?」
直ぐ様商売っけを出す店主。
「――っ、……カイ、ちょっと…」
小声で、ラーウはカイディルの服を引く。
だけど本人は何ら気にすることもなくラーウを見上げ、「どれがいい?」と尋ねる。
「……え?」
「さすが兄さん!」
いや、何が!?と店主に突っ込みを入れるも、カイディルはやはり重ねる。
「ラーウはどれがいいんだ? 俺が買おう」
再び目を瞬かせる。
「――はっ!?」
「ほら、兄さんもそう言ってるよ? どれにする?」
言質を得て満面の笑みで話し掛ける店主を一度キッと睨み付け、
「でもカイ……」と躊躇いがちにカイディルへと視線を向ければ、少し目尻を緩めて。
「食事の件だけでなく、ラーウには諸々お世話になっているからね。お礼がしたいんだ」
だからこれくらは。と言うカイディル。
諸々が何なのかよく分からないけど、それが本当に純粋な好意からくるものだというのは分かる。
別の意味など持ち得ないほどに。
「…………」
ラーウは無言でカイディルの横に同じようにしゃがむと、ひとつの蝶の髪留めを手に取った。迷いなく。
「選ぶの早いな!」と笑う店主に差し出したそれは。
「…カイ……、ありがとう」
「どういたしまして」
そう言って笑う男の瞳と同じ、深い青色の蝶。
「――ねぇ、聞いた?」
「何が?」
「公妃…じゃなくて、領主夫人の話し」
それは隣の露店から。
「ミネリア様? 何かあったの?」
「なんかねー、罪人として近々裁かれるらしいわよ」
「えっ何!? どういうこと!?」
「さぁ、よくは分からないんだけど…、私の旦那の妹が城の侍女をしててさー」
ラーウは店主に鏡を借り、ストールをずらし耳の上辺りに蝶を留めた。
「…そうそう、そうなの。でもね、もう全て決まっていて…」
色素のない白い髪に、蝶のブルーはとても良く映えると自画自賛で後ろを振り返る。
「噂では、三日後には刑が執行されるって…」
そして、どこかぼんやりとしているカイディルに問う。
「――ね、似合う?」
「それも、処刑らしいって――、」
「…………カイ?」
ラーウの問いかけに反応することもなく、何かに気を取られたのか、一瞬顔を強ばらせたカイディル。ラーウは近付き覗き込む。
「……どうかしたの?」
「――、………いや…、何でもない」
カイディルは何かを振り切るように小さく頭を振ると、着けたのか。と視線をラーウへと止めた。
うふふと笑って、
「どう? 似合う?」と尋ねるラーウに、
ああ、よく似合うよ。とカイディルは眩しそうに目を細めて。
「ラーウを見てると、昔を思い出すよ…」
そう少し寂しそうに笑った。
そしてまた馬車に乗り家へと戻る。カイディルはその間も普段と変わらず。
でもその夜に――、
カイディルは何も言わず姿を消した。